AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

『よい子の歌謡曲』創刊40周年イベントに参加。青春はまだ続いている。(ときめき研究家)

2019-09-23 18:04:03 | ときめき研究家
『よい子の歌謡曲』は、1979年から1991年まで刊行されていたミニコミ雑誌である。48号を最後に休刊していたが、創刊40周年を記念して当時のライター陣のトークイベントが9月22日開催された。ナッキーさんと一緒に参加した。
1980年代にアイドルポップに熱中していた私は、この雑誌を愛読していて、大いに影響を受けた。久しぶりに本棚から引っ張り出したら、10号から45号まで揃っていた。
10号は既に活字化されていたが、創刊当初は手書きで、部数は300部だったとのこと。

編集長の梶本学氏ほか個性的なライター陣が思い思いのアプローチでアイドルを論じていて、その自由さ、熱量に圧倒された。また、評論するだけでなく、アイドル本人や制作者へのインタビューも行い、号を追うごとに内容が充実して行った。

トークイベントでも語られていたが、創刊のきっかけは、当時はニューミュージックやロック全盛で、アイドルや歌謡曲を真面目に論じる雑誌がなかったので、自分で作ろうと思い立ったとのこと。もう1つの動機は、梶本氏が石野真子のファンだったので雑誌を作れば本人に会えるかと考えたとのこと。
そういう無鉄砲で、しかし純粋な、やむにやまれぬ思いこそが青春というものだろう。私は『よい子の歌謡曲』に青春を感じ、私自身もアイドルを聴き続け、一時期自分でミニコミを作ったりもしたが長続きはしなかった。

『よい子の歌謡曲』は、基本的に読者の投稿記事により構成されていた。ライター陣の執筆原稿を含め、梶本編集長が全ての原稿を読んで、掲載原稿を決めていたとのことである。
当時、私の投稿も4回掲載された。1985年の21号掲載のセイント・フォー『太陽を抱きしめろ』のレビュー中、メンバーの1人(浜田範子)が怪我をしたときに安否を気遣うのが「生身派」、激しい振り付けはどうなるのだろうと考えるのが「企画派」だと論じた。
アイドルファンの一部(私の周囲だけ?)で使用されている「生身派」「企画派」の概念が世に示されたのは、この時が初めてだったと思う。因みに私はもちろん「企画派」である。

現在は、パソコンやインターネットが普及し、誰もが自分の意見を気軽に世界中に発信できるようになった。一方で、今でも手間がかかるミニコミ誌(同人誌?)を100部単位で作成し、即売会や通販で売る人々はいる。手段はそれぞれだが、やむにやまれぬ情熱みたいなものはいつの時代にもあって、なくなることはないのだ。

私もこのブログに記事を載せ始めて11年、記事数は700を超えた。数人のライターで共同運営していたが、最近投稿するのは私だけになった。更新頻度も、週1回を目指しているがなかなか達成できていない。
しかし、今後もマイペースで、本当に書きたいことを書きたいように書いて行きたい。

トークイベントに登場した梶本氏ほかライター陣7名は、今も現役でアイドルの現場に通っている人もいれば、現場はごぶさたの人もいた。しかし皆若々しく、飄々とした印象を受けた。そしてイベントに参加していた客、約50名もほとんどが50歳以上の男性だったが、シンパシーを感じた。
イベントのゲスト、サマーロケット(4人組)のミニライブが6曲、司会の姫乃たま(ソロ)のミニライブが3曲あった。どちらも曲はクラシックなアイドルポップ調、そして完全生歌で良かった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする