倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

【聖書】マルコによる福音書10章1~16節 【説教】「主イエスの祝福を頂く幸い」 2024/6/30 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年06月30日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書10章1~16節
【説教】「主イエスの祝福を頂く幸い」

中心聖句
15: よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第10 章1~16 節
「よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受け いれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」 (10:15)

 イエスさまにさわっていただくために、人々は幼な子をイエ スさまのもとにつれて来ました。ところがここで問題が発生しま す。イエスさまの弟子たちは連れて来た人たちのことを叱った のです。おそらく弟子たちは、幼な子が来ることによって、イエ スさまの手を煩わすことのないようにと考えたのでしょう。けれ ども、弟子たちの行動に対しイエスさまは憤られ、15 節のよう にお答えになられたのでした。

 幼な子たちは、イエスさまのもとに連れて来られるのに何の 迷いや疑いも感じていません。このような素直な幼な子たちを 指して、「神の国はこのような者の国」(10:14)だとイエスさまは 教えられたのでした。12 人の弟子たちは、イエスさまのために 良かれと思って行動したのかもしれませんが、本当に大切な ことは何であるのか分かっていなかったのです。

 イエスさまは今も私たちに「だれでも幼な子のように・・・」と語 っておられます。自分の考えや経験によって神さまを推し量る のではなく、素直な気持ちでイエスさまの祝福を受け取り続け ることで、神の国への道が開かれ続けるのです。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ

【聖書】マルコによる福音書9章42~50節 【説教】「神の国に入るために」 2024/6/23 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年06月23日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書9章42~50節
【説教】「神の国に入るために」

中心聖句
42:また、わたしを信じるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい。

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第9 章42~50 節
「・・・あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和ら ぎなさい」(9:50)

  イエスさまはとても厳しいことを話されました。まず 42 節で他 人をつまずかせてしまう者は、海に投げ込まれた方がよいと 言われています。次に 43~49 節で自分をつまずかせる問題 を抱えている者は、その問題となる部分を切り捨てるか抜き出 す方がよいと言われています。なぜイエスさまはこのようなこと を教える必要があったのでしょうか?それは神さまの前に罪を 犯したままでは、「神の国」に入ることができないからです。自 分の罪を認め、神さまに赦しをいただかねばなりません。だか ら、イエスさまは具体的な例をもって教えられたのです。最後 にイエスさまは「塩を持ちなさい」(9:50)と教えられました。塩 は腐敗を防ぐことを目的として料理に使うことがあります。イエ スさまについていくためには、イエスさまを信仰の中心に据 え、信仰が腐敗しないようにし、まわりにいる人々と平和な生 活をおくっていくように求められているのです。 私たちは他人をつまずかせていることはないでしょうか?ま た、自分の信仰生活につまずきをもたらすような問題を抱えて いないでしょうか?

 私たちは悔い改めるべきことがあったら、 いつでも素直に悔い改めましょう。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ

【聖書】マルコによる福音書9章38~41節 【説教】「主イエスを伝えるために」 2024/6/16 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年06月16日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書9章38~41節
【説教】「主イエスを伝えるために」

中心聖句
41:だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう。

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第9 章38~41 節
「だれでも、キリストについている者だというので、あなたがた に水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決して その報いからもれることはないであろう。」(9:41)

 12 弟子の一人であったヨハネは、自分たちについて来ない 人が悪霊を追い出すのは問題だとしてやめさせたことをイエ スさまに告げます。ところがイエスさまは「だれでもわたしの名 で力あるわざを行いながら、すぐそのあとで、わたしをそしるこ とはできない。わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味 方である。」(9:39~40)と答えられたのでした。イエスさまの名 前を用いることができる人は、イエスさまの悪口を言うようなこ とはしないし、12弟子のように寝食を共にする関係でなくとも、 「わたしたちの味方」であるとイエスさまは教えられたのです。

 ヨハネは、四六時中ずっとイエスさまについてこなければ味 方でないという思いこみがあったのでしょう。けれどもイエスさ まにとっての味方とは、12 弟子だけに限定されることのない関 係であるのです。

 従って、牧師やごく一部の人だけがイエスさまの味方なので はありません。イエスさまを信じた人は皆、イエスさまの味方で す。だからこそ私たちは、イエスさまを伝えるようにと神さまに よって教会に集められているのです。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ

【聖書】マルコによる福音書9章30~37節 【説教】「私たちを弟子として招かれる主イエス」 2024/6/9 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年06月09日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書9章30~37節
【説教】「私たちを弟子として招かれる主イエス」

中心聖句
37:「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。そして、わたしを受けいれる者は、わたしを受けいれるのではなく、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである」。

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第9 章30~37 節
「だれでも、このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに 受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。」(9:37)

  「だれが一ばん偉いか」(9:34)ということを議論していた弟子 たちに対してイエスさまは2つのことを教えておられます。

①「・・・一ばんあとになり、みんなに仕える者とならねばならな い。」(9:35) なぜ、一ばんあとなのでしょうか、一ばんあとにいると、前が 見えるからです。先頭に立っていたのでは、後ろは見えませ ん。先頭ではなく一ばんあとになって、人に仕えなさいとイエ スさまは教えられたのです。

②「・・・このような幼な子のひとりを、わたしの名のゆえに受け いれる者は、わたしを受けいれるのである・・・。」(9:37) 幼な子は一人では生きていけません、様々な面で誰かの助 けが必要です。他者の助けを必要としなければならない人を 受け入れなさいとイエスさまは教えられたのです。

①と②の何れも、弟子たちにとっては全く気付いていなかっ たことでしょう。弟子たちは、世の中の価値基準にとらわれて、 本当に必要なことを考える余裕がなかったのです。 私たちもまたイエスさまの弟子として招かれていることを覚 え、人に仕え、助けを必要としておられる方に寄り添っていく ことを大切にいたしましょう。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ

【聖書】ローマ人への手紙10章1~13節 【説教】「主の御名によって得られる救い」  2024/6/2 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年06月02日 | メッセージ
【聖書】ローマ人への手紙10章1~13節
【説教】「主の御名によって得られる救い」

中心聖句
13:なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」とあるからである。

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

ローマ人への手紙第10 章1~13 節
なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」と あるからである。(10:13)

 ローマ人への手紙を書いたパウロは、神さまによって救われ るために必要な条件として(1)「自分の口で、イエスは主である と告白する」(2)「自分の心で、神が死人の中からイエスをよみ がえらせたと信じること」、をあげています。

 つまり、神さまからの救いをいただくのには、多くの財産を蓄 えたり、多くの功績を残したりする必要はないことが分かりま す。神さまを信じる信仰だけで良いのですから、神さまの救い に差別ありません。

 ヨハネによる福音書3章16節には「神はそのひとり子を賜わ ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者 がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」と書いて あります。神さまの救いに差別がないのは、「ひとりも滅びな い」ためにあるのです。

 天地万物を造られた神さまは、全世界の全ての人が、神さま を信じて欲しいと願っておられます。私たちの家族や友人が 一日も早く「主の御名を呼び求める」ことができるように祈り続 けてまいりましょう。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ