倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[神のみ招きに答えて]メッセージ要約

2004年06月27日 | メッセージ
2004年6月27日の調布キリスト教会主日メッセージ要約「神のみ招きに答えて」
聖書:ローマ人への手紙 1章1節~7節
抜粋:1:1 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから―― 1:2 この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、 1:3 御子に関するものである。

<要約>
パウロからローマにいるキリスト者に宛てられた手紙です。ローマは約1千年も続きました。長期継続が可能となった要因は大まか以下の通りです。
①今から約2千年前(ローマの初め)から、今で言う三権分立が確立されていた。
②戦争に勝ち続け、敗戦民を奴隷とせず、ローマ国民として同化させた。
当時のローマは、多人種が集う国だったのです。
パウロはギリシャ語も話し、伝道をすすめて行った方ですが、自分をあくまで僕としています。ハタから見れば、各国の言葉に通じるエリートのように思いますが、神の僕・下男と自分を表現しています。手紙を送るだけではなく、自分もそこへ喜びをもって行き、そしてローマで殉教したのです。全ての国民のために祈り、神を信じ従順になるよう伝えたのです。愛する者のため、命をもおしまない。これが主にある僕パウロなのです。

主よ、私たち一人ひとりに自ら近寄ってくださり、愛をもって望んでくださっていることを感謝します。あなたを知らないために、もがき苦しんでいる人々がおります。どうぞ私たちをその場に召してください。感謝をもって祈ります。

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[疲れ果てた日に]メッセージ要約

2004年06月20日 | メッセージ
2004年6月20日の調布キリスト教会主日メッセージ要約「疲れ果てた日に」
聖書:ルカによる福音書 15章11節~32節
抜粋:15:32 しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである。

<要約>
6月20日、本日は『父の日』です。疲れ果てているお父さん、ご苦労様です。
現在での疲れとは大まか以下3つが原因ではないでしょうか?
 ①肉体的な疲れ・・・処方箋:休む・食べる・飲む
 ②精神的な疲れ・・・処方箋:やさしい言葉
 ③霊的な疲れ・・・処方箋:神を正しく知る
大げさに言えば、霊的に疲れがとれると全てが癒されると言っても過言ではないと思います。使徒信条にも『全能の父なる神を信じる』とあるように、父と正しい関係にあるとき、癒されるのです。
聖書のルカ伝に戻りますが、ここは『放蕩息子』としてあまりにも有名で、私自身が救われた箇所です。家を出る息子(弟)は、自分の受け取る財産を父からもらい、自由気ままに過ごします。しかし全てを使い果たし、疲れ果てた息子が父の元に帰って行く記事です。父(全能の神)は、その放蕩息子にどんな態度で接したのでしょうか?
 ①まず父は寛大なお方
息子を寛大な気持ちで送り出しました。
 ②父は帰って来ている息子を遠くからみとめた
家を出ていった時とは全く違い、みじめな息子を一目で遠くからみとめられました。
 ③あわれに思って走り寄った
父なる神の方から、あわれな息子(私たちです)に走り寄ってくださっています。
 ④首をだいて接吻した(ハッグした)
軽はずみな行動を起こし、どうしようもなくなった私たちを、そのまま愛してくださるのです。
 ⑤祝宴を開いてくださった
息子(私たち)が生きている事を喜んでくださっています。神が超越した行動で近づかれました。
 ⑥弁護してくださる
父(神)と一緒にいた兄は、祝宴を見て怒りましたが、父は弁護してくださいました。
さらに父は言われます。マタイ11:28『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。』正しく天の父なる神を知り、全てを委ね回復してくださるようお願いしてみてはいかがですか?

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[神の御思いに学んで]メッセージ要約

2004年06月13日 | メッセージ
2004年6月13日の調布キリスト教会主日メッセージ要約「神の御思いに学んで」
聖書:ヨナ書 4章11節
抜粋:4:11 ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか」。

<要約>
 今週は講壇交換で、日野高幡教会の蘇牧師がメッセージを語られました。調布主任牧師の荒井牧師は日野高幡教会でご用をされました。
 本日メッセージに選ばれたこの箇所は、蘇牧師にとって大変重要な箇所で、日本宣教を決定づけた所なのです。神ご自身が計画され実行されました。また公平な神の恵み、不変の神の愛、異邦人への宣教が記されています。そして根底には、神の無限の愛があるのです。それでは、ヨナ書を3つのポイントで見ていきましょう。
 ①ヨナを選ばれた神
ヨナが偉かったから選ばれた訳ではありません。神の栄光を現すため一方的に神が選ばれたのです。これは私たちにも言える事です。新約聖書マタイ28に「見よ、わたしは世の終わりまでいつもあなたがたと共にいるのである」と約束されています。聖霊により力を得、私たちを用いて下さっているのです。神がヨナを選ばれたように、私たちをも選んで下さっているのです。
 ②人を用いられる神
神自ら事を行えばすべて済む事ですが、あえて弱いヨナ(私たち)を選ばれました。神の業をあらわすためです。私たち一人ひとりが用いられている事に感謝しましょう。
 ③すべての人が救われることを願う神
新約聖書テモテ第一の手紙2:4に、神がすべての人が救われ真理を悟る事を望んでおられる事が記されています。神は忍耐強く私たちに接して下さっています。すべてを神に委ねてみてはいかがですか?
 友よ、兄弟姉妹よ、マンネリのクリスチャン人生に甘んじないでください。埋もれないでください。聖霊を受け、神の前に今一度へりくだり御言葉に生きてみてください。すべてを神の視線から見てください。きっと何かが変わるはずです。

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[主の嗣業の民]

2004年06月06日 | メッセージ
2004年6月6日の調布キリスト教会主日メッセージ要約「主の嗣業の民」
聖書:詩篇 33篇1節~22節
抜粋:33:12 主をおのが神とする国はさいわいである。主がその嗣業として選ばれた民はさいわいである。

<要約>
 先週はペンテコステ礼拝で人々の上に何が起こったかメッセージがなされました。今週はその後をお伝えします。今週の聖書の箇所である詩篇33篇は、大いに主なる神を賛美し栄光を帰する歌が記されていますが、もう一カ所も参考にして進めます。それは使徒たちに何が起こったか?詳しくは使徒行伝2章40~47節に記されていますが、何と使徒にバプテスマを受けた者が3千人が加わり、主が仲間に加えてくださったのです。何を中心に当時のエクレシア(教会)は重要なポイントとしていたのでしょうか?
まずは使徒行伝から・・・
 重要ポイント①:使徒達の教えを守り(↓上から下へのベクトル)
 重要ポイント②:使徒の交わり(←→横方向のベクトル)
 重要ポイント③:パンをさき(↓天国の食卓の意 聖餐)
 重要ポイント④:祈った(↑下から上へのベクトル)
主イエスのご臨在を確信した使徒達は、恐れおののきます。本当にいらっしゃる事が確認されたからです。
 次に詩篇へ戻りますが、この33篇は大いに主を賛美(↑下から上へ)している様子が記されています。そして主なる神は、『神みずからが選ばれた民』と言われています。主を自分の神とする国・人は本当に幸いです。そしてエクレシア(教会)は神のものです。
現在は個人所有(マイホーム・マイカー・など)が当たり前となっていますが、私達自身が神のものであるのと同じで、所有するものはすべて神のものです。物質だけではありません。喜びや悲しみ、悩みなども自分一人のものではなく、教会のものそして神のものです。
聖書の時代にあったように、神の家族である信徒の交わりこそ現在において重要であるのです。私達は決して一人ではないのです。

主よ、私をあなたの思いのまま遣わしてください。主の十字架以外に何がありましょう。主よ委ねてください。また私に委ねる事ができるように私を変えてください。

PS
今週から調布教会では、『愛餐会』が復活しました。それにより、礼拝後スッといなくなる信徒の皆様と交わりが持てました。本当に感謝です。当分は月1回ですが・・・

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