倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[神の福音は大きくふくらむ]キリスト教礼拝メッセージ要約

2013年02月24日 | メッセージ
2013年2月24日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ要約をアップいたします。

聖書:ルカによる福音書13章18~21節
抜粋:18:そこで言われた、「神の国は何に似ているか。またそれを何にたとえようか。19:一粒のからし種のようなものである。ある人がそれを取って庭にまくと、育って木となり、空の鳥もその枝に宿るようになる」。

<要約>
主の御名を賛美します。

 神の国について何に似ているか、祝福の働き、恵みとはどんなものなのかが記されている箇所です。似ているものとして二つが記されています。まず①からしだね と ②パンだね です。
からしだねとは、小さいゴマのような種のようです。パンだねはイースト菌(目に見えないほど小さい)のようです。共通している事は、そのままでは小さく目立たず、数にも入れられないようなもの、と言う事です。

 主イエスキリストも小さな者でした。しかも大祭司から生きていては困る人でした。パウロも自身をチリのような小さなものと自らを表現しているほど自らを小さくした方でした。

 からしだねは育つと大きな木となり、安らぎを与えるロッジとなります。パンだねも何十倍、何百倍と膨らみ大きくなります。今小さくても命が働き大きくなるのです。二つとも、自分が頑張ったから大きくなった訳ではなく、ほっとかれ育ったのです。ほっとけば良いのに、あれこれとイジり、ほっておけない事が問題なのです。

 しかし、どうして大きく育ったのでしょう?
ある人がからしだねを取って庭にまいたから大きな木となりました。また、ある人が三斗の粉にパンだねを混ぜると何と150人分ものパンに膨らんだのです。そのままではタネも死んでしまいます。取る事、これこそ私たちが行う事なのです。
 目に見えないほど小さなものも、手に取ってまくと大きく育ちました。小さな福音も取って伝え、まく事で大きな福音となるのです。大切な事は、新たに手に取ろうとすると、今持っているものを捨てなくてはなりません。手が開いた時に新たなものが手に入るのです。

 あなたが今、手に持っているものは何ですか?
捨てたくないと思い続けているものを捨て、新たな福音、恵み、平安、祝福を手に入れたいと思いませんか?
主はあなたが手のひらを開くのを今か、今かとまっておられます。
 今週も主に感謝し、恵み多き週をお過ごしください。


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[モーセの悲しい失敗]キリスト教礼拝メッセージ要約

2013年02月17日 | メッセージ
2013年2月17日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ要約をアップいたします。

聖書:民数記20章1~13節
抜粋:11:モーセは手をあげ、つえで岩を二度打つと、水がたくさんわき出たので、会衆とその家畜はともに飲んだ。

<要約>
主の御名を賛美します。

 モーセの生涯も28回目の講解説教となりました。
メッセージに入る前、山脇望牧師の弟で、戸田教会の牧師、山脇巌師が天に召されました。倉敷の山脇牧師ご夫妻は坂戸教会で行われる葬儀のため上京されました。師のお働きに感謝するとともに、安らかなお眠りを祈ります。

民数記20章より、モーセの失敗について見てまいります。あのモーセになにがあったのでしょう。

(1)モーセの姉ミリアムの死
20:1 エジプトを出て37年が過ぎて行きました。不信仰に戻ってしまった民。そんな時、モーセの姉ミリアムが亡くなりました。モーセが生まれた時、命を救おうとナイル川にカゴで流し、パロの娘が見つけました。そして乳母を捜し育てさせましょうと提案し実現する姉でした。またモーセばかり神から用いられる事に嫉妬を覚えねたむ姉でもありました。亡くなり葬ったと、聖書にはたったこれだけですが、モーセは小さい時の記憶から今までが走馬燈のように出てきたことでしょう。良くも悪くも大きな影響、刺激を与えた姉が亡くなりました。

(2)民のつぶやきとモーセの失敗
20:2 Ⅱコリントにあるように、民と共に水脈が移動し、渇きが潤されてきました。岩の中からわき出す水を民が飲み、回復しました。新訳のまさにキリストに他ならないものです。民は水がない、ぶどうもないとつぶやくばかり。なぜ水が得られないのか考えもしない二世たちでした。
今の地を、蜜が流れる豊かな地と見るか、荒野と見るかで心は真反対になってしまいます。しかし神の慈しみはどんな時でも変わる事はないのです。
神はモーセに杖を持たせ、岩に命じ水を出すよう伝えます。モーセの失敗はここで起こってしまいます。
①岩に命じよと言われたのに岩を杖で叩いた。 ②神の業を信じず二度も岩を叩いた。

(3)アロンの大祭司の継承と死
20:22 その後モーセ、アロンと民はカデシからホル山に移動しました。アロンは大祭司の務めを子のエレアザルに任せそこではてました。

たった一度神の言を信じず疑ったモーセ。神がご用意されたカナンに入る事がゆるされなかったモーセでした。
今、私たちには岩なる主イエスキリストがおられます。私たちの過ちを受け入れてくださり、信じる事で聖としてくださっているのです。

今週も主にあり感謝に満ちた素晴らしい日々をお過ごしください。



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[カナンの地の偵察]キリスト教礼拝メッセージ要約

2013年02月10日 | メッセージ
2013年2月10日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ要約をアップいたします。

聖書:民数記13章17~33節
抜粋:17:モーセは彼らをつかわし、カナンの地を探らせようとして、これに言った、「あなたがたはネゲブに行って、山に登り、18:その地の様子を見、そこに住む民は、強いか弱いか、少ないか多いか、19:また彼らの住んでいる地は、良いか悪いか。人々の住んでいる町々は、天幕か、城壁のある町か、20:その地は、肥えているか、やせているか、そこには、木があるかないかを見なさい。

<要約>
主の御名を賛美します。

 モーセの生涯も27回目の講解説教となりました。今回を入れてあと4回で終わり、次はヨシュアの生涯を予定しています。聖書からカナンの偵察を見てまいります。

 主なる神はモーセに、人をつかわしてカナンの地を見て来なさい。と伝え、モーセは12部族に一人ずつ代表者を出して偵察隊を作りました。中にホセアが選ばれ改名しヨシュア(主は救い)も含まれていました。
神はカナンの地を民に与えると言われているのに偵察が必要だったのか? そして主は何を見てくるように、そしてどんな報告を待っていたのか?
モーセは具体的に神の言葉を偵察メンバーに伝えます。それは、山にのぼり、その民は強いか弱いか、多いか少ないか、地は良いか悪いか、城壁はあるか、木があるか(水があるか)、あれば果物をとってくるようにと。

 13:21 そこで・・・40日間の偵察を終え帰ってきました。
報告は二つに分かれました。まずその地の民は大きく強い、また城壁もあり攻めると滅びるだろうと言う者が10名。反対者はさらに恐怖を強調し、悪い噂を流しました。
大丈夫だ、神がついているから。と報告したのはカレブとヨシュアの2名だけでした。2人だけが神を通してカナンの地を見、残りの者は神を向こうに置いて自分の感情で見たのでした。神がその地を与えると断言しているのに、自分の見た事を信じ、自分を神としてしまったのです。

 さらに恐怖を訴える民は泣きわめき、つぶやき神を信じませんでした。その時・・・「私を信じないのか、あなどるのか」と神の声が。申命記1:29~32に記されているように、神はあなたを抱くが、あなたがたは信じなかった。その通りになってしまいました。

 神様を通して物事を見るか、それとも神様には退いていただき、物事を見るか?
結果は真反対になってしまいます。信じる事のできる信仰が与えられますように。信仰によって歩む事が出来ますよう祈ります。
今週も主にあり素晴らしい日々をお過ごしください。


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2月4日(月)のつぶやき

2013年02月05日 | メッセージ

[見えない人が見えるようになる]キリスト教礼拝メッセージ要約 blog.goo.ne.jp/te-ke-te-ke/e/…


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[見えない人が見えるようになる]キリスト教礼拝メッセージ要約

2013年02月03日 | メッセージ
2013年2月3日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ要約をアップいたします。

聖書:ヨハネによる福音書9章1~7節
抜粋:7:「シロアム(つかわされた者、の意)の池に行って洗いなさい」。そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰って行った。

<要約>
主の御名を賛美します。

 お母さんが子どもに乳を与える距離は約30センチくらいだそうです。その距離の中に親子の大切な絆が生まれているのです。この箇所で生まれつきの盲人が登場します。生まれつきですから、距離を見て感じる事も出来なかったのでしょう。そして今まで、物乞いをして生きていたようです。
 弟子たちはイエスに、なぜこの者が見えないのか、誰かが罪を犯したからですか? と問いました。
どこかの国の宗教ににていますね。お祓いしたら治るとか、壷を買ったら治るとか・・・
イエスは弟子たちに「ただ神のみわざが彼の上にあらわれるために」と言われ、以下の行動を取られました。

(1)私はこの世にいる間は世の光である。
光があるからものが見える。この盲人には光がなく、見る事ができません。そして見られている事も。外に出かける前、鏡に向かい髪型や化粧を施します。鏡があるから見えるのではなく、光があるから見える事を覚えなくてはなりません。その光こそが、主イエスキリストなのです。

(2)どろを盲人の目に塗って、シロアム(つかわされた者)の池に行って洗いなさい。
主イエスは地につばきをし、どろをつくり盲人の目に塗りました。30センチほどの距離だったと思います。塗られた盲人は言われた通り従い、池で流すと見えるように変えられました。生まれて初めて景色が見えました。そして神の子イエスも見えました。

 昔は何も見えなかった私、そしてあなたがイエス様により見えるように変えられました。今までとは全く違う生き方、新生したのです。見えるように変えられた盲人は、今までと同じ所に帰っても、もはや違う人に変えられました。もう物乞いする者ではなく、自ら立つ者となったのです。
 主イエスはまだ知らないあなたにも、「私は世の光です。シロアム(キリストの教会)へ行き、見えるようになりなさい。」と言ってくださっているのです。



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