倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[健康な人には医者はいらない]キリスト教礼拝メッセージ要約

2011年07月31日 | メッセージ
2011年7月31日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ要約をアップいたします。

聖書:ルカによる福音書5章27~32節
抜粋:31:イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。32:わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。

<要約>
あなたは健康ですか?
体にダルさを覚えたり、痛みを感じてはいませんか? 心に不安や苦しみ、痛みはありませんか?

レビという取税人が登場します。他の福音書にも登場していますが、その名はマタイとなっています。これは同一人物で、神、祭司に仕えるレビ人です。清い神殿で働いていたレビ人ですが、ここでは神に仕えずローマ帝国に仕えるレビ人が記されています。何が彼に起こったのでしょう?

(1)すわっているレビ
本来、神に仕えるレビ。何とも不自然な姿です。取税人は人々から税を集め、それをローマ帝国に治める役をしていました。人々から軽蔑される職業でした。レビは大きな賜物を持っていましたが、それをローマ帝国に使ってしまっていました。
そのレビに主イエスが「わたしに従ってきなさい」と声をかけられました。なぜ神に仕えるレビが取税所にすわっているのか、病んでいるレビを見られ(きっかけ)、声をかけられたのです。レビは主に従い立ち上がります。そう復活し、生き返ったのです。
主は今、あなたを見られ、声をかけられています。

(2)わたしに従ってきなさい
立ち上がらなければ従う事はできません。復活がないと従えないのです。立ち上がらせてくださるのも主イエスです。信じないとならないとか、信じる事はこうでなければならない、とかは全く不要です。自分の努力や頑張り、修行などで救われる事はなく、立ち上がらせてくださいと願い求める事が大切です。救いは主イエスの哀れみによる事以外はないのです。

(3)宴会を催したレビ
立ち上がり、復活し、変えられたレビがとった行動です。受けるだけの人間レビが変わり、自らを提供する考えに変えられました。

健康な人になるためには、人にふるまい与える者と変えられた人です。ふるまいは病気の人を癒し健康な体へと変えてくれるのです。では、そのふるまいの場とはどこでしょう?
教会の礼拝。そのものがふるまいの場なのです。


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[神のわざをあらわす人々]キリスト教礼拝メッセージ要約

2011年07月24日 | メッセージ
2011年7月24日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ『神のわざをあらわす人々』のメッセージ要約をアップいたします。

聖書:ルカによる福音書5章17~26節
抜粋:24:しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威を持っていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに対して言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と言われた。

<要約>
主の御名を賛美します。

ひとりの中風の者が4人に運ばれてイエスの元に来ました。しかしすんなりとここへ辿り着いたのではないようです。イエスのまわりには、既に多くの人がおり、近寄る事ができません。そこでイエスが入られた家の屋根をはがして上から吊し、おろされました。この4人に何が働いたのでしょう?

(1)イエスは彼らの信仰を見た
イエスのもとに連れて行けば何とかしてくださる。信じる信仰がイエスの元に連れて来たのです。頭で考えて結論を出す前に、まず主イエスにお会いし、すべてを信じる信仰が与えられるなら幸いです。

(2)彼らの愛を見た
イエスの元に連れて行くのでしたら、一人で背負っても良いように思いますが、実は4人が必要だったのです。お互いにバランスを保ち、声をかけ、相手を思いやる心、愛が導いたのです。
キリスト者を迫害していたパウロの目が開かれ、弟子となろうとしているとき、大反対にあいました。今まで弟子達を捕らえては獄に入れていたパウロを信じる事ができません。しかしそこにバルナバが遣わされ、パウロの力となりました。

この中風の者は、ささえる4人の信仰と愛の力により癒されました。主はそれを見て(解って)、「あなたの罪はゆるされた」と罪から解放され癒されたのです。

あなたは今、どうして教会に来ていますか?
なぜこのホームページを見ていますか?
何かがその行動を起こすよう働いているからです。

4人の者は中風の者が罪から解放され、自由とされ癒される事を望んでいました。だれかを主の元に連れて行ってみたいと思った事は多くあると思いますが、自分で無理だと結論を出していませんか?
「あの人は他の宗教をしているから」「神を信じるような人ではないから」・・・・・など。
屋根の瓦をはいでまで、主に会わせたい思いがありますか?
もしそう思うなら、行動するのは今です。屋根や人の器は、はがれる宿命にあるのです。そしてさらに大きな器とされるのです。この4人は、実はあなたかも知れないのです。

主イエスの望みは、全ての人が罪から解放され、自由を得る事です。まずあなた自身が罪から解放され、そして今以上の器とされ、用いられますよう祈ります。


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[祝福された生涯]キリスト教礼拝メッセージ要約

2011年07月17日 | メッセージ
2011年7月17日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ『祝福された生涯』のメッセージ要約をアップいたします。

聖書:創世記 23章1~20節
抜粋:1:サラの一生は百二十七年であった。これがサラの生きながらえた年である。2:サラはカナンの地のキリアテ・アルバすなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは中にはいってサラのために悲しみ泣いた。

<要約>
主の御名を賛美します。

アブラハムの生涯を取り上げた説教も14回目となりました。
アブラハムの妻、サラが亡くなった記事です。何とサラの生涯を記すため、創世記の一章を使っています。それほど大いなる女性だったと言えます。この章から以下3つの視点で見てまいります。

(1)アブラハムの妻サラの死
23:1 サラは127歳でこの世を閉じました。女性の没年が記されているのは、サラ一人です。99歳で身ごもりイサクを生んだサラ。イサクは37歳になっていました。
サラが亡くなった時、サラの元へ行き、激しく泣いたと記されている事から、アブラハムは立ち会っていなかったのでしょう。異母兄弟だったアブラハムとサラ。年少の時からよく知っていた二人でしたから、アブラハムは激しい悲しみに襲われた事でしょう。

(2)サラのための墓地取得
24:3 ここから18節まで、サラを葬るための墓地を得るために交渉している記事です。希望する地を所有するヘテ人にサラを葬る地を分けて欲しいと願うアブラハム。それに対してアブラハムを神のような主君主とするヘテ人。最も良い地を葬るようにと伝えます。無償でお受け取りくださいとの返事に、正当な対価を払うと伝えるアブラハム。
結局対価銀400シケルでアブラハムの土地となりました。あくまできっちりとした正確のアブラハムをここで知る事ができます。

(3)サラの葬り
24:19 墓地はカナンの地にあるマレム。アブラハム所有と定められた地です。この墓地にはサラから後、アブラハム、イサク、リベカ・・・・・ヤコブと葬られました。復活信仰でしたので、死人は足が神殿に向かい、よみがえりの時、まず神殿を拝する事ができるよう、眠りにつけられているようです。サラもアブラハムもそのように葬られたのでしょう。

神に守られアブラハムに愛されたサラでした。
三浦綾子さんは、「人には死ぬという最後の仕事がある」と言われましたが、サラはその死により、後世へと続く一族を葬る墓地を取得するきっかけを作り亡くなりました。
ヘブル11:8に、これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。天のふるさとを望んで生きる。
今辛い道を歩んでおられる方もおられると思いますが、主がご用意されている天のふるさとを望む。希望と勇気を与えるこれこそが大切な事だと思います。
今週も主の僕として、福音をのべ伝える事ができますように。


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[聴従の祝福]キリスト教礼拝メッセージ要約

2011年07月10日 | メッセージ
2011年7月10日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ『聴従の祝福』のメッセージ要約をアップいたします。

聖書:創世記 22章1~19節
抜粋:18:また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである。

<要約>
主の御名を賛美します。

アブラハムの生涯を取り上げた説教も13回目となりました。神がアブラハムに約束された事が成就し、年をとったアブラハム、サラに男の子が誕生し平穏な日々を過ごしておりました。そしてこれらの事の後、何が起こったのでしょう。

(1)信仰の大試練、イサクを捧げるアブラハム
22:1 イサクが生まれ平安に過ごしていたこれらの事の後、神様はアブラハムを呼びます。それに対しアブラハムは「ここにおります」と正面から神様に応えます。その神様からイサクを燔祭として捧げるように告げられます。過去の聖書ではもっと厳しい言葉で書かれています。『行け、そしてイサクを取れ(命を絶て)』と。
アブラハムは朝早く立って神様が示された場所へイサクと家の若者を連れて出かけました。そして三日目に神様が示された場所を見たのです。アブラハムにとって辛い移動だったことでしょう。

(2)そなえてくださる神(アドナイエレ)
22:5 同行してきた若者を置き、アブラハムとイサクは礼拝に向かいます。イサクは燔祭がない事に疑問を持ち、父アブラハムに問いかけます。アブラハムは神様がご用意なさると告げその場所に向かいます。そしてアブラハムは神様から告げられた通り、イサクを縛り、燔祭として捧げるため刃物でイサクに斬りかかろうとします。その時、主の使いがアブラハムに「手をかけてはならない」と告げます。アブラハムはそこに神様が用意された燔祭の雄羊をみつけ捧げました。

(3)聴従の祝福
22:15 聴従とは、他人の言うことを聞いてそれに従うこと。
アブラハムは我が子を捧げる事さえ、従いました。それにより大いに祝福されました。すべてが終わり、出発地のベエルシバに行きます(帰ったのではない)。まったく新しい神様との関係が生まれました。

神様は今、私たちにも語られています。それは我が子を捧げよという事ではないにしても、その問いに対し「ここにいます」と応え、神様が望まれている事に従う事ができるなら幸いです。


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[心をきよめるイエス]キリスト教礼拝メッセージ要約

2011年07月03日 | メッセージ
2011年7月3日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ『心をきよめるイエス』のメッセージ要約をアップいたします。

聖書:ルカによる福音書5章12~16節
抜粋:13:イエスは手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、重い皮膚病がただちに去ってしまった。

<要約>
主の御名を賛美します。

地元岡山県に長島という島があります。そこに愛生園という施設があり、多くのハンセン病の方が暮らしておられます。少し前までは、その重い皮膚病になると親元を離れ、隔離された生活を強いられておりました。本当に辛い病です。

(1)重い皮膚病にかかった人にイエスはどうされたか
見て手をのばしてさわりました。そして彼に「きよくなれ」と言われると、皮膚病がただちに去って行きました。見えるものばかりか、ドロドロした私たちの心の中をも、さわってくださっています。

(2)証明するよう伝えるイエス
重い皮膚病にかかってしまった人は、人から遠ざけられ普通の生活、人との接触ができませんでした。そこでその癒された体を祭司に見せるよう伝えます。14日間様子を見て、治っていると祭司が判断すると癒された証明をもらう事ができた時代でした。

主イエスは、この人を見て深くあわれまれた上での行動でした。深くあわれまれた事はルカの中にもう一箇所記されています。それは良きサマリヤ人の箇所(10:30)ですが、ユダヤ人から軽蔑されていたサマリヤ人。その地にユダヤ人が盗賊に襲われ、死にかけていました。交流のない人でしたから、無視して通り過ごす場面ですが、そのサマリヤの人は気の毒に思い、介抱し宿屋にお金まで払って看病するよう伝えます。サマリヤ人は主イエスそのものだったのです。

聖書では重い皮膚病を見える形で癒されましたが、実は今、見えない心の中を癒してくださっています。罪のない人はひとりもいません。主はその罪の心に哀れまれきよめてくださるのです。
主を信じる者はすでにきよめられています。ではどう証明するのか?
あなたが主からいただいた事、癒された事を証と通して人々に伝える事が、証明そのものなのです。
主の証人として、今週も歩んで行く事ができますように。


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