多田愛佳と言えば『天使のしっぽ』。そう自他共に認め続けて早4年。それだけ13歳の「らぶたん」の印象は鮮烈で、本当に天使のようだったのだ。その一瞬の輝きを鮮やかに切り取った『天使のしっぽ』は、やはり名曲に間違いない。
『涙のシーソーゲーム』は、アンダーガールのセンターとして彼女が「主役」になるはずだった曲だが、PVの凝り過ぎた演出とメイクのせいもあって、そうならなかった。同じ条件の『抱きしめちゃいけない』が梅田彩佳の代表曲になったのとは対照的だ。
そしてようやく現れた新たな代表作は、正真正銘のソロ曲『へそが曲がる』だ。
奇をてらったタイトルだが、下品ではなく許容できる。恋をすると、気持ちと反対の行動をしてしまうという「へそ曲がり」の歌で、ツンデレのキャラクターにも合っている。
夜中に徘徊する不良娘の歌ではなく、と言って素直なだけでない、普通の十代の心情を無理なく歌っていると思う。今の多田には最適な内容の歌詞だろう。
曲調が秀逸である。『猿のシンバル』『新宿優等生』の系統にある、レトロな昭和ジャパニーズポップスとでも言うべきナンバー。ちょっとコミカルな編曲がアクセントになっている。音階が急に上がったり下がったりする独特の節回しが印象的。難しい歌唱だと思うのだが、多田は破綻なく器用に、そして可愛らしくまとめている。
多田愛佳の4年間は、チームBオリジナルメンバーで、チームAへ移籍したという点で、仲谷明香とほぼ同じ軌跡である。
『天使のしっぽ』では多田のバックで踊っていた仲谷は、多田のようにユニット活動があるわけでもなく、時々選抜にも選ばれる多田とは異なり常に「非選抜アイドル」だった。しかし、今、著書がヒットし、声優としての一歩も踏み出した。
客観的に見ると「逆転」が起きようとしている。
しかし多田の4年間が停滞していたとは思わない。
むしろ、4年後の『へそが曲がる』でもツンデレというテーマが通用するくらい、自然に、ゆっくり、アイドルとしての輝きを放ち続けてきたと言えるのだろう。
どこかで特別に大きな輝きを放つことはなかったが、その分、無理な「成長」や「大人への変身」を迫られることなく、マイペースで歩んで来られたのだ。本人としては、大きくブレイクできない焦りもあったのかもしれないが、ファンとしては変わらない「らぶたん」を長く見守り続けられるのは、悪いことではないのではないか。
歌詞の隠し味も例によって施されている。
「ピスタチオ」は、『心の端のソファー』では大人の女性の友情の小道具として登場した。
「こんな時間に呼び出してそんな用なら馬鹿みたい」。「そんな用」とは相手の少年にとっては重要な告白だったり、お誘いだったりなのだろうが、そんなことより「カラオケで昔のアニメ歌おうか」とつれないのは多田本人の趣味を生かした上手い設定。
大人ぶっていても実は「見かけよりもきれいに生きて来」て、「未経験を見透かされそう」と怯える少女は、『Virgin Love』あたりから時々出現するキャラクターだ。
「後ろ髪引かれる」は、これまでも何度も登場したキーワード。言わずもがなだが「後ろ髪引かれ隊」を意識している。
『涙のシーソーゲーム』は、アンダーガールのセンターとして彼女が「主役」になるはずだった曲だが、PVの凝り過ぎた演出とメイクのせいもあって、そうならなかった。同じ条件の『抱きしめちゃいけない』が梅田彩佳の代表曲になったのとは対照的だ。
そしてようやく現れた新たな代表作は、正真正銘のソロ曲『へそが曲がる』だ。
奇をてらったタイトルだが、下品ではなく許容できる。恋をすると、気持ちと反対の行動をしてしまうという「へそ曲がり」の歌で、ツンデレのキャラクターにも合っている。
夜中に徘徊する不良娘の歌ではなく、と言って素直なだけでない、普通の十代の心情を無理なく歌っていると思う。今の多田には最適な内容の歌詞だろう。
曲調が秀逸である。『猿のシンバル』『新宿優等生』の系統にある、レトロな昭和ジャパニーズポップスとでも言うべきナンバー。ちょっとコミカルな編曲がアクセントになっている。音階が急に上がったり下がったりする独特の節回しが印象的。難しい歌唱だと思うのだが、多田は破綻なく器用に、そして可愛らしくまとめている。
多田愛佳の4年間は、チームBオリジナルメンバーで、チームAへ移籍したという点で、仲谷明香とほぼ同じ軌跡である。
『天使のしっぽ』では多田のバックで踊っていた仲谷は、多田のようにユニット活動があるわけでもなく、時々選抜にも選ばれる多田とは異なり常に「非選抜アイドル」だった。しかし、今、著書がヒットし、声優としての一歩も踏み出した。
客観的に見ると「逆転」が起きようとしている。
しかし多田の4年間が停滞していたとは思わない。
むしろ、4年後の『へそが曲がる』でもツンデレというテーマが通用するくらい、自然に、ゆっくり、アイドルとしての輝きを放ち続けてきたと言えるのだろう。
どこかで特別に大きな輝きを放つことはなかったが、その分、無理な「成長」や「大人への変身」を迫られることなく、マイペースで歩んで来られたのだ。本人としては、大きくブレイクできない焦りもあったのかもしれないが、ファンとしては変わらない「らぶたん」を長く見守り続けられるのは、悪いことではないのではないか。
歌詞の隠し味も例によって施されている。
「ピスタチオ」は、『心の端のソファー』では大人の女性の友情の小道具として登場した。
「こんな時間に呼び出してそんな用なら馬鹿みたい」。「そんな用」とは相手の少年にとっては重要な告白だったり、お誘いだったりなのだろうが、そんなことより「カラオケで昔のアニメ歌おうか」とつれないのは多田本人の趣味を生かした上手い設定。
大人ぶっていても実は「見かけよりもきれいに生きて来」て、「未経験を見透かされそう」と怯える少女は、『Virgin Love』あたりから時々出現するキャラクターだ。
「後ろ髪引かれる」は、これまでも何度も登場したキーワード。言わずもがなだが「後ろ髪引かれ隊」を意識している。
仲川遥香と浦野一美ファンであることは以前から申し上げていますが、その関係で渡り廊下のメンバーは何となく気になります。
みんな遅咲きタイプに見えますが、特に多田愛佳は昨年発売の「渡り廊下売り込み隊」に記載の通り、20歳過ぎてからが良い感じになると思っています。
渡辺麻友と菊地あやかは一歩(もっと?)早く自然体になった感じですが、多田愛佳もここにきて自然体になってきた感じでしょうか。(はるごんはまだ…)
未だに若造の耳をしてますので低音が効いている曲が好きなのです。
加えて、今回は多田の甘ったるい感じの声が曲調と歌詞にマッチしていると思いました。
是非とも生で聴いてみたい歌の一つになりました。
蛇足ですが、「真夏のSOUND GODD]も全曲良いと感じています。絶賛ではないですが。
特に「ぐぐたすの空」は好きです。
上では低音好きと書きましたが、ピアノのはっきりした高い音も好きです。
1フレーズ(でいいのでしょうか?)終わった、「陽射しの中で~」の上り調子、半音多数、音を区切る感じは好きです。
他の方々の感性と同じか判り兼ねますが。
劇場版の「君のために僕は…」も曲調は好きですが「君のために僕は死ねる」のフレーズに共感できないので、お気に入りの曲とまではなりませんでした。
そんなに大事な君がいるなら、どんなにみっともない姿をさらしても、君が居る限り生きていたい方なので。
それにしても、CM曲が劇場版とはいただけない。
劇場版の存在を知らない人はCM曲を聴きたくても聴けないのですから(DLすればいいのですが少なくともiTuneには有りません)。
しばしば投稿されてますが、カップリングがないがしろになる売り方は私も賛同出来ません。
音源は入れて、特典DVDが別々というのがそれでも全うな売り方と思います。
理由は、他の2人が、"衣装を着ていた"のに対し、らぶたんには、(尻尾が)生えていた。(全くもって、感覚的なんだけど)僕には、そう見えた。でも、これって、大事なことでしょ!?
ところで、こういうのも、感覚的に…なんだけど、なんか、昔の人が言いそうなこと…らぶたんの口から発せられることで生まれる面白さって、あると思うんだ。
少し前、駅前で、(1対1)…中学生ぐらいの女の子のケンカ(言い合い?)を見たんだけど、なんか、そのことを思い出してね。つまり、そのうちの1人が、"へそで茶を沸かす"だの、自分のことを、"わし"だの…とにかく、ギャップ(ズレ?)が面白くてね。ところどころ、おばあちゃん言葉なの。"おばあちゃん子なんだろうなぁ~"…でも、あんな感じ。
そして、ああいう世界観は、きっと、らぶたんに合ってるとか思うのです。『へそが曲がる』。
多田は、選抜総選挙のスピーチでもソロ曲(『へそが曲がる』)のことに言及していたので、やはり相当嬉しかったのだと思います。
kizudarakeさんも書かれているように、私も『真夏のSOUND GODD』も好曲ぞろいと思っています。そのうち記事も書くつもりです。