倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[全知を治めよ]メッセージ要約

2004年01月25日 | メッセージ
2004年1月25日の調布キリスト教会主日メッセージ要約「全知を治めよ」
聖書:創世記1章26節~31節
抜粋:1:28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。

<要約>
神は「治めよ」と人間に命令されています。次の2章に具体的な事が記されております。神によって造られた「アダム」と「エバ」が登場しますが、神の命令に背き、自らのあやまった考えで行動し始めます。そしてエデンの園を追放され、全世界へと散らばって行きました。
現在を見てみましょう。ある牧師が信徒に「最もダラクした都市はどこか?」と問いかけました。答えは「TOKYO」と「SOURU」と回答されたようです。街々に氾濫した罪、無秩序など挙げればきりがないほどです。
マタイ20:28に主イエスは人々に対し、「私が来たのは仕えるため、あがないとして命を与えるため」だと語られています。これこそアガペーの愛ですね。
今も神は私たちに「治めよ」と語られています。神の御心にかなう統治の事です。自己中心的なかたくなな心からとき離れましょう。心を入れ替えましょう。神と同じベクトルで進みましょう。全てにおいて感謝を捧げましょう。

※このメッセージ要約は、テケテケのキリスト教サイトで公開しているものをブログにアップしたものです。
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[光である神と私たち]メッセージ要約

2004年01月18日 | メッセージ
2004年1月18日の調布キリスト教会主日メッセージ要約「光である神と私たち」
聖書:ヨハネの第1の手紙1章1節~10節
抜粋:1:5 わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。

<要約>
本日は主任牧師が他教会へ聖会奉仕のため、荒井なを子師がメッセージをされました。
神は愛であり光です。特に光は全てのものを映し出します。神はその光で私たちに何を映してくださっているのでしょうか?
創世記に記されているように、神は最初に光を与えられました(創世記1:3)。
話はルカ伝15章11節~24節へ移りますが、この箇所は放蕩息子の記事が記されています。何不自由なく育てられた兄弟の弟が、今の生活に飽き自分がもらえる財産を今欲しいと父に伝え、それを受け取り自由きままな生活を送る場面です。何年か遊びほうけているうちに、頂いた宝(お金)を使いはたし、奴隷同然の生活に落ちてしまいます。
すでにお解りの通り、ここで登場する父は「神」そのもので、息子はそむき「自分の力でこれからは生きます!」と宣言し神から離れてしまったのです。
息子はある時「本心に立ち返り」、父(神)のもとで何の仕事でも良いから、置いて頂けるよう願い帰宅しました。光の中から一旦暗闇へ落ちた息子ですが、再び光を求めたのです。
父である神は、そんな息子でも心の底から歓迎し、死んでいたものが生き返った!とまで言われ迎えてくださったのです。
私たちは心の底から光の中を歩んでいる!と父なる神に誓えますか?
光を通じ、主イエスキリストに救われている事を忘れてはいませんか?
今一度、心の根こそぎ神を信じる生き方であり続けましょう。

※このメッセージ要約は、テケテケのキリスト教サイトで公開しているものをブログにアップしたものです。
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[この自由を得させるために]新年聖会メッセージ要約

2004年01月12日 | メッセージ
2004年1月12日の新年聖会午後のメッセージ要約「この自由を得させるために」
聖書:ガラテヤ人への手紙 5章1節~5節
抜粋:5:1 自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。

<要約>
新年聖会午後の部です。
奴隷のくびきから解放され、自由に生きるためには・・・
自由は他者との関係(主イエス)で成立し、決して立法(割礼などの決め事)で成り立つものではありません。ガラテヤ2:19~20節でパウロはキリストが私のうちに生きておられ、「アバ父よ」と呼ぶ事が出来ると記しています。
自分を今一度振り返って見てください。人には言えない罪、思ってもいないのに実は心の奥底にある思い。この罪から解放してくださるのです。 この解放、自由はキリストにあって成立するもので、取り去ってしまうと同時に自由から奴隷へと後戻りしてしまいます。
最後に、パウロは本当の自由とは、キリストの所有物に自分がなる事で、主イエスの焼き印を押される事だとも言っています。

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[人間をとる漁師に・・・]新年聖会メッセージ要約

2004年01月12日 | メッセージ
2004年1月12日の新年聖会午前のメッセージ要約「人間をとる漁師に・・・」
聖書:ルカによる福音書5章1節~11節
抜粋: 5:10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも、同様であった。すると、イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」。

<要約>
三多摩教区新年聖会が東京聖書学院教会で開催され、内藤師がメッセージをされました。今年の聖会テーマは「ときはなたれた恵みへ」です。クリスチャンの喜びとは何でしょうか?神のために生きる事、そして人のために生きる事。2つの面がありますが、現在は自己中心的な考えがはびこっています。今こそリバイバルなのです。 ここではペテロにスポットを当てて聖書の箇所を見てみます。
ベテラン漁師であったペテロとシモンは2そうの舟をしたて漁に出ますが、この日は1ぴきも獲れませんでした。何度も網を下ろして挑戦しますが結果は同じでした。小魚数匹は網にかかりそうなものですが、1ぴきもです。失望しきったペテロとシモンは浜に上がり網を洗っていました。その光景を主イエスは岸から見られていたのです。 主イエスの言葉を聞くため多くの群衆が集まっていました。そこでイエスはペテロに舟を沖に出すよう言われ、ペテロは従いました。弟のアンデレも一緒だったかもしれません。沖に出られたイエスは浜にいる群衆に話をされました。マイクもない時代ですから、拡声出来ませんが、全ての人にメッセージは聞かれたのです。音の共鳴点で隅々まで行き渡ったのかもしれませんし、これこそ神の業だったのかもしれません。イエスは群衆に語ったのですが、実はペテロ一人に向け語られたのかもしれません。
メッセージを終えられ主はペテロに、もう一度沖へ出て網を下ろすよう伝えます。漁師でもない主イエスがベテラン漁師ペテロに言われたのです。普通でしたら「何もしらないのに何て事を言うのだ!」と怒るかもしれませんが、ペテロは素直に従い網を下ろしました。 大漁大漁で網が切れんばかりだったので、大急ぎもう一双の舟を呼び、両方一杯になったのです。 岸に戻ったペテロは、自分がいかに罪深い者であるかわかり、イエスのひざ元にひれ伏し「私から離れて下さい。私は罪深い者です」と告白するのです。
ペテロは主イエスが自分に語られたメッセージを通し、どれほど愛して下さっているか解ったからこそ、離れて下さるようにお願いしたのです。そこで主イエスは宣言されます。「ペテロ、あなたは人間をとる漁師になるのだ」と。 ペテロも目が開かれた事でしょう。ペテロはすべてを捨て、主イエスに従い、伝道の旅にでるのです。

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[信仰生活のための5大綱領]メッセージ要約

2004年01月11日 | メッセージ
2004年1月11日の調布キリスト教会主日メッセージ要約「信仰生活のための5大綱領」
聖書:エペソ人への手紙1章:3節~7節
抜粋:1:7 わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。

<要約>
今年も、神に喜ばれる年になりますように・・・
私たちの神は、全てを益としてくださる神です。私たちはとかく自分に不都合な事があると、不平不満を言いますが、その前に全てを神に委ねてみてはいかがでしょうか。主イエスを信じる確信、これこそが信仰です。 喜ばれる信仰生活を送る上での5つのポイントを見てまいりましょう。
(1)信仰によって救われる確信を持つ(持ち続ける)
私たちは既に御子イエスによって、罪過のゆるし(救い)を受けています。全ては主イエスのあがないの血によってです。 あがないとは・・・
・奴隷を金で買い取り自由にする(救い出す)
・罪から自由にされる
・自分が救われた時の原点に戻る
(2)主イエスと共に生きる確信(インマヌエル)を持つ
・王の王、主の主であらせられますイエスを心にお迎えする
・どんな時でも主が共にいて下さる確信を持つ
・私の体は主の宮であり、聖霊に導かれた生活を送る
(3)「主よ信じます」と口で告白できる信仰
・絶対の神(ローマ14:23)を信じる
・信仰によらないことは罪である事を認める(ヘブル4:2~3)
(4)望みを心の中に描く
・信仰は望んでいる事の実像(ヘブル11:1)
・望みを描き続ける
・信仰の導き手である主イエスを仰ぎ見つつ、生活を送る(ヘブル:12:2)
(5)チャンスをつかむ
・「主よ、助けて下さい!」とより頼み、チャンスを逃さない 私たちは既に、主イエスの血によってあがなわれています。どうぞ自信を持って全てを主に委ねてみてはいかがでしょうか?

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