倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

【説教】「あなたの目は澄んでいますか」 2015/08/30

2015年08月30日 | メッセージ
【聖書】マタイによる福音書6章19~24節
24:だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

主の御名を賛美します。

 突然ですが、旅を計画する時に大切な事は何でしょうか?
それは、①目的地 ②旅以外余計な事は考えない ③持ち物は少なく ではないでしょうか? 私も仕事で旅をよくしますが、③にはいつも悩まされています。徒歩移動が多い時などまさに何を減らそうかと考えてしまいます。
クリスチャンにとって今を生きる事自体が『旅』の途中で、目的地は天の御国です。何に留意して生きて行くのが良いと聖書が語っているのでしょうか。以下3つの視点で見てまいります。

(1)天に通じる宝
宝とは・・・?
それは自分を活かし、幸せにする物や事ではないでしょうか。ある宣教師が人食い族に宣教に行った際、ある家に多数の骸骨が並べてあったそうです。彼らはそれが家の宝だと。人食い族にとって宣教師は宝がきた! と思ったかもしれません。その後の宣教師については・・・知らされていないようです。
今の瞬間を生きている私やあなたにとっての宝とは? 生きるために必要なお金ですか? 住まいですか? それとも地位や名誉ですか?
今を寄留地として生きている瞬間にはある程度必要かもしれませんが、将来のすみかである天の御国ではまったく必要ではありません。それどころか多くの宝と思っているものが逆に害を呼び妨げともなります。本当の宝とは、神の国と義を求める事、それこそが最も大切な宝だと思います。

(2)目が澄んでくる宝
澄むとは・・・シンプルで単純な事です。物惜しみしない心の事です。
天の宝を見れば見るほどシンプルになります。天の宝のために献金や献身をする事は良いことと思いますが、それが見返りを求めたり、名誉のための捧げ物になっては本末転倒です。まるで律法学者やコリント人のようですね。
聞く話ですが、ある宗教の教祖へ捧げても捧げても報われない人にたいして「それは、あなたの捧げ物が足らないからです。もっと捧げなさい」と言ったそうです。これはもはや宗教ではなく、単なる騙り集団であり詐欺団体ですね。現世にはこのような団体があなたに臨もうとしているのです。
宝は心でささげるものだと思います。

(3)神様こそ宝
人は宝と思うものに使えます。それは前述しましたお金や住処、名誉などに押しつぶされてしまう人もいます。食べる物も惜しんで金を貯め、交通事故にあって瞬間で終了したり、立派な家を建てた翌日火災にあったり。これは物語ではなく現実の事です。聖書は二つの主人すなわち、神様と富に仕える事はできない。そう言っています。当たり前の事ですが、どちらも中途半端に大切にする事は、どちらも裏切っているという事です。二重スパイのような事から卒業し、本当の主人を見つける事ができ、仕えるなら幸いです。

 神様を礼拝する事は、神様の支配を確認する事です。日曜礼拝すなわち『サービス』は神様に従い奉仕をさせて頂く事です。もしまだ本当の主人なる神様にお会いした事のない人がいるなら、まず神様を知る事から始められてはいかがでしょうか?


今週も主により、素晴らしい日々をお過ごしください。

テケテケ

【説教】「試みに会わせないでください」 2015/08/23

2015年08月23日 | メッセージ
【聖書】マタイによる福音書6章13節
13:わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください。

主の御名を賛美します。

 最近も暗い悲しい事件が続いています。大阪では中学生の2人が殺されてしまいました。その犯人は再犯者だそうですが、出獄後の管理チェックなどを強化して頂きたいと改めて思います。
試みに会わせないでください。と言うと何だか災害や誘惑に触れる事がないように。と勘違いしそうですが全く違います。人と接しなくて無菌室に居続ける事など出来ないのです。では聖書は試みについてどう私たちに伝えているのでしょうか。以下2つの視点で見てまいります。

(1)試みは必ず誰でも経験する
試みは神様の許しの元にやってきます。ヤコブは手紙の中で、試練に会う事は喜ばしい事だと記しています。試みはそのものが重大ではなく、誰の働きで自分に及んだのかが重要なのです。試みがあった時、引き込まれるのか、それを避けるのかが重要なのです。
試みはいろいろやってきます。お金が儲かるぞ! 名誉があるぞ! 神様からの試みなのか、自我欲求や他者からの陥れなのか、誰からの試みかを見極める事が重要なのです。
アダムとエバは同じ木の実の事で神様とサタンとに試みを与えられ、サタンの試みにはまってしまいました。今の世も同じで、常にサタンの試みがあなたのまわりに渦巻いているのです。神様の試みを選び、邪悪なものを寄せ付ける事がありませんように。

(2)成長させるために試まれる
試みなんかなく、楽しい日だけなら良いのに。好きなことだけで嫌いな事など来なければ良いのに。
そう思う事もあるでしょう。しかし神様はあなたの成長のためにあえて試みを与えられそれを克服できるようにされているのです。学校や会社で辛い試練もあるでしょう。しかし神様は全てご存じで、立ち止まって今を知り、成長させておられるのだと思います。決して乗り越えられない試練を神様はお与えにならないからです。

 試みは神様からもサタンからも同じようにやってきます。サタンの試みの方が魅力的かも知れません。自分の欲望で見てしまうとサタンの罠にまんまとはまり、人生を棒に振る事となるでしょう。しかし神様からの試みを選んだ方は辛い道を選ぶ事かも知れませんが、あなたを成長させる神様からのプレゼント、ご計画だと思い受け止める事ができますように。これからもいろんな試みがあなたにやって来るでしょう。その時にこれは神様からかサタンからか、まず立ち止まり祈りの中で神様の御声を聞く事ができるなら幸いです。

今週も主により、素晴らしい日々をお過ごしください。

テケテケ

【説教】「隣人とはだれのことですか」 2015/08/16

2015年08月16日 | メッセージ
【聖書】ルカによる福音書10章25~37節
36:この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。37:彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。

主の御名を賛美します。

 昨日の8月15日は、敗戦70年を迎えた日でした。どんな事があっても戦争をしてはならない事を改めて確認した日でした。またそれに関わる後方支援などの行為自体が戦争に参加している事に国民全員が気づき、戦争法案自体を廃案にしなくてはならないのです。新たな神を無視した人間の思いで国が動きませんように。
 今日は隣人とはだれのことですか? というタイトルから以下3つの視点で見てまいります。

(1)律法学者と語り合う主イエス
10:25 イエスを陥れようと試みる律法学者が登場しています。永遠の命を得るためになにをしたら良いかと主に質問しています。主はあなたはどう律法を読むか? と質問を返され律法学者は、主なる神を愛せ、自分を愛するように隣人を愛せと模範解答をしました。隣人を愛する事ができるためには順番があります。
①神を愛する ②自分を愛する ③隣人を愛する の順です。神を愛せない者が隣人を愛する事など出来ないのです。

(2)慈悲深いサマリヤ人の話をする主イエス
10:30 主はたとえ話をされました。それはユダヤ人がエルサレムからエリコへ向かう旅に起きた出来事を話されました。その道中は標高差が千メートル以上もあり、旅をするのに難所でしかも強盗が出る危険な場所でした。その旅人は途中で襲われ半殺しにされ、金品や衣服まで取られ放置されていました。そこへ宮に使える祭司やレビ人が通りかかりますが、見て見ぬ振りで遠くを通り行ってしまいました。助けるつもりなどありませんでした。
ところがそこへ、ユダヤと敵対しているサマリヤ人が通りかかります。敵ですから無視して通り過ぎると思いますがその人は近寄り、オリブ油とブドウ酒を彼に塗り、自分が乗ってきた家畜にその人を乗せ宿屋へ連れて行きました。そして宿屋の主人に介抱をお願いし代金は帰りに自分が払う約束をして旅を続けました。

(3)慈悲深い者になることを求める主イエス
10:37 律法学者は隣人とは慈悲深い人です。と主に答えています。主は「あなたも行って同じようにしなさい」と行う事を求められました。思う事から一歩進み、行って(行動)しなさいと言われているのです。

 ここで登場する宿屋とは天の御国の事、そして隣人のサマリヤ人は主イエスキリストだという事はすでにお気づきと思います。これを読むあなたはすでに神を信じ神を愛されている事と思います。そしてその神からあなたは愛されているのです。そのあなたが隣人を愛せない事などないのです。聖書で登場しているサマリヤ人は自分たちを攻撃する者をも助けています。もし今あなたに危害を加えている者、また許せない者がいるなら祈り、慈悲を持って愛する事が出来るなら幸いです。

今週も主により、素晴らしい日々をお過ごしください。

テケテケ

【説教】「人生の新しい一歩」 2015/08/09

2015年08月09日 | メッセージ
【聖書】ヨハネによる福音書8章1~11節
11:女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。

主の御名を賛美します。

 暑い日が続いていますがお元気でお過ごしでしょうか。 本日は長崎に原子爆弾が投下されてから、70年を迎えました。アメリカ国内でも、戦争を止めるために原爆を投下したのは当然だったという国の洗脳をおかしいと思う人々がやっと現れたようです。原子爆弾は巨額な開発費を費やして完成し、その威力を実験として検証する必要があったため、広島と長崎に落とされた。それが間違いのない事実のようです。犠牲になられた多くの方々、ご家族のためにお祈りいたします。

 イエス様に出会って頂いた方々を見ておりますが、今回は姦淫の場で捉えられた女性が登場いたします。イエスを陥れようと、パリサイ人たちが女を連れて来たのです。この箇所から以下3つの視点で見てまいります。

(1)試される主イエス
8:1 朝早く祈るためにオリブ山に登られそして下り宮に入られた主イエス。そこに多くの群衆が主の教えを聞こうと集まって来ました。主が教えられている最中、パリサイ人たちが教えを邪魔するように、姦淫の場で捉えられた女性を中央にひっぱって来ました。主の教えをかき乱し妨害したのです。そしてパリサイ人たちが主に「モーセは姦淫の女を石で打ち殺せと言っていますがあなたはどう思いますか?」と聞き出したのです。白黒はっきり答えればどちらもパリサイ人たちの思うつぼでした。さて主はなんと答えたのか?

(2)地にものを書く主イエス
8:7 すると主は身をかがめ、地に何かを書きはじめられました。何を書いておられたかは聖書に記されていません。そしてしばらく沈黙されました。イライラが増すコリント人たちは何度も主に答えを出すように促しますが、沈黙を守られる主でした。しばらくして主は「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と語られると、再び地に何かを書き続けられました。聞いたパリサイ人たちは長老から一人去り、そしてすべての者がそこから去って行きました。そして女は一人残されました。

(3)人をいかす主イエス
8:10 主は女に「みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」と聞かれると女は「誰もございません」と答えました。主がそこにおられるのですが、自分の罪を罰する事などないと思いこんでいたのでしょう。そこで主が「私もあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」と答えられ、罰する事なく、女を解放し新しい一歩を進ませられたのです。

 それからしばらくして主イエスはこの女の罪、今を生きる私たちの罪のために十字架にかかられました。この女がその後どうなったのかは解りませんが、間違いなく新しい一歩を進んだのだと思います。主に自らの罪を告白し、すでに主によりそれがゆるされている事を知る。そう思う事ができるなら幸いです。
今日の倉敷教会の礼拝、クーラーが利かないほど多くの方々が出席され、主の愛、主の恵みに感謝のひとときを持つ事ができました。悩みのある人があるならぜひお近くの正統的なキリスト教会へお越しになって共に主の言葉をお聞きしましょう。教会はあなたのお越しを待っています。

今週も主により、素晴らしい日々をお過ごしください。

テケテケ

【説教】「神よ、おゆるしください」 2015/08/02

2015年08月02日 | メッセージ
【聖書】マタイによる福音書6章12節
12:わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。

主の御名を賛美します。

 突然ですが、私たちが生き続けていくために絶対必要な物、事が二つありますが、お解りでしょうか?
それは、食物(飲み物も)と自分以外の人からゆるし、また自らがゆるす事です。本日は『ゆるし』について見てまいります。

 ゆるしはどんな時に発生するのでしょうか? それは自分と他の人の間に発生します。ちょっとしたウソをついたりすると、そこに罪が生まれます。その方との信頼関係が瞬時に崩れてしまいます。罪とは負債の事なのです。主の祈りでは、神様への負債をなしにしてください。そう祈っているのです。

 ある者が1万タラントという巨額の借金を貸し主の王様(神様)からゆるしてもらいました。その額は現在の価値で約64億円。それを何とゆるされたのです。しかしそのゆるされた者が自分が貸してやっていた友人に100万円貸していました。その人に向かって、どんな事をしても返せ! と言い張りました。 64億円をチャラにされた者が100万円をどうしてもゆるせないのです。解りやすく単位を小さくしますが、王様にゆるされた額を64万円とすると、どうしてもゆるせない友人に貸した額は『わずか1円』なのです。その少額さえ許せないのです。
 主の祈りを順番通り見てみますとまず、私たちがゆるしますので、私たちもゆるしてください。私に借金がある者をゆるしますので、私が神様から借りている借金をゆるしてください。そういう祈りになるのです。
 
 いじめ問題も少しにています。人をゆるす事ができず、無視したり暴力をふるう。相手は何も危害を与えていないのに、イライラするとか、たんに嫌いとか雰囲気が合わない。そんなちんけな事でいじめをエスカレートさせて行くのです。自分がやられたらどうか? そんな事など考えもしない。 あの64億円をチャラにされたのに少額を貸していた者をゆるせないのと同じです。これが神を知らない人間、自分勝手な生き物なのです。

 主の祈りをもう一度見てみますが、私がゆるしたように私もゆるしてください。そうなります。ですが、どうしても波長の合わない人を認める事ができない者は「私があの人をゆるせないように、神様私もゆるさないでください!」そうなるのです。神様のゆるしなしに、私たちは生きて行く事などできないのです。
また、人をゆるす事によって初めて自分がゆるされている事がわかるのです。そして自らを謙遜の者とする事となるのです。

今週も主により、素晴らしい日々をお過ごしください。


テケテケ