倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[測りがたい神の恵み]キリスト教礼拝メッセージ要約

2009年12月27日 | メッセージ
2009年12月27日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ ~測りがたい神の恵み~ のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ローマ人への手紙11章28~36節
抜粋:32:すなわち、神はすべての人をあわれむために、すべての人を不従順のなかに閉じ込めたのである。

<要約>
あなたは、どこかに閉じこめられた事がありますか?
悲しみの中に閉じこめられている人、また怒りの中に閉じこめられている人もおられる事でしょう。何とも不従順に捕らわれてしまっているのです。
では毎週教会に行き、礼拝に出席している人は何に捕らわれ閉じこめられているのでしょう?
中には自らの罪に気付き、それに縛られている人、またそれからの解放を願い集っている人もおられる事でしょう。神はあわれみが何だか解るように私たちを不従順に置かれました。それが神の方法だったのです。

自分は神に捕らわれ、閉じこめられていると解る人は幸いだと思います。そこに神の哀れみがあり、それを知る事が出来るからです。深く大きく測りがたい主の裁きが、主の恵みが、主の知識が見えて来るのです。
クリスマスに神の哀れみを少しだけ現してくださったのがキリスト降誕なのです。神であるにもかかわらず人なり閉じこめられた主イエスキリスト。これ以上の閉じこめはありません。王の王が、義の方が呪いの中に自らを閉じこめられたのです。マイナスに捕らわれて閉じこめられている私たちを主イエスキリストが変わってくださったのです。

捕らわれ、閉じこめには以下二つがあります。
 ・不従順
 ・神の哀れみ
神を信じる者は例外なく、不従順から解放され、神の哀れみに捕らえられ閉じこめられています。
さて、あなたは罪や怒りの不従順に閉じこめられたいですか?
それとも、神の恵みを一身に受ける哀れみに閉じこめられたいですか?

新しい年を前に、一人でも多くの方が罪から解放され、神の恵みの中に生きる事ができますよう祈ります。


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[クリスマス みどりごの誕生]キリスト教礼拝メッセージ要約

2009年12月20日 | メッセージ
2009年12月20日、倉敷ホーリネスチャーチ、クリスマス礼拝メッセージ ~みどりごの誕生~ のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:イザヤ書9章6~7節
抜粋:6:ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。

<要約>
クリスマスおめでとうございます。
赤ちゃん誕生の預言ですが、どうしてこんなに重要だったのでしょうか?
イザヤが預言した『みどりご』を4つのキーワードから見てまいります。

(1)霊妙なる義士(ワンダフル カウンセラー)
何を言おうとしているかを感じ、間違っていたとしても直そうとせず解ろうとする。それがみどりご主イエスキリストそのものです。

(2)大能の神
王の王としてお生まれになった主イエスキリスト。どんな事があろうとも私たちを励まし続け守ってくださる方なのです。

(3)とこしえの父
エターナルファーザーとして君臨され続ける時々刻々の神。私たちが神から離れてもなお変わらない方です。

(4)平和の君
プリンスオブピース。戦いがなく、苦しみのない心の安らぎをお与えくださる方です。まず私たちが安らぎ、平和で満たされる事が大切です。満たされ溢れた時にはじめて人を潤す事ができるのです。

すばらしいカウンセラーで、力強い神、どんな時でも一緒にいてくださり平安を与え満たしてくださる方、その方がお生まれになってくださいました。その出来事こそ、私たちに神様から贈られたクリスマスプレゼントなのです。
その恵みを受け取らないのは、あまりにももったいない事だと思います。ぜひこのクリスマスをきっかけに神様から私たちに与えられたプレゼントをお受け取りくださいますように・・・


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[アドベント3節 マリヤの驚き]キリスト教礼拝メッセージ要約

2009年12月13日 | メッセージ
2009年12月13日、倉敷ホーリネスチャーチ、アドベント礼拝メッセージ ~マリヤの驚き~ のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ルカによる福音書1章26~45節
抜粋:28:御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。

<要約>
アドベント第3節に入りました。
昨日はCS(教会学校)のクリスマス会、また倉敷市民クリスマスが開催され、ゴスペルシンガーのKIKIさんがご奉仕されました。感謝のクリスマスが始まりました。
クリスマスを次週に控え、マリヤの驚きを見てまいりますが、マリヤはどんな女性だったのでしょうか。裕福な名家の乙女だったのでしょうか。いえ違います、ナザレという田舎娘で、年は20前、そしてマリヤには婚約者ヨセフがいました。神は普通の人に臨まれたのです。

(1)天使ガブリエルの御告げに驚くマリヤ
「恵まれた女よおめでとう。主があなたと共におられます。」
これが天使ガブリエルの第一声です。主が恵みの内にマリヤを捕らえています。マリヤはひどく胸さわぎがし、そしてこれから何が起こるのか思いめぐらしていました。そしてガブリエルはマリヤが身ごもり男の子を産む事を伝え、その名をイエスと名づけるよう伝えます。マリヤは「どうしてそんなことがあり得ましょうか。私にはまだ夫がありませんのに。」と語ります。身に覚えのないマリヤは何が自分に起こっているのか理解できませんでした。しかし神ご自身が私たちと共におられる時がここから始まりました。

(2)マリヤの謙虚さ
ガブリエルはマリヤの親戚エリサベツも老年ながら身ごもっている事を伝えます。神が語られた事は必ず実現します。神には何でもできない事はないのです。
マリヤは神の前に謙虚に全てを受け止め、「私は主のはしため(しもべ)です。お言葉どおりに身になりますように。」と語ります。マリヤにのみ語られた神の言葉(レイマ)を謙虚に受け止めました。

生きていく時、神のご計画に驚く事があるでしょう。しかし神は私たち一人ひとりにも、特別な言葉レイマを語っておられます。その言葉を受けた時、「私は主のしもべです。お言葉どおりになりますように。」と受け止める事ができるなら何と幸いな事でしょう。


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[アドベント2節 神の優しさと厳しさ]キリスト教礼拝メッセージ要約

2009年12月06日 | メッセージ
2009年12月6日、倉敷ホーリネスチャーチ、アドベント礼拝メッセージ ~神の優しさと厳しさ~ のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ローマ人への手紙11章13~24節
抜粋:22:神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう。

<要約>
アドベント第2節に入りました。アドベントとは『待降節』、キリスト誕生を待ち望む時です。今あなたは生活の中で何を待っていますか?
ボーナスを待っている人も、テスト結果を待っている人もおられるでしょう。待つ事は希望でもあります。ある年老いた老人が妻を亡くし、金もなく、希望もなく、最後に選んだのは、自らの命を絶つ事でした。しかしどんな環境でも、神の恵みは等しく与えられているのです。その恵みを無視せず受け入れる事ができれば幸いと思います。
聖書では何を待っているのでしょう? 救い主すなわちメシアを待ち望んでいました。そしてキリストが誕生され、時代はB.C.(Before Christ、キリスト生誕前)からA.D.(Anno Domini、主の年)へガラッと変わりました。しかしまだ多くの人はB.C.のままにいます。救い主がお生まれになったのに、それを頑なに認めずにいて、今後無きものを求め続けているのです。どうか目をさまし、神の恵みを受け入れ、祝福の生活を送って頂きたいとおもいます。
神に選ばれた民であったのにメシアを受け入れないイスラエル人。そればかりか十字架にかけてしまいます。神は異邦人に対し、ある行動をとられます。それはイスラエル人のたとえ、良いオリーブの木の枝を切り、野生のオリーブである私たちに接ぎ木をされるのです。私たちは根から接ぎ木の栄養を受け育つのです。良いオリーブの木は切り取られ、私たちは神の慈愛を受け、今その中に生かされているのです。そして神は「あなたが私の夢だ」と語っておられます。
役立たずかも知れない野生の私たちですが、神はあなたを通して全ての人が神の祝福の中に生きる事を願って待っておられるのです。ブランドのオリーブの木を切ってしまうほど私たちを愛してくださっているのです。
その祝福は、ますます増え、力が与えられ、必要が備えられていきます。毎週、何分もかけて教会へ行く力が与えられ、そして必要が与えられ、受けた恵みを分け与える。最大の恵みは永遠の命までお与えくださっているのです。
神は優しくもあり厳しくもある方です。全ての祝福はあなたにより人々に与えられます。そしてあなたを支えるのは神ご自身なのです。立派だから神に用いられるのではありません。今のままのあなたを、野生でノーブランドのあなたを神が選び恵みを与え続けてくださっているのです。


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クリスマスに贈られた神様からの愛

2009年12月04日 | メッセージ
昨日『倉敷市民クリスマス』の祈祷会が持たれショートメッセージで『愛』について語られました。LOVE・・・
そのアルファベットには不思議な意味が。

ヨハネの第一の手紙 / 4章 10節
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。」

神様の愛を見える形として私たちにお与えくださったクリスマス。
人は愛の事を『LOVE』と言いますが、そこには隠れたメッセージがありました(ご存じの方も多いかと思いますので、すっ飛ばかしてくださいね)

・LOVEの『L』
Liberal(革新の意ですが、何事にも捕らわれない広い心)
・LOVEの『O』
overspread(面をおおう、包み込む)
・LOVEの『V』
voice(声をかける)
・LOVEの『E』
effort(労する)

キリストは神の愛を持たれ、そして人としての愛も持たれています。広い心で私たちを包み込み、声をかけどうしようもない私たちを辛抱強く支えてくださっています。
クリスマスにはぜひお近くのキリスト教会へ!
ご一緒に本当のクリスマス、神様からのプレゼントをいただきませんか?

倉敷ホーリネスチャーチ