10月21日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[信仰のマラソン]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ヘブル人への手紙11章32~12章2節
抜粋:12:2 信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。
<要約>
今日は地元倉敷の祭りのようです。御輿を担いで街を行進して行きます。出エジプトの際、契約の箱を担ぎ進んで行った光景を想像すると何だかダブってしまいます。日本への伝道と何か関係があるようにも思ってしまいます。
この手紙は当時世界の中心であったローマで、ヘブル人や異邦人の多くに読まれたようです。私たちの信仰は古くから受け継がれ、今に至っている事、また将来の人にも受け継がれる事が記されています。神の家である教会、今も主によって私たちは、それまで他人であったとしても、その家族とされているのです。
私たちの歴史を振り返ってみると、平成の前は昭和、大正、明治・・・江戸・・・室町・・・縄文・・・。もっとさかのぼれば恐らく一つの民から皆出たと考えられます。今、富んでいる人も貧しい人も、九州の人も東京ド真ん中の皇○の人も・・・
こんな事を記すと、ある特別な方からおしかりを受けそうですが、元は限られた人から出たと考えるのが自然でしょう。元は皆、家族だったのでしょうね。
自分の身内にだけは優しい方もいらっしゃいます。ですが、元はあの人もこの人も遠い親族だったと思います。隣の人の事を自分の事と思い、接する事ができれば、何と幸いでしょうね。
私たちの信仰は受け継がれています。そして今生きる者として次の世代へマラソンのバトンタッチをして行きます。今、この瞬間に主を知らない人が主と出会い、新たな人生を歩む事が出来ますように。この世に宝を蓄えず、本籍地の天国に宝を築く事が出来ますように。
本当の喜びのために、本当の命のために、主イエスキリストと共に歩んでみませんか?
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聖書:ヘブル人への手紙11章32~12章2節
抜粋:12:2 信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。
<要約>
今日は地元倉敷の祭りのようです。御輿を担いで街を行進して行きます。出エジプトの際、契約の箱を担ぎ進んで行った光景を想像すると何だかダブってしまいます。日本への伝道と何か関係があるようにも思ってしまいます。
この手紙は当時世界の中心であったローマで、ヘブル人や異邦人の多くに読まれたようです。私たちの信仰は古くから受け継がれ、今に至っている事、また将来の人にも受け継がれる事が記されています。神の家である教会、今も主によって私たちは、それまで他人であったとしても、その家族とされているのです。
私たちの歴史を振り返ってみると、平成の前は昭和、大正、明治・・・江戸・・・室町・・・縄文・・・。もっとさかのぼれば恐らく一つの民から皆出たと考えられます。今、富んでいる人も貧しい人も、九州の人も東京ド真ん中の皇○の人も・・・
こんな事を記すと、ある特別な方からおしかりを受けそうですが、元は限られた人から出たと考えるのが自然でしょう。元は皆、家族だったのでしょうね。
自分の身内にだけは優しい方もいらっしゃいます。ですが、元はあの人もこの人も遠い親族だったと思います。隣の人の事を自分の事と思い、接する事ができれば、何と幸いでしょうね。
私たちの信仰は受け継がれています。そして今生きる者として次の世代へマラソンのバトンタッチをして行きます。今、この瞬間に主を知らない人が主と出会い、新たな人生を歩む事が出来ますように。この世に宝を蓄えず、本籍地の天国に宝を築く事が出来ますように。
本当の喜びのために、本当の命のために、主イエスキリストと共に歩んでみませんか?
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