倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

救い主が生まれた

2005年12月27日 | メッセージ
2005年12月25日、調布キリスト教会の「クリスマス礼拝」メッセージ要約です。
聖書:ルカによる福音書2章1~20節
抜粋:ルカ 2:11 きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

要約:
 クリスマスおめでとうございます。
クリスマスとは「キリスト」「ミサ」、すなわち主イエスキリストを礼拝するという意味です。メシアとしてお生まれくださった主イエスですが、私たちが滅ぶ事のないよう、救い出してくださるために生まれてくださったのです。3つの滅びからテキストを見ていきます。
 ①悪魔からの誘惑
私たちは悪へ導こうとするサタンの攻撃を受けています。悪行だけではなく、不安へ引きずり込みような思いもそうです。その攻撃から守ってくださるのが主イエスキリストなのです。
 ②死からの解放
ヘブル2:14には、死の力によって生涯つながれてしまっている人が記されています。死の恐怖の奴隷になっているのです。私たちの肉体は100%死んでしまいますが、その後、霊の裁きを受け主イエスによって救われたものは死から解放されるのです。
 ③神の前での裁き
私たちは神が目的をもって想像され創られたものですから、行った事について申し開きをする事となります。神自ら私たちを裁かれるのです。しかし私たちクリスチャンは既に主イエスによりすべての罪が白くされています。何と感謝な事でしょう。

 主イエスキリストは、神にたいして不完全な私たちを聖めてくださり、肉の死後、永遠の命を与えてくださるために生まれてくださったのです。
このクリスマスを機会に、まだクリスチャンでない方、自らの罪を主イエスに告白し、すべての罪を白くしていたきませんか?もう、人を恨んだり、悪の思いをやめてみませんか?死への恐怖を今日限りにしませんか?
 お金も努力も必要ありません。ただ自分の罪を告白し「主イエスを私の救い主と信じます」と告白するだけです。もし今、悩みの中にいらっしゃる方がおられましたら、ただただ主イエスを自分の中にお迎えしてください。

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引越に向けて

2005年12月27日 | Weblog
来年1月、本社への転勤となります。そして今日、本格的な職場の荷出し作業が開始となりました。
ウェディング関連の仕事ですが、立ち上げ1年半での撤退を会社が決断、そして今日の備品撤去となりました。
対前年150%の伸びを見せていただけに、不思議な思いがいっぱいですが、これも主のご計画、まるごと「感謝します」と受け取ります。

主なる神様、御名をあがめます。
目の前で今までの想い出がなくなって行っていますが、これを乗り越えられる試練としてくださった事に感謝いたします。今から後もすべてご存じで導いてくださる事に感謝いたします。

クリスマスのイベント

2005年12月24日 | メッセージ
ハレルヤ!
2005年のクリスマス・イベントをご案内いたします。

◆12月24日(土)
 17:30~東京都調布駅前にて「クリスマス・キャロル」
 19:00~調布キリスト教会で「イブ・キャンドル礼拝」
◆12月25日(日)
 10:30~調布キリスト教会で「クリスマス礼拝」
 12:30~調布キリスト教会で「クリスマス祝会」
いずれの集まりも、自由にご参加いただけます。ただし、「クリスマス祝会」では、プレゼント交換がありますので、1,000円程度のプレゼントをご準備して起こしくださいね。

調布キリスト教会

クリスマスまであと・・・

2005年12月21日 | 伝道
私達の罪のため、お生まれになり十字架にかかられた主イエス・キリストに心から感謝いたします。
この箇所から以下の2つにスポットを当て、み言葉をみてみます。
①いと高きところでは神に栄光があるように
・超越された方
いと高き方とは、全てを超越された方。すなわち光を創り人をも創られた方なのです。
・全てにおいて啓示される方です。
・救い出される方
主イエスは、『いと低き』姿でこの世に現れてくださいました。それはどんな人に対しても救いがある事なのです。
②み心にかなう人々に平和があるように
神の願いです。この主イエスの誕生を羊飼いにお教えになられた神。だれもが神を礼拝できる事を示されたのです。へりくだる心を持つ者に礼拝する事をゆるされているのです。

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クリスマスは教会で!

2005年12月21日 | 伝道
クリスマスまで、あと4日となりましたね。
今年は、「キリスト教会」で本当のクリスマスを体験してみませんか?
何にも恐れる事も、不安になる事もありませんよ。

街々では、「メリークリスマス」が響いています。ほとんどの人は、そのクリスマスの意味を知らないまま、口ずさんでいるのです。
「クリスマス、おめでとうございます!」「主イエス様、お生まれくださりありがとうございます」という意味なのですが・・・

私の集う「調布キリスト教会」では、クリスマスのイベントを企画しています。
12月24日:キャンドルサービス(キャンドル礼拝) 19時~19時40分
12月25日:クリスマス礼拝 10時30分~11時45分
12月25日:クリスマス祝会 12時30分~14時30分

どのプログラムもご参加無料です(祝会では1000円程度のプレゼント交換あり)
ご一緒に、本当のクリスマスと過ごしませんか?

クリスマスの訳③

2005年12月18日 | メッセージ
いよいよアドベントの第4節に入りました。
12月18日調布キリスト教会主日メッセージ「クリスマスの訳③」の要約をアップいたしましたのでご覧下さい。

聖書:マタイによる福音書5章17~20節
「1 マタイ 5:17 わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。2 マタイ 5:18 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。3 マタイ 5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。4 マタイ 5:20 わたしは言っておく。あなたがたの義が律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、決して天国に、はいることはできない。」

<要約>
 マタイによる福音書5:17に、主イエス・キリストがこの世に生まれてくださった訳が要約されています。律法を成就するために来られたと言われているのです。当時主に従う者に「信仰によって救われるのだから、古い律法は不要だ!」と考える者もいたようです。しかし主イエスは、その律法を廃するのではなく、成就するために来られたと言われるのです。それは過去の人に言われているのではなく、今の私たち一人ひとりに語られている事を忘れてはなりません。
この箇所から離れますが、マタイによる福音書7:28に、主イエス・キリストの教えについて聞く群衆がどう感じたが記されていますが、単に律法を語る学者のようではなく、悪霊をも追い出す権威ある方を感じ、ひどく驚いたとあります。神の御子自ら語られているのですから、驚くのも当然でしょうが、今までの学者とは全く違う受け取り方をしているのです。
律法そのものは変わりませんが、それに接する人々が主イエスにより変えられ、律法を越えて行くのです。
 律法の中に「人を殺してはならない」とあります。これは当然の事で、重大な罪です。しかし、実際に殺さずとも、心の中でそんな思いを持つ事、それも同じ事なのです。我慢をして行動を起こさなかったから全く罪はない!と勝手な事を思うかもしれませんが、現に自分の中ですでに罪を犯しているのです。
もし、他人に対し、悪の思いをもつ事があったなら、即すべてを止めて悔い改め祈ってください。主イエスに、今自分が罪を犯している事を証して祈ってください。
 主イエスは、律法を成就するために来られ、私たちが滅びる事のないようにと、全能の父が贈ってくださったのです。
 クリスマスを前に、今一度ご自身(あなた)の内なるものを見つめ直してみてください。そして、もしそこに悔い改めが必要ならば今祈ってください。変えてくださり、聖めてくださるよう祈り求めてください。きっとあなたに主から近寄り語ってくださる事でしょう。

ルカによる福音書2:14「いと高きところでは神に栄光があるように、地の上ではみ心にかなう人々に平和があるように。」 

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光として来られたイエス

2005年12月11日 | メッセージ
 アドベントの第3節に入りました。
本日は講壇交換で日野高幡教会の蘇牧師がメッセージを語られました。
 街の中に「メリークリスマス」の言葉が飛び交っています。みんな主のご生誕を知らない間にお祝いしているのです。
私たちを救うためにお生まれになった主イエスですが、どこでお生まれになったかご存じでしょうか?それは、ユダヤのベツレヘムにある汚い馬小屋でお生まれになりました。本当に汚く、臭く、暗い所でしたが、今では聖なる地として変えられたのです。
 聖書に戻りますが、預言者イザヤは私たちに何を伝えたかったのでしょうか?
イザヤ9:1-4で、その方が来られると①闇がなくなり②光栄が与えられ③光が来て④楽しむようになり⑤大いに喜ぶ、と預言しているのです。またイザヤ9:7には、なぜこのような事が起こるのか、それは「万軍の主の熱心がこれをなされる」と説明されています。
 クリスマスは、苦しみもがいている者、虐げられているものが解放されるため、私たちを救うため「世の光」として主イエスが誕生された記念すべき日です。
さらにイザヤは主イエスの預言で、「その名はインマヌエル」すなわち「全能の神が私たちと共にいてくださるのだ」と大胆に語っているのです。
 「私はそんな大きな犯罪などしていないから関係ない!」ともしあなたが思っていたとしたならば、あなたの「たかぶり」「高慢」以外のなにものでもありません。償いきれない罪を今も犯し続けている事に気づいてください。そしてそのあなたのために主はお生まれになり、十字架にかかられたのです。その主に感謝し、クリスマスをご一緒にお迎えいたしましょう。

ルカ2:14「いと高きところでは神に栄光があるように、地の上ではみ心にかなう人々に平和があるように。」

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クリスマスの訳②

2005年12月04日 | メッセージ
ハレルヤ! アドベント第2節に入りました。
12月4日の調布キリスト教会主日メッセージ「クリスマスの訳②」(マルコによる福音書第10章35~45節)の要約です。

聖書(抜粋):10:45 「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

要約:
 アドベントの第2節に入りました。
この箇所から、主イエスがこの世に来てくださった目的を見てみましょう。結論から申しますと・・・
①仕えるために来られた
②多くの人を解放するために来られた
その事は45節に「人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」と記されている通りです。
ヤコブとヨハネは自分の願望を主に望み、主は多くの民のためを思われています。また2人の弟子は結論を、主は至るプロセス(十字架)を言われているのです。残りの10名の弟子は2人の抜け駆けに怒りを現していますが、そこでなお主は、私が来たのは仕えるためだと諭されています。
私たちは弱い者です。知らず知らず自分を「神」、すなわち「△」(ピラミッド)の頂点に自分を置いてしまいがちです。そしてその頂点である人は、神をどこか都合の良い場所に置き、または完全に無視し、金や名誉、仕事を崇めてしまっています。なんと愚かな事でしょう。
それと逆に主は「▽」の頂点、すなわち真下で仕えてくださっているのです。主は私たちを支配してくださっています。支配とは仕える事(アンダースタンド)なのです。
主が私たちのためにしてくださった事、その尊い事に恐れ、感謝し互いに仕え合うべきです。
大きな困難が目の前に迫った時、私たちは「逃げる」か「脱出」するか選択します。この2つはまったく意味が違います。「逃げる」事は、あきらめる事、「脱出する」とは解放する、される事を意味します。そして主は私たちが脱出できるようにこの世に来てくださったのです。
滅びの道を進む私たちと神様との関係を治すために来られたのです。どうぞクリスマスを前に、もう一度神様との関係が修復されますよう心から祈り求めてみてください。

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