主人公アキは、グループ内「国民投票」で苦戦する。
この「国民投票」は、明らかにAKBグループの選抜総選挙を下敷きにした設定だ。違うのは、46人中40位以下(正確には41位より下位)は解雇と公言されている点だ。AKBグループよりシビアである。
一方、投票方法は全く説明されていない。AKBグループの投票方法が、何年もかけて進化してきたビジネスモデルであるのに対し、ドラマとは言え説得力不足なのは否めない。
実際、それまでセンターだった子(有馬メグ)がいきなり31位で「奈落組」に落ちたり、劇場公演に出演できず路上でゲリラ的なイベントしかできないGMT6のメンバー(小野寺薫子)が20位で「選抜」入りしたりするのは、どういう投票方法だったのか気になる。人気が出る前の投票総数が少ない時期であれば、そうしたサプライズもありうるが、『暦の上ではディセンバー』がミリオンセラーになったという設定からは説明しがたい。何らかの方法で厳密に「1人1票」という制度にしたのか、あるいは「ライブに100回以上来た」等、コアなヲタクに限定したので先物買い的な投票が増えたのかもしれない。
これも、ナッキーさんの言う「あまちゃんにおけるアイドルは、歴史小説における忍者のようなもの。ありえないから嘘だと決めつけるのではなく、ありえるとしたらどういう解釈が成り立つかと、ファンタジーを現実に近づけると楽しさがまします。」という楽しみ方の実践である。
ところで、7月15日の放送では、アイドル論として重要な会話があった。
上京して苦戦しているアキに対し、家庭の事情で上京できず、「アイドルなんてダサい。もう醒めた。」と自暴自棄になっているユイちゃん。彼女について、町の大人たちが交わす会話だ。
「ユイちゃんを俺たちはどうしたいんでしょうね。」
「どうしたいって、変なこと言ったらぶっ飛ばすぞ。」
「東京に行くって言っても切なくなるし、東京に行かないって言っても切なくなるし。」
「何とかしてあげたいけど、俺たちにはどうしてあげることもできない。ただここで切なくなっているだけなんですよね。」
「わかる。この距離は永遠に縮まらないんだ。」
「俺たちにとってユイちゃんって結局何なんでしょうね。」
「アイドルだべ。」
「んだ。アイドルに決まってるっぺ。」
変なこと(付き合ったり、Hをしたり)を含めて、自分の力で何をしてあげることもできない。ただ遠くで見守って切なくなっているだけの対象。それがアイドルだ。
少なくても昭和のアイドルはそうだった。宮藤官九郎のこのアイドル論に共感する。
「会いに行けるアイドル」という呪文で、その絶妙の距離感が崩れ、あるいは崩れたように錯覚させられて、同じCDを何百枚買ったりするファンが現れても、「遠くから見守って切なくなってしまう」アイドルの本質は不変だと、私は思う。
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一方、投票方法は全く説明されていない。AKBグループの投票方法が、何年もかけて進化してきたビジネスモデルであるのに対し、ドラマとは言え説得力不足なのは否めない。
実際、それまでセンターだった子(有馬メグ)がいきなり31位で「奈落組」に落ちたり、劇場公演に出演できず路上でゲリラ的なイベントしかできないGMT6のメンバー(小野寺薫子)が20位で「選抜」入りしたりするのは、どういう投票方法だったのか気になる。人気が出る前の投票総数が少ない時期であれば、そうしたサプライズもありうるが、『暦の上ではディセンバー』がミリオンセラーになったという設定からは説明しがたい。何らかの方法で厳密に「1人1票」という制度にしたのか、あるいは「ライブに100回以上来た」等、コアなヲタクに限定したので先物買い的な投票が増えたのかもしれない。
これも、ナッキーさんの言う「あまちゃんにおけるアイドルは、歴史小説における忍者のようなもの。ありえないから嘘だと決めつけるのではなく、ありえるとしたらどういう解釈が成り立つかと、ファンタジーを現実に近づけると楽しさがまします。」という楽しみ方の実践である。
ところで、7月15日の放送では、アイドル論として重要な会話があった。
上京して苦戦しているアキに対し、家庭の事情で上京できず、「アイドルなんてダサい。もう醒めた。」と自暴自棄になっているユイちゃん。彼女について、町の大人たちが交わす会話だ。
「ユイちゃんを俺たちはどうしたいんでしょうね。」
「どうしたいって、変なこと言ったらぶっ飛ばすぞ。」
「東京に行くって言っても切なくなるし、東京に行かないって言っても切なくなるし。」
「何とかしてあげたいけど、俺たちにはどうしてあげることもできない。ただここで切なくなっているだけなんですよね。」
「わかる。この距離は永遠に縮まらないんだ。」
「俺たちにとってユイちゃんって結局何なんでしょうね。」
「アイドルだべ。」
「んだ。アイドルに決まってるっぺ。」
変なこと(付き合ったり、Hをしたり)を含めて、自分の力で何をしてあげることもできない。ただ遠くで見守って切なくなっているだけの対象。それがアイドルだ。
少なくても昭和のアイドルはそうだった。宮藤官九郎のこのアイドル論に共感する。
「会いに行けるアイドル」という呪文で、その絶妙の距離感が崩れ、あるいは崩れたように錯覚させられて、同じCDを何百枚買ったりするファンが現れても、「遠くから見守って切なくなってしまう」アイドルの本質は不変だと、私は思う。
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