天然居士のとっておきの話

実生活には役に立たないけど、知っていると人生が豊かになるような話を綴りたいと思います。

栗と栗鼠

2016-09-01 | Weblog
 カタカナで書くのが躊躇われて、漢字を当てたようなタイトルですが、
 これは歴とした絵の題名です。
 描いたのは、河鍋暁斎です。
 僕は河鍋暁斎が好きで、彼の展覧会があるとよく出掛けます。
 昨年の8月29日にも、東京の三菱1号館美術館で開かれていた
 「画鬼 暁斎」との展覧会に行きました。
 河鍋暁斎は幕末から明治初期にかけての絵師です。
 画家と言うよりは絵師の方が肩書きとしては相応しいような気がします。

 三菱1号館を設計したのが明治の初めに日本に招かれたジョサイア・コンドルです。
 日本の近代建築の父とも呼ばれる人で、鹿鳴館など多数の建物の設計を行いました。
 コンドルは暁斎の弟子になった事でも知られています。
 暁斎から、暁英の号ももらっていますし、
 二人で日光に写生旅行などにも来ています。
 暁斎の最期を看取った医師のトク・ベルツを暁斎に紹介したのもコンドルです。

 さて表題の絵は添付した写真です。
 暁斎はどうしてこのような絵のタイトルにしたのか、
 彼が女性の陰核を意味する言葉を知っていたのかどうかを考えてみました。
 栗の木の上から栗鼠が栗の実を落とし、下の栗鼠がこれを食べています。
 中心に描かれた栗の実が見事ですので、栗が主役であるように感じます。
 従って、「栗鼠と栗」のタイトルはないような気がします。
 しかし、暁斎がこの言葉を知っていたとすると、
 言葉に合わせて描いた可能性があります。
 
 河鍋暁斎は、反骨精神の持ち主で、
 1870年(明治3年)には、筆禍事件で捕えられたことがあります。
 多くの戯画や風刺画を残していますし、
 暁斎は春画も描いていて、この展覧会でも出展されていました。

 コンドルやベルツなどの外国人との交際も知られています。
 Clitorisは英語ですから、コンドルなどから教わった可能性は高そうです。
 コンドルも諧謔精神の持ち主ですから、
 2人が示し合わせればあり得るかなとも思ってしまいます。

 この「栗と栗鼠」は、
 暁斎の亡くなる1年前の1888年(明治21年)に描かれています。
 現在はアメリカのメトロポリタン美術館が所蔵していますが、
 絹本墨画淡彩の絵で、サイズは36.2×26.7です。
 この時期に同じ画材でしかも同じサイズの絵を何点か描いています。
 動物を描いた作品で、「鯉図」、「蜥蜴と兎図」、「鹿に猿図」などで、
 その中の1点に件の絵があります。
 これらの絵は、
 かつてコンドルと暁斎の共通の知人であるイギリス人が所蔵していたもので、
 後にアメリカのコレクターへ渡り、メトロポリタン美術館に収められたものです。
 そうした流れからすると、1点だけ細工をするのも変な気がしますし、
 逆に1点くらい悪戯をしても良いような気もします。

 ここまで述べたように、色々考えてみたのですが、
 結局決め手はありませんでした。
 どちらなのでしょうね^^

コメント (3)
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