倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[ハガルを顧みたもう神]キリスト教礼拝メッセージ要約(伝道礼拝)

2010年06月27日 | メッセージ
2010年6月27日、倉敷ホーリネスチャーチの召天者記念礼拝メッセージ『ハガルを顧みたもう神』のメッセージ要約をアップいたします。本日は、仙台南光沢キリスト教会牧師の佐藤信人師お迎えし特別伝道礼拝が開催されました。

聖書:創世記16章1~16節
抜粋:13:そこで、ハガルは自分に語られた主の名を呼んで、「あなたはエル・ロイです」と言った。彼女が「ここでも、わたしを見ていられるかたのうしろを拝めたのか」と言ったことによる。

<要約>
主の御名を賛美します。

 アブラム(後のアブラハム)一家のトラブルが記されています。アブラハムは後に信仰の父と言われますが、ここではそれをうかがい知る事は出来ません。アブラム一家に何が起こったのでしょうか。
主なる神様は年老いたアブラムに子供を与えると約束されましたが、現実はそうならずギャップを感じる日を過ごしていました。神様は子供を与えると言われましたが、妻サライにとは言われていませんでした。そこでサライは考え、女奴隷のハガル(逃亡者との意)にアブラムの子を産ませようと提案し、ハガルは妊娠します。

 ハガルは自分に子供が出来たと知ると、女主人のサライを見下げるようになりました。サライは怒りを覚えました。自分が提案した事でしたが、実際に見下げられると怒りが増すばかりでした。夫アブラムは、サライの好きなように処理しなさいと、関わりを持とうとはしません。サライはハガルをいじめます。
いじめに絶えきれないハガルは家を出てしまいます。これが信仰の父と言われた一家に起こった事実でした。ハガルは命令された事を行っただけで、被害者なのに誰も心配しませんでした。そこに天の使いが現れハガルに「あなたはどこから来てどこに行くのか」と問いかけます。ハガルは「女主人サライから逃れここに来ました」と伝えます。天の使いは「女主人の元に帰り、その身を任せなさい」と厳しい事を伝えます。それがイヤで逃れて来たのに、元に帰れと言われたのです。ハガルは自分は被害者でやりきれないと言いたかったでしょうが、天の使いはさらに「自らをへりくだらせ、高慢な態度を改めなさい」と伝えます。そして天の使いは産まれる子供にインマヌエル(神は聞いてくださるの意)と名付けるよう伝えます。主なる神様がハガルの苦しみを聞かれ、見ておられたのです。これこそ福音ではないでしょうか。ハガルは「エル・ロイ(私を顧みられた神)」を知り主の目が自分に届いていた事に気付きました。どんなに嬉しかった事でしょう。神様はどんな時でも私を顧みられている事を知り、そして自らを変えられ勇気を与えられて帰って行きました。

 ハガルを顧みられた神様は、今私たち一人ひとりを顧みられておられます。そう、エル・ロイの神様があなたをいつも見られているのです。どんな場所でも時でも・・・

今週も主とともに、素晴らしい日をお過ごしください。


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[神の平安]キリスト教礼拝メッセージ要約

2010年06月20日 | メッセージ
2010年6月20日、倉敷ホーリネスチャーチの召天者記念礼拝メッセージ『神の平安』のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ピリピ人への手紙4章6~9節
抜粋:7:そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

<要約>
主の御名を賛美します。

どうしてもパウロが伝えたかった事が記されています。獄中のパウロが記したどうしても伝えたかった事とはいったい何でしょう。
(1)神の平安に守られる
囚われの身となっているのに、何事も思い煩わないでいなさいと語るパウロ。自分で何とかできそうな事は自分で片づけてしまおうと思いがちで、もはや自分の力ではどうにもならない事だけ祈るようになっていないでしょうか。委ねきる事は難しい事でしょうか。自分の手のひらを下にむけ、すべて神様にお任せする事ができればなんと幸いでしょう。
そして幸せな時も、困難な時も感謝をもって祈り願う特権が与えられているのです。祈りは確実に神様に届いていますが、時として自分の都合良い結論にならない事も多くあります。人知を越えた神様のご計画の中で聞かれ、神様の平安の中、守られているのです。

(2)平和の神が共にいます
パウロは以下8つの事を心にとめよと私たちに伝えています。それは、真実、尊ぶ、正しい、純真、愛する、誉れ、徳、賞賛です。そしてパウロから学んだ事、受けた事、聞いた事、見た事を実行しなさいと語ります。パウロは今を生きる私たちに何度も何度も伝えています。インマヌエル、平和の源である神様、その神が私たちと共にいてくださるのです。

私たちがどのような時にあっても、祈りと願いを聞いてくださり、平安へ導いてくださっています。私たちを通して、共にいてくださる神様に栄光を帰する事ができれば幸いです。

今週も主とともに、素晴らしい日をお過ごしください。


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[キリストにある生活]キリスト教礼拝メッセージ要約

2010年06月13日 | メッセージ
2010年6月13日、倉敷ホーリネスチャーチの召天者記念礼拝メッセージ『キリストにある生活』のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ピリピ人への手紙4章1~5節
抜粋:4:あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。

<要約>
主の御名を賛美します。

ピリピ人への手紙もいよいよ最終章に入りました。また12回の講解説教予定でしたが、この章をさらに深く理解するため13回完結となりました(あと3回)。
どうしても伝えたい事を繰り返して書いたり話したりしますが、パウロもどうしてもこれだけは伝えたい思いでこの4章を記しています。パウロが伝えたかった思いとは何でしょうか。

(1)主にあって、堅く立ちなさい
ピリピ教会の人々を心から愛し、慕っているパウロ。私の喜び(心の奥から沸き上がってくる)、私の冠(ステパノス、勝利の印)とまでパウロは思っています。自分の力で堅く立つ事はできません。主にあり堅く立たせて頂く事、パウロはこれを伝えたかったのです。

(2)主にあって、一つ思いになってほしい
前述したように、ピリピの教会は女性の働きにより建てられたと言って良いほどの教会でした。その教会に中心人物のユウオデヤとスントケに対立が起こります。教会を支える基、女性が揺れると教会全体が揺れてしまいます。これは今の教会でも同じ事です。パウロの同労者として働く女性に対し、第三者を介して何とか助けて欲しいと記します。物事の解釈から異論が出るのは当然の事ですが、議論の末、主にあり一つとなる事が大切な事なのです。

(3)主にあって、喜びなさい
この書簡は、獄中から書かれたものです。いつ殉教するか解らないその中で主にあり喜び続けるパウロ。どんな時でも主にあって喜びなさいと私たちに語っています。
仕事がうまく行かない時、体調が優れない時、心から喜ぶ事が難しい私たちですが、そこにあって、主のなされた御業に感謝する事ができれば幸いです。まわりの環境が変わっても、主は変わる事がありません。寛容であり続ける事が出来ますように。自己中心の思いであれば出来ませんが、主にある人とされたあなたならいつも平成で喜ぶ事ができると思います。主は近く、私たちと共にいてくださるのです。

最後に、主の弟子であるあなたへ。
主にあって、堅く立ち、一つ思いで、喜んでください。

今週も主とともに、素晴らしい日をお過ごしください。


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[生命によみがえる時を待つ]キリスト教礼拝メッセージ要約

2010年06月06日 | メッセージ
2010年6月6日、倉敷ホーリネスチャーチの召天者記念礼拝メッセージ『生命によみがえる時を待つ』のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:マルコによる福音書5章35~43節
抜粋:36:イエスはその話している言葉を聞き流して、会堂司に言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい」。

<要約>
主の御名を賛美します。

今年も召天者記念礼拝を開く事ができ感謝です。この教会では二名の方を天にお送りし、ご家族とともに礼拝を守る事ができました。

聖書に入りますが、会堂司の12才の娘が重病となっていて、何とか主イエスに癒して頂こうと少女の所へ向かっていました。そこへ少女が亡くなったと連絡が入ります。会堂司はもはや主イエスをわすらわす事に及ばないと伝えます。それをお聞きになった主は以下3つの言葉を語られました。

(1)5:36 「恐れることはない。ただ信じなさい」
死んでしまったのに、何を信じろと言うのだろう?
会堂司は主なら重病の娘を癒してくださる。と信じたのです。しかし心臓が止まってしまった今となっては信じる必要がなくなったのです。しかしそれでも主は「恐れることはない。ただ信じなさい」と語られます。心臓が動いていようが止まっていようが、ただ信ぜよと。後に娘は主により命を得ますが、今を生きる私たちはこの世の旅人で、この世の生涯がすべてではないのです。

(2)5:39 「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」
表現を変えると、「泣いてはならない、娘は眠っているだけなのだから」。眠っている時は、場所・時間・現実から解放されます。主は眠っている時でさえ、私たちのため神にとりなして下さっているのです。

(3)5:41 、「少女よ、さあ、起きなさい」
タリタ、クミと語られ少女に「起きなさい」と語られ、少女は眠りからさめました。
主により、瞬く間に朽ちない者として変えられ、起こされ永遠の命を得るのです。

「信じ」「泣かず」「起きる」
これは、「過去」「現在」「未来」なのです。将来起きる者として私たちは一瞬にて変えられるのです。主の約束を信じる者として今を生きる事ができるなら何と幸いな事でしょう。

今週も主とともに、素晴らしい日をお過ごしください。


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