【聖書】ローマ人への手紙3章21~28節
【説教】「人は何によって救われるのか」
28: わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
主の御名を讃美いたします。
人はどうしたら、罪の中から救われるのか?これが、今日の主題 です。
先週まで、罪の結果による暗やみ、自らの欲望のあら わとしての偶像礼拝、また、自分の行いを正義として人への 裁きが指摘されています。そのような、罪とその結果からの解放は どのようにしたらもたらさせるのでしょうか?
まず最初に、律法を行うことによっては、罪からの解放はないこと が繰り返して書かれています。「律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。」3章20 節後半。
ここで、罪からの解放とは、十字架により神の義が与え られることであると書かれています。「それは、イエス・キリストを 信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えら れるものである。そこにはなんらの差別もない。」3章22節
「義」という言葉は難しいと感じてしまいますが、わかりやいこと ばでいえば「ものさし}と言い換える事が出来ます。
神は、イエス・キリ ストの十字架を通じて救いのものさしを与えてくださっているのです。 その救いのものさしを「ありがとうございます」と受 けとればいいのです。
22 節前半の「イエス・キリストを信じる信仰による神の義で あって、すべて信じる人に与えられるものである」を新しい翻訳の「共同訳では次のように翻訳しています。 「神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべ てに現されたのです。」 かなり違った訳となっています。口語 訳は、「行いではなくて、信仰による救い」が強調され、共同 訳では、私たちの信仰という以上に、イエス・キリストの信仰 (真実)が強調されているのです。
新型コロナウィルスの感染第四波が来ています。どうぞ今以上お気をつけください。
テケテケ
※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。
【説教】「人は何によって救われるのか」
28: わたしたちは、こう思う。人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
主の御名を讃美いたします。
人はどうしたら、罪の中から救われるのか?これが、今日の主題 です。
先週まで、罪の結果による暗やみ、自らの欲望のあら わとしての偶像礼拝、また、自分の行いを正義として人への 裁きが指摘されています。そのような、罪とその結果からの解放は どのようにしたらもたらさせるのでしょうか?
まず最初に、律法を行うことによっては、罪からの解放はないこと が繰り返して書かれています。「律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。」3章20 節後半。
ここで、罪からの解放とは、十字架により神の義が与え られることであると書かれています。「それは、イエス・キリストを 信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えら れるものである。そこにはなんらの差別もない。」3章22節
「義」という言葉は難しいと感じてしまいますが、わかりやいこと ばでいえば「ものさし}と言い換える事が出来ます。
神は、イエス・キリ ストの十字架を通じて救いのものさしを与えてくださっているのです。 その救いのものさしを「ありがとうございます」と受 けとればいいのです。
22 節前半の「イエス・キリストを信じる信仰による神の義で あって、すべて信じる人に与えられるものである」を新しい翻訳の「共同訳では次のように翻訳しています。 「神の義は、イエス・キリストの真実によって、信じる者すべ てに現されたのです。」 かなり違った訳となっています。口語 訳は、「行いではなくて、信仰による救い」が強調され、共同 訳では、私たちの信仰という以上に、イエス・キリストの信仰 (真実)が強調されているのです。
新型コロナウィルスの感染第四波が来ています。どうぞ今以上お気をつけください。
テケテケ
※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。