倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

義の武器!

2005年01月31日 | メッセージ
調布キリスト教会のメッセージ要約です(ローマ人への手紙6:1~14節)
聖書抜粋:6:12 だから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従わせることをせず、6:13 また、あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。6:14 なぜなら、あなたがたは律法の下にあるのではなく、恵みの下にあるので、罪に支配されることはないからである。

長くクリスチャンでいると、いろんな誘惑や惑いの攻撃を受ける事があります。チェックしてみましょう!
・キリストの教えから外れていないか?(異端ではないか?)
・律法主義に陥ってはいないか?

パウロはローマ3:10-18の戒めを通し、自分の肢体を不義に捧げず神に捧げるよう伝えています。私達クリスチャンは死人の中から生かされているのですから神の義のために生きる義務があります。
モーセの生き方を見てみましょう。パロの元でエリートの道を進んで行き、権力を得、すべてに自信があったモーセですが、ある事件(エジプト兵の殺害)で追われそれまでの権力も自信もなくなっってしまいました。しかし神は無力のモーセに望まれ出エジプトへ導かれたのです。権力と自信に満ちたモーセではなく無力になったモーセに望まれたのです。モーセの杖は神の臨在。モーセが杖をつかんでいるように思えますが、実は神がモーセを使われたのです。
それでは義の武器として生きるには・・・
キリストが私の内に生きている事を望み、実感するように祈り変えられてください。
・自分の愛する人に焦点を当てて祈ってください
・その人にふさわしい自分になるよう祈ってください
・イエスキリストの御名によって祈ってください
必ず幸せをもたらす武器となります。神自ら私を助け内に住んでくださいます。
世界一小さな者ですが、主のため用いて下さいますように。と祈ってみてはいかがですか?

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自我磔殺としての十字架

2005年01月23日 | メッセージ
1月23日の調布キリスト教会メッセージより・・・
聖書:ローマ人への手紙6章1~11節

タイトルの『磔殺(たくさつ)』とは、はりつけの十字架の事です。
この箇所で、印象に残るキーワードを見て行きます。
6:6 知っている
6:8 信じる
6:11 認むるべきである
①知っている・・・
神が示して下さった知識、すなわち神を恐れる事を知っている事です。クリスチャンとしての根元で、古き人(既に死んだ者)は過ぎ去り、自己中心的な考えではない事なのです。
②信じる・・・
復活された主イエス・キリストを信じ、認めるのです。信じがたい事を信じる事です。
③認むるべきである・・・
上記の事実を自分に取りこむのです。
「妻のために祈る」という本を読んで、たとえば「妻を変えて下さい」と祈ってみても変化はないでしょう。まずは自分を変えてみましょう。
・妻が本心願っている事、思っている事を聞く。
・まずは自分のため良い夫であるように祈る事。
・祈りに、気になる全て(人間関係・ねたみ心・気になる事)など全て告白する。
必ずかわるでしょう。変化が起こるでしょう。もっとも大きな妨げ、すなわち自分の自我がわかるでしょう。それを捨て去る事で聞かれるのです。
とりなしの祈りをする前に、自分自身のためにまず祈って自我を磔殺してください。

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百万人の福音

2005年01月18日 | 伝道
本日「いのちのことば社」の広告担当の方と私の勤務先1st.impression(結婚プロデュース)の広告を『百万人の福音』へ掲載する事で打合せを行いました。
発行部数は25,000部で創刊が1951年との事。長く読まれているのだな~と改めて実感。
3月号に掲載が間に合うよう、打合せを継続実施の予定です。
集う教会で結婚式を挙げ、その後ささやかでもパーティーを開く予定の方のお手伝いが出来ればと思っています。

私のページ

ウェディングプロデュース1st.impressionのページ

新しい命に生きる!

2005年01月16日 | メッセージ
『生き方』は以下の2つがあります。
①アダムのような生き方
②キリストのような生き方
しかし、実際の生活で第三の生き方をされているのではないでしょうか?ある時はキリストの生き方、時には罪と解っていてもそれに準じてしまう。パウロは断固として2つの生き方しかないと記しています。
『新しい命』とはバプテスマ(洗礼)です。英語で命はLifeですが別の意味で「生活」とも訳します。バプテスマにより新たな生活が始まるのです。新たな生活のポイントとして・・・
①時間を見方につける生き方
「何て忙しいんだ!」と思う事もありますが、聖書では過ぎた時間について多くの恵みを受けると記されています。
②言葉を見方につける生き方
神の言を受けたキリスト。相手の言葉を命がけで聞く人は、自分の言葉も命がけで聞かれます。
マルコ11:20~言った事は成就すると記されています。言葉が私達の見方となるのです。逆に言いますと御言葉に従わない祈りは聞かれないと言う事です。
バプテスマを受けられている皆様、イエスの生き方に立ち返ろうではありませんか。生けるキリストにつながり続けて生きようではありませんか。
まだ新たな命を頂いてない方があるならば、少しでも早く素晴らしい命、人生をお送り下さる事ができますように・・・

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人を愛する生き方

2005年01月15日 | メッセージ
キリスト教会へは、どんな人々が集っているとお思いですか?分別ある立派な人でしょうか?罪のない人でしょうか?
教会は罪人をまねくためにあるのです。ここで記す罪とは人が持って生まれた『原罪』の事をおもに指します。もちろん今の法に抵触する行為を行って来られた方も、罪を告白し悔い改めを望まれている方のためにもあります。
現在教会に集っている人々には罪はないのでしょうか?そうとも言い切れないのが現状です。自分が清い行いをしていると、他を裁くクセが人にはあるのです。「自分は正しいのに、あの人はどうしてダメなんだろう」とか、「クリスチャンなのに、酒もタバコもやっている」などなど裁く原因は星の数もあります。
もっとエスカレートしますと、見下げた人が良い行いをしても心から喜べない、またその人が失敗すると心の中で「やっぱり報いがきたのだ」と思ってしまう。
この考えは、自分からそう思っている訳ではなく『原罪』ですから、もしそう思う気持ちが出た時にはぜひ主に祈ってください。自分の罪を告白してください。
自分は決して偉くもなく強くもない事を認識してください。主イエスは仕えるためにこの世に来てくださった事を忘れないでください。
隣人を愛する事、これこそ自分も他人も幸せになる秘訣です。

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新年聖会!

2005年01月13日 | メッセージ
1月10日に、聖書学院教会チャペルにて『新年聖会』が開催されました。講師は小林和夫師が担当してくださいました。大変恵まれた時に感謝します。

☆聖会午前 聖書の箇所:エペソ人への手紙2章1~10節「神の作品としてのクリスチャン」
クリスチャンについていろんな表現がされていますが、エペソでは「神の作品」と表現されています。以下の3つのポイントで掘り下げて見てみましょう。
①作品の材料
②作者の目的とは
③どう生きるか
まずは最初から・・・
①作品の材料
芸術家が自分の魂を打ち込み作品を作る時、自分の納得する材料をとことん選びます。しかし、神は逆で、どうしようもない私達を素材としてお選びになりました。なぜでしょう?神はこのどうしようもない私達を素材とされ、作品が完成する事によって神の栄光が現れるご計画をなされたのです。またパウロはこの事を私達とは言わず『教会』と表現しています。
②作者の目的
罪のかたまりである私達のために主イエス・キリストは身代わりとなり十字架にかかられました。そしてその血により私達のすべての罪が洗われ消え去りました。神の想いは新しく生まれ変わった私達が良い行いをするためになされたのです。
③生き方
ここでは『共に』と『あって』の記載の意味について考えてまいります。
まず『共に』ですが、主イエスと合体していなくてはならないという事です。すなわち洗礼の恵みを言っています。死んでいたも同然な者が生まれ変わったのです。
つぎに『あって』ですが、ズバリ「イン クライスト」。キリストが私のうちに住んでいるという事です。これこそ『聖め』すなわちホーリネスの中心なのです。

私達は神により目的をもって作り変えられました。キリストと共に生き、キリストをお迎えした生き方が重要なのです。

☆聖会午後 聖書の箇所:ヘブル人への手紙9章13~15節「キリストの血の価値と力」
キリストが私達のために流された『血』とはどういう意味、価値があるのでしょうか。
①キリストの血の価値
罪人である私達は血を流し死ななければ罪がゆるされる事はありません。主イエス・キリストは神であられながら33年間人としてこの世に下られました。罪を持たれませんから死ぬ事はありません。しかし、全ての人々の罪を一身にお受けになり、自ら罪人となられ血を流されたのです。私達の身代わりとなられたのです。
②血による聖めと良心の聖め
良心とは信仰の基盤です。自分の努力ではどうする事も出来ない潜在意識の中にあります。
主イエスの血は、その努力しても届かない潜在意識まで聖めて下さるのです。
Ⅰテモテ1:18に、正しい良心について記されています。テモテはその良心を「生ける神に仕える事ができる事」と表現しています。すなわち神への奉仕また礼拝を守る事を言っているのです。
主イエスの血に触れてください。そして自分の手では届かない中心の良心を聖めて頂くよう祈ってください。

『力』は『血』から!なのです。

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明日のワーシップ

2005年01月08日 | 伝道
明日の礼拝前賛美のワーシップで、久々に倉敷教会のBass兄と奏楽の機会が与えられ感謝です。
Bass兄は元々調布教会の信徒で、転勤のため倉敷へ転居され倉敷ホーリネスチャーチで主日を守っています。そしてしばらくは私と共に倉敷で主日を守っていましたが、ある日私が東京へ転勤となり偶然Bass兄が集っていた教会へまいった次第です。
Bass兄とは倉敷の約2年間ともにワーシップを担当し、賛美での奏楽をしてまいりました。Bass兄はベース、私はギターを弾いていました。そして約1年の空白が・・・

明日はベストで望みたい。しかしそれが私自信の私欲からでるものではなく、すべてが主のものでありますように・・・
望みつつ明日を期待致します。

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友人の証し

2005年01月06日 | 祈り
次週の礼拝(9日)に友人が調布キリスト教会へやって来る。私の母教会の信徒です。
共に礼拝前、賛美リードを担当し聖霊に満ちたひとときを持っていました。
今、私は調布キリスト教会でワーシップを担当させて頂き、礼拝前にギターで伴奏をしていますが、久々に上京される兄と共演できる事に感謝です。
なお、証の時を牧師がご用意くださり、1年ぶりに聞く機会が与えられました。

場所は違っても同じ兄弟。その証に感謝いたします。すべてが益となりますように・・・

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仕事始め

2005年01月05日 | 祈り
今日から仕事始め。東京は寒い寒い日となりました。
7日ぶりの勤務先であるアトリエ、入り口から7日分のゴミが歓迎してくれていた。
朝礼時、年頭所感を述べその後掃除を開始。29日には徹底的に掃除をしたが、ゴミとホコリはどこからともなくやって来ていた。約1時間かけて表と室内の掃除を終了。
動いていた時には解らなかったが、なんとエアコンが故障中。冷え切った室内で新年最初の勤務となった。とほほ・・・
しかし、どんな時にも共にいてくださり、励まし続けてくださる主イエス・キリストに感謝です!

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休みも今日まで

2005年01月04日 | 祈り
今年は暦の関係で、年末年始休暇が6日間でした。今日が最終日となってしまった。
今回は帰省せず、東京で初めて年を越しました。1日の元日礼拝と2日の第一主日礼拝へ参加でき、礼拝から今年がスタートできた事に感謝です。
今年も休むことなく守る事ができますように・・・

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