古川愛李推し読者からの投稿その8 職人としての秋元康
3.楽曲について
KCさん指摘の通り、AKBグループの魅力は、私にとっては何と言っても楽曲の良さだと思います。
昔から、私はどちらかというと楽曲優位で、ビジュアルがそれほどでなくても、曲が良かったり、声や歌がよい歌手を愛好してきました。
AKBは一人ひとりの平均的な歌唱力のレベルという面では、甚だ心もとない集団ですが(特にハロプロと比べると全く歌唱力は選考基準になっていないのか、とすら思ってしまう)、秋元康作詞、プロデュースの曲世界の質の高さ、量の多さという面ではすばらしいものがあります。
全部本人が書いているのかはわかりませんが、秋元康の書く歌詞と、その世界観があれだけ多数のメンバーの、バラバラな個性の寄せ集めであるAKBに求心力と魅力を付与していると思います。
正直、秋元康がもてはやされた80年代、私自身は彼のことが大嫌いでした。
彼がプロデュースしていた「おニャン子クラブ」も「とんねるず」も、放送作家としての彼の企画する番組も好きになれなかったし、秋元自身も、商品であるおニャン子のメンバーに手をつけるとんでもない輩だとしか思えませんでした。
当初、AKBが好きになれなかったのも、秋元康プロデュースだったからです。
しかし、あれから30年近くたって、今、無理矢理息子に聞かされたAKBの曲に向き合い、彼が作った歌詞を真面目に聞いてみると、実に懐の深い、決して浮ついた企画ものだけでない魅力があることが分かってきました。
一方、AKBの膨大な曲の中には、「夕陽を見ているか」や「ひこうき雲」、「桜の木になろう」のように見事な詞もある半面、「ヘビーローテーション」のように、あまりに中身のない薄っぺらい詞もあり、この玉石混交さ加減、振れの大きさが何に起因するのか、どうも不思議でなりませんでした。
あまりに雑で粗だらけのように思えるのです。
それは、彼が自分自身をいわゆる「詩人」(=アーティスト)ではなく、プロフェッショナルな「作詞屋」だと任じているところに原因があるようです。
山口百恵が次々と曲調を変え、本人のイメージを塗り替えながらも、一つの統一したテイスト、世界を作り出し、リスナーを巻き込んで伝説のアイドルブランドへと昇華できたのには、言うまでもなく阿久悠の詩世界が果たした役割が大きかったと思います。
同様に、松田聖子がアイドル(というかJ-POPのシンガーとして)絶対的な地位を築けたのは、まさに松本隆の稀代の才能と情熱で構築された、詞の世界観によるものだと思います。
ほぼ同時代に、綺羅星のような作曲家、アレンジャーに曲の提供を受けながら、統一的な世界観を築けず、支離滅裂に暗い世界に落ち込んでいった中森明菜の不幸は、彼女自身のパーソナリティーや人間関係だけでなく、作詞家系の統一したプロデュースがなかったことも大きな要因だと思われます。
AKBが一時代を築けているのも、秋元康の詞世界の果たしている役割が極めて大きいと思うのですが、彼は、阿久悠や松本隆のような純粋なアーティストではないのだと思います。
彼自身、詩人ではなく、あくまで「作詞屋」だと自認しているように、彼は自分の内面世界を紡ぐ芸術家ではなく、与えられた曲と、歌手、置かれた状況に応じて、完璧に楽譜に割り振られたフレーズを量産し、その歌手のパフォーマンスを最大に引き出す、究極の「職人」なのだと思います。
彼は、自分の世界を表現するのでなく、歌い手と聞き手の世界を引き出す。
彼の詞を聞いていると、実に歌い手の内面に寄り添って、歌い手の個性を反映していることに驚かされます。
歌手自身が語りたいと見られること、聞き手であるファンがぜひ語ってほしいことを、実に自然に歌に乗せるという作業をいとも簡単にやってのけます。
(ナッキー注:横須賀ストーリー以降は、阿木曜子。阿久悠作品は百恵にはない。)
3.楽曲について
KCさん指摘の通り、AKBグループの魅力は、私にとっては何と言っても楽曲の良さだと思います。
昔から、私はどちらかというと楽曲優位で、ビジュアルがそれほどでなくても、曲が良かったり、声や歌がよい歌手を愛好してきました。
AKBは一人ひとりの平均的な歌唱力のレベルという面では、甚だ心もとない集団ですが(特にハロプロと比べると全く歌唱力は選考基準になっていないのか、とすら思ってしまう)、秋元康作詞、プロデュースの曲世界の質の高さ、量の多さという面ではすばらしいものがあります。
全部本人が書いているのかはわかりませんが、秋元康の書く歌詞と、その世界観があれだけ多数のメンバーの、バラバラな個性の寄せ集めであるAKBに求心力と魅力を付与していると思います。
正直、秋元康がもてはやされた80年代、私自身は彼のことが大嫌いでした。
彼がプロデュースしていた「おニャン子クラブ」も「とんねるず」も、放送作家としての彼の企画する番組も好きになれなかったし、秋元自身も、商品であるおニャン子のメンバーに手をつけるとんでもない輩だとしか思えませんでした。
当初、AKBが好きになれなかったのも、秋元康プロデュースだったからです。
しかし、あれから30年近くたって、今、無理矢理息子に聞かされたAKBの曲に向き合い、彼が作った歌詞を真面目に聞いてみると、実に懐の深い、決して浮ついた企画ものだけでない魅力があることが分かってきました。
一方、AKBの膨大な曲の中には、「夕陽を見ているか」や「ひこうき雲」、「桜の木になろう」のように見事な詞もある半面、「ヘビーローテーション」のように、あまりに中身のない薄っぺらい詞もあり、この玉石混交さ加減、振れの大きさが何に起因するのか、どうも不思議でなりませんでした。
あまりに雑で粗だらけのように思えるのです。
それは、彼が自分自身をいわゆる「詩人」(=アーティスト)ではなく、プロフェッショナルな「作詞屋」だと任じているところに原因があるようです。
山口百恵が次々と曲調を変え、本人のイメージを塗り替えながらも、一つの統一したテイスト、世界を作り出し、リスナーを巻き込んで伝説のアイドルブランドへと昇華できたのには、言うまでもなく阿久悠の詩世界が果たした役割が大きかったと思います。
同様に、松田聖子がアイドル(というかJ-POPのシンガーとして)絶対的な地位を築けたのは、まさに松本隆の稀代の才能と情熱で構築された、詞の世界観によるものだと思います。
ほぼ同時代に、綺羅星のような作曲家、アレンジャーに曲の提供を受けながら、統一的な世界観を築けず、支離滅裂に暗い世界に落ち込んでいった中森明菜の不幸は、彼女自身のパーソナリティーや人間関係だけでなく、作詞家系の統一したプロデュースがなかったことも大きな要因だと思われます。
AKBが一時代を築けているのも、秋元康の詞世界の果たしている役割が極めて大きいと思うのですが、彼は、阿久悠や松本隆のような純粋なアーティストではないのだと思います。
彼自身、詩人ではなく、あくまで「作詞屋」だと自認しているように、彼は自分の内面世界を紡ぐ芸術家ではなく、与えられた曲と、歌手、置かれた状況に応じて、完璧に楽譜に割り振られたフレーズを量産し、その歌手のパフォーマンスを最大に引き出す、究極の「職人」なのだと思います。
彼は、自分の世界を表現するのでなく、歌い手と聞き手の世界を引き出す。
彼の詞を聞いていると、実に歌い手の内面に寄り添って、歌い手の個性を反映していることに驚かされます。
歌手自身が語りたいと見られること、聞き手であるファンがぜひ語ってほしいことを、実に自然に歌に乗せるという作業をいとも簡単にやってのけます。
(ナッキー注:横須賀ストーリー以降は、阿木曜子。阿久悠作品は百恵にはない。)
これからは、宝塚みたいに、卒業ごどらまにでたりするのかな?