倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

義人はいない!

2004年08月31日 | メッセージ
今週のためになるブログ

全ての人は罪人で、その罪のゆえにあえいでいます。言い訳は出来ません。これはユダヤ人も例外ではありません。
そもそも『罪』とは・・・的を外す事です。
悪いと言うより、本来進むべき道からズレているのです。自分は一生懸命間違った道を歩んではいない!と思われるでしょうが、もう一度振り返りズレを確かめてみてください。
『平和』『愛国』についてはどうでしょうか?
自分の国が一番として、外国を見ていませんか?事実、平和のためと言って戦争が起こっているのです。
全てはズレから来ています。神様に向かい「はい」と素直に従える従順を学びましょう。全てを委ねる事が重要なのです。
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神の真実

2004年08月16日 | メッセージ
今週も素晴らしいメッセージです。
「はい」と素直に言える人になれればと思います。

パウロは、前章1:5-6で信仰の従順に至らせるため記しています。また、マタイ21:28からには2人の息子が登場し、一人は「はい」と言って行わない、もう一人は「いいえ」と言って実行した事が記してありますが、いずれも天の御父を悲しませる事に変わりはありません。天の父に「はい」と素直にお答えし実行出来るように変えて頂きましょう。
パウロは神は真実であり、人間は偽りであるとも記しています。では神に不真実を行ってしまったらどうすれば良いのでしょうか?それは「私は罪を犯しました」と真実に立ち返り悔い改めをする事が重要です。完全な人間はいません。私たちは「はい」と「いいえ」を同時に思ってしまう弱い面があるのです。「はい」は、はい。「いいえ」は、いいえ。とはっきり言える土台(イエスのみ言葉)を作らねばなりません。どんな時でも揺らぐ事のない土台を作りましょう。そこに神の真実は勝利をもたらして下さるのです。
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幻を見たぞ!

2004年08月14日 | イベント
10日~13日まで開催された、日本ホーリネス教団ユースチーム主催の「Youth Jam 2004」が多くの『幻』と『希望』を頂き無事終了となりました。
企画段階から参加された実行委員の皆様、そして当日参加のボランティアの皆様、ありがとうございました。
一つの教団の若者だけで500名を越える人々が集い、賛美し、祈り、交わりを持てた事に感謝です。今回受けた恵みを各地に持ち帰り、今だからこそできる若者パワーを炸裂させて欲しいと思います。
楽しく進め、若者たちよ!!!
今、君たちの時です。
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心の割礼

2004年08月08日 | メッセージ
今週のメッセージ ローマ人への手紙2章17~29節より

パウロは、叱るような口調で語っています。心から悔い改めが必要なため、このような口調で話したのでしょう。『ユダヤ人』の事が記されていますが、ユダヤ人とはイスラエル12民族の中の一つであるユダ族から救世主が生まれると言われた事からきていまる。また『律法』は聖書と置き換えて読んでください。では『割礼』とは・・・洗礼として受け取ってください。
また『自ら』を多用していますが、神の民であり選ばれた者との思いがユダヤ人に強く、自分に特権があるように誤解してしまっています。自らの誇りを重視し、神の本当の言葉を理解していないのです。これはユダヤ人だけの事ではありません。クリスチャンである私たちは、うわべだけのクリスチャンでなく、心から御心にかなう行いがなされていますか?
割礼は痛みを伴います。血を流します。しかし私たちのために主イエス・キリストが代わって流されたのです。人間は生まれた時から『原罪』を持っています。そして罪あるものは必ず死がやって来ます。しかしその死の場において神と私たちの間に主なるキリストがおられ報いてくださるのです。
形ばかりの割礼(洗礼)でなく、心の割礼が重要です。形ばかりのクリスチャンでなく、心砕かれたものとなる必要があります。
ジョン・ウェスレーが『心の割礼』のメッセージをされた事があります。その重要部分は以下の通りで、①謙虚な心 ②神への信頼 ③神への希望 ④神への愛と言われています。どうぞ心の割礼を受け止め、神の前で謙虚で心を開いて下さい。神を信じるふりをしては決してなりません。心から神を信じ、委ねて下さい。ほまれは神から来ます。

主なる神様、かたくなな心を砕いてください。クリスチャンのふりをするのではなく、本当にあなたに愛される者として下さい。
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うれしい書き込み

2004年08月07日 | 祈り
昨日、調布教会の掲示板に礼拝参加での問いあわせがあった。具体的に持ち物、服装などの質問があり、お答えさせて頂いた。
インターネット、携帯ホームページからの問いあわせがここの所増えている。いきなり教会の門をくぐるのは気が引けるが、まずネットで確認して・・・と思われているのかも知れない。出来るだけ始めての方が解りやすくまた、『行ってみたい!』と思うようなものにして行きたい。

主よ、伝道のテリトリーを与えてくださり感謝いたします。小さき僕を用いてください。
<テケテケの日記と連動>
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平和を祈る

2004年08月06日 | メッセージ
『平和の第一の条件』とは・・・
私たちは自分の力や考えで『平和』を造り上げようと思っているのではないでしょうか?たとえば戦争を終了させるため『原爆は仕方がない』と人間が考え、実行しました。神の存在を無視して自分の手(国家の力)で『バベルの塔』を建てようとしているだけです。『平和の原点』とはいったい何なのでしょうか?何を置いても「神との平和」が原点と思います。

主イエスは罪人である私たちのためにご自身の命を捧げられました。これ以上の『愛』の存在はありませんね!私たちが素直に「イエスを私の救い主と告白」する事が、愛と平和の原点なのです。
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原爆投下記念日

2004年08月06日 | 祈り
今から59年前の今日、広島に原子爆弾が落とされた。
私は広島県大竹市の出身で、祖父が原爆にて死亡した。小さい時から祖母に戦争の事、そして原爆の被爆者がどんなに辛い日々を送り、そして死んで行ったかよく聞かされた。
中学、高校時代も広島県だったため戦争に関する授業が毎月のように組まれ、二度とこんなに辛い事があってはいけない!と話した記憶が鮮明に残っている。
当時から、日の丸掲揚・君が代斉唱は拒否している学校が多く、もちろん先生・生徒も戦争に関連するものを拒絶していたから当然そうなっていた。
今、上記の拒否によって多くの教師が諮問委員会や再教育を受けさせられているようだが、政府特に教育委員会は平和とはまったく逆の『悪』教育をしている。早く気づいて欲しい。心から平和を願って欲しい。
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与えられた光に従い

2004年08月04日 | メッセージ
8月1日のメッセージより

ローマ人への手紙 2章12節~16節

2:12 そのわけは、律法なしに罪を犯した者は、また律法なしに滅び、律法のもとで罪を犯した者は、律法によってさばかれる。 2:13 なぜなら、律法を聞く者が、神の前に義なるものではなく、律法を行う者が、義とされるからである。 2:14 すなわち、律法を持たない異邦人が、自然のままで、律法の命じる事を行うなら、たとい律法を持たなくても、彼らにとっては自分自身が律法なのである。 2:15 彼らは律法の要求がその心にしるされていることを現し、そのことを彼らの良心も共にあかしをして、その判断が互にあるいは訴え、あるいは弁明し合うのである。 2:16 そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう。

要約-----
16節に「その日」とあります。これは「締め切り日」とも「デッド・ライン」とも取れる言葉です。人の目には隠れていた事が全て明らかにされ、裁かれる日なのです。しかしパウロはこれを「福音」として伝えています。
人は老いて死ぬ。これは確実にやって来ます。そしてその時裁きを受けますが、私たちは主なるキリストと共に全てを共有するのです。何と素晴らしい事でしょうか。裁きの日というより『救いの日』なのです。
CSルイスは、この世に貢献した数名を、肉なる自分を捨て神の前に全てをさらけだした人だ!とも言っているように、利害関係を超越しているのです。この世に死に、神の前に生きたのです。
私たちは今、主なる神から与えられた光を見ていますでしょうか?『その時』は30年後かも知れませんが、明日かもしれません。いつも主なる神と良い関係でいる事が重要ではないでしょうか。

愛する主なる神様、すべてにおいてあなたを見上げ日々過ごす事が出来るように変えて下さい。Teketeke's page

まぼろしを見る!

2004年08月03日 | イベント
わたしたちは幻を見る (使徒行伝2:17)

『ユースジャム2004』のメインテーマです。ユースは若者、ジャムは・・・
音楽のジャズでの即興演奏の意味があります。
音楽のあるルールの下で、自由に自分の思うものが発揮できる瞬間です。ジャズの楽しみはそこにあります。
ですから『ユースジャム』とは・・・
日本の若いキリスト者がキリストの下にあって、神様のために自由に自分の思うものを発揮できる集会。それぞれの持っている賜物が主のために用いられる集会の事なのです。

多くの若者が『まぼろしを見る』事ができますように・・・