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青春のじたばた。『Glory Days』はSKE48の屈指の名曲(ときめき研究家)

2010-04-24 16:43:22 | ときめき研究家
「じたばたするなよ 世紀末が来るぜ」(シブがき隊『NAI NAI 16』)と言われても、青春はじたばたするものだ。それは昔も今も変わらない。そして、青春と言われる時期を過ぎて「アラフィフ」となった今も、やはりじたばたしている。

AKB関連で「じたばた」という単語が使われるのは、たぶんこれが3曲目だ。
『転がる石になれ』(チームK)では「じたばたしながらいつもがむしゃらにその手伸ばすのさ」と、『初恋ダッシュ』(渡り廊下走り隊)では「じたばたの片思い」と歌う。秋元康の好きな単語と思われ、ポジティブな意味で使われている。

遅まきながらSKE48『手をつなぎながら』のCDを手に入れて聴いている。
チームS版『初日』と言うべき『手をつなぎながら』(この曲も実は未来の卒業ソング)、素朴なメロディながら心に滲みる『大好き』(スタジオ録音のエコーが何とも言えずいい)も好きだが、一番のお気に入りは『Glory Days』だ。

このブログのライター達の評価が高い曲で、昨年既に多くの記事が取り上げている。

テッドさんによる歌詞はこちら。

テッドさんは「鳥肌立つほど好きな曲です。もう聞き惚れました。」と、絶賛している。

KCさんは、政治的メッセージが唐突な曲として論じている。

いまさらだが、私もこの曲にハマッた。

セリフを喋るような独特の抑揚のないメロディ(こういうのはラップとは言わない?)で、日常の味気なさ、目標が見つからない焦燥、自分の無力さへの苛立ち、が切々と歌われる。
「この今を青春と呼ぶのならばどうやって過ごせば輝くの?」という自問は、タイトルの『Glory Days』と呼応しており、清らかに歌われる「朝の光があふれ出す」冒頭の情景とはうらはらに、輝いていない今を嘆き、輝く日々への憧れを歌っている。
しかし、サビでは「もっとじたばたしながら やりたいことだけやればいい」「もっとじたばたしながら あちこち傷を作ればいい」というメッセージ。後から振り返れば、じたばたした日々は輝いていたと思えるのだと、これは秋元康自身からの、歌っている松井珠理奈ら3人も含む、青春をじたばたしている全ての人達へのメッセージなのだ。

同様に青春の焦燥感、切迫感を歌った曲は多い。いや、ほとんどの歌がそうだとも言える。
アイドルの歌はほとんど全て「ときめき」を歌っていると以前書いたが、アイドルの歌はほとんど全て「青春のじたばた」を歌っているということもできる。「ときめき」と「じたばた」は表裏一体。どちらを前面に出して歌っているかだけの違いだと思う。青春とは、じたばたしながらときめいている時間なのだ。
そんな中で「じたばた」を表面にして歌っている歌を拾ってみる。

チェッカーズ『ギザギザハートの子守唄』
「ちっちゃな頃から悪ガキで十五で不良と呼ばれたよ・・・・判ってくれとは言わないがそんなに俺が悪いのか」判ってもらえない苛立ち、空回りしている自分への焦燥が、ストレートに歌われている。

立花理沙『大人はわかってくれない』
「大人は何にもわかってくれない 手持ちのカードで二人裁くだけ」この曲も、分かってもらえない苛立ち。何を分かってもらいたいのか、自分でもいまひとつ明確でないことにも苛立っているようだ。

麻田華子『Doubt!』
「約束は守れとママなんか怒るけれど 嘘つきがどんなにいけないのか試したくなる・・・・・この両手で触ってみなきゃ判らない 言われるまま信じられないダ・ダ・ダウト」大人への不信感を、でもこの曲はポジティブに歌っていて、爽快感がある。

これまでの3曲は、主に、大人や既存の価値観への疑問、大人の無理解への苛立ちを歌っている。

酒井法子『ノレないTeenage』
「プログラムされた夢ばかりじゃスッキリしなくてはしゃげない・・・・・何かが違う 自由に縛られてる感じ」この焦燥感は、「大人」から与えられた環境に起因していることには違いないが、かと言ってただ反発しているだけではない。むしろ「自由に縛られてる」というように、自分自身への苛立ちを感じているようだ。

中森明菜『飾りじゃないのよ涙は』
「私は泣いたことがない・・・・・いつか恋人に会える時 自分の世界が変わる時 私泣いたりするんじゃないかと感じてる」今の自分の世界では泣くこともできないという、これはもはや虚無。陽水の詩を熱唱。
『Glory Days』の「見えない涙ばかりがこぼれる」にも通じる。

本田美奈子『Oneway Generation』
「人ごみのまん中 今いる場所さえわからないように 自分の生きかたが見えない時ってあるよね・・・・・僕らは今ひとりで何かを探して」秋元康作詞の、ストレートなじたばた曲。『1986年のマリリン』のような色っぽい曲が多かった彼女には珍しく、タキシード風の衣装を着て、軽やかに歌う姿が印象的だった。

ここまでの3曲では、苛立ちの対象は他者よりも自分自身になっている。

森田公一とトップギャラン『青春時代』
「青春時代が夢なんて後からほのぼの思うもの 青春時代の真ん中は道に迷っているばかり」これぞ原点と言える、ストレートなじたばた。

菊池桃子『青春のいじわる』
「青春の躊躇いの中で僕たちは動けずにいたね」可愛らしいタイトルと、甘酸っぱい歌唱で惑わされるが、これだって青春のじたばたを砂糖にまぶして歌ったものだ。

モーニング娘。『ここにいるぜぇ!』
「僕らはまだ夢の途中 みんなみんなそうなんだ・・・・・一度きりの人生 お腹いっぱい学ぼう」これは極めて前向きなじたばた。出口を見出そうともがいている。いや、もう出口を見出す方法は知っている。

この3曲は、対比で言えば、青春そのものに対する、不安や苛立ち、そして希望を歌っている。

そんな中で『Glory Days』

1番は、日常の手応えのなさ、流されている自分への苛立ちを歌っており、台詞のような歌い方以外は珍しくはない。「水道の水が出しっぱなしで いつの日か僕だけ溺れそうで」という歌詞が難解だが、次々に悩みが溢れて息苦しいといった心象の比喩だろうか。
特徴的なのは2番で、戦争と平和に目を向けている。KCさんは唐突と言うが、今時の若者でも、少しくらい世界情勢に目を向けるのはおかしくない。
『誰かのために』では「愚かな戦争をニュースで観るより声が届くように私は歌おう」と歌うことで少しは世界を変えようという意欲を示していた。これはありがち。『街角のパーティー』では「肌の色だって言葉の壁だって宗教だって関係ないよ・・・・・これがほんとのピース」と、街角の放水ごっこに過大な効果を期待している。「宗教」という言葉の使用は、「政治」より更に珍しい。
『Glory Days』の「世界中の人たちを幸せにするその理想にはあまりに僕は無力と知って」とは、あまりにドンキホーテ的な挫折だが、共感はできる。でもそこで「誰かヒーローになる日を待った」のにはがっかり。そして、歌の主人公自身もそんな自分にがっかりしているのだ。

庄司薫の『さよなら怪傑黒頭巾』のラストシーンは、「世界中の人たちを幸せにする」という理想を持つ主人公の浪人生薫クンが、まず今できることとして、学生運動に挫折して飲み潰れているお兄さんたちのために、玄関で牛乳配達を待っている場面だった。『ライ麦畑でつかまえて』のラストシーンで、主人公が、幼い妹の乗る回転木馬をいつまでも見守っていたように。
そう、誰かがヒーローになるのを待つのではなく、自らが、今できることをやるしかないのだ。
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3 コメント

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Unknown (ガラス)
2010-04-24 17:21:07
確かに良い曲ですね。

なんか一時期なんかテンポがパクリ疑惑ありましたよね!?
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青春 (ナッキー)
2010-04-24 21:23:26
今、努力していることが、将来何になるのか。
自分が、自分らしく、自由に生きることが、いつからできるのだろう。
青春はバタバタします。
バタバタすることが成長すること。
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はじめまして (27)
2010-04-24 21:32:35
27と申します。

いつも楽しく読ませていただいてます。

『Glory Days』は僕も大好きな曲で、初めて聴いたときに鳥肌が立ったのを覚えてます。

『水道の水が~』の歌詞ですが

モノや情報や選択肢が溢れる社会で、自分がしたいこと、するべきこと、しなければならないことさえも分からずにただ毎日を過ごすこと(過ごさざるを得ないこと)へのやるせなさ

の比喩ではないかと感じました。

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