倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

【聖書】エレミヤ書1章1~10節 【説教】「わたしがあなたを遣わす」 2020/1/26 説教:小林光生師 要約:大元鉄也兄

2020年01月26日 | メッセージ
【聖書】エレミヤ書1章1~10節
【説教】「わたしがあなたを遣わす」

10:見よ、わたしはきょう、あなたを万民の上と、万国の上に立て、あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、あるいは滅ぼし、あるいは倒し、あるいは建て、あるいは植えさせる」。

主の御名を讃美します。

 この時代はBC625年以降で、イスラエル王国が滅んだ後たてられたエレミヤに神が望み預言されたものです。この箇所前後から神がエレミヤに言われた事を見てまいります。

(1)イスラエルの民の将来
神はエレミヤがまだ母の胎にいない時から聖別されていました。そして神はエレミヤを万国に遣わすと一方的なミッション(使命)を与えました。それは今は囚われの身になっているイスラエルを救うためでした。

(2)回復を与えられる神
エレミヤはバビロンに捕囚となった民に手紙をしたためました。今は囚われの身ですが、70年後には回復しますと。今は辛い生活ですが、今与えられている場所で咲きなさいと主は言われています。これは今を生きる私たちにも同じように語ってくださっています。

神が約束された事は、神の時に、将来にまさに来るのです。そしてそれは私たちに主イエスキリストが約束された天のマンションに主と共に住む事です。さてあなたは何号室にお住まいになるのでしょうね?

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーが語った事を筆者が感じ受け取った事を記しています。

【聖書】ヨハネによる福音書1章35~42節 【説教】「何か願いがあるのか」 2020/1/19 説教:小林和子師 要約:大元鉄也兄

2020年01月19日 | メッセージ
【聖書】ヨハネによる福音書1章35~42節
【説教】「何か願いがあるのか」

38:エスはふり向き、彼らがついてくるのを見て言われた、「何か願いがあるのか」。彼らは言った、「ラビ(訳して言えば、先生)どこにおとまりなのですか」。

主の御名を讃美します。

 本日は新約聖書の四福音書の一つ、ヨハネによる福音書からです。この福音書は前記載の共観福音書とは違う目線でヨハネ晩年書かれたものとされています。ここから主のコーリング(召し)に答えた二人の弟子について見てまいります。

(1)シモン
シモンはついに待ち望んでいたメシアと出会いました。主イエスもシモンに目を留め、あなたをメパ(岩)と呼ぶようにしようと答えられました。メパとはペテロの事ですが、主を慕う気持ちは大きいのですが、いざ自分に何かが及ぶようになると、「私はこの人を知らない」と逃げるような弟子でした。しかし主の十字架以降、イエスの教えを宣べ伝え、後の後、カトリックの初代教皇となりました。

(2)アンデレ
イエスはアンデレに「何か願いがあるのか」と声をかけられました。普通の返答としては、「実はこれを聞きたいのです」とか、「今は願いはありません」とか答えると思うのですが、アンデレは「どこにおとまりなのですか?」とトンチンカンな答えをしています。真意はわかりませんが、アンデレは主と泊り、あれこれと質問攻めにしたことでしょう。
アンデレの姿は強烈には記されていませんが、人と人をつなぐ事に長けていたようです。5千人の給食の場面では、2匹の魚と5つのパンを持っていた少年を主イエスに紹介しています。また異邦人(ギリシャ人)が主に会いたいとピリポに願いましたがピリポはアンデレに話し、アンデレが主に紹介しています。このようにアンデレは人と人をつなぐ働きを行い、主はこの後、十字架への道を進まれる事になるのでした。

 あなたの信仰は、ペテロやアンデレのような猛烈な信仰でしょうか?
どきっとしますが、私はそこまでの信仰が今はありません。しかし自分でもがいてどうにかするのではなく、その時がくると私にコーリングがあると確信しています。その時まで、主に全てを委ねる丸投げ信仰で今年走って行こうと思います。

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーが語った事を筆者が感じ受け取った事を記しています。

【聖書】詩篇119篇97~112節 【説教】「みことばは苦い、甘い?」 2020/1/12

2020年01月12日 | メッセージ
【聖書】詩篇119篇97~112節
【説教】「みことばは苦い、甘い?」
 説教:小林和子師 要約:大元鉄也兄

105 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。

主の御名を讃美します。

 この詩篇119篇はみ言葉詩篇とも言われています。暗唱聖句として何度か聞いた言葉が多く記されています。それではこの箇所から2つの視点で見てまいります。

(1)深く思う
筆者は主なる神を深く思っています。そう主に祈っています。しかも[ひねもす]思うと。今は[ひねもす]という言葉をあまり使いませんが、元の意味は、一日中とか生涯といった長いスパンの事を言っています。
筆者は一日中心を砕いて主を思う生活をしています。

(2)私の道の光
暗闇でも私が歩くところを明るく照らしてくれる光と主の事をたとえています。実際にあるく道ではなく、筆者の生活、生涯を明るく照らしてくださるのが主なる神なのです。

 主はみ言葉をもって私たちを導いてくださいます。たとえ今、暗闇を歩んでいたとしても、主は共に歩みあなたを明るい道へと導かれます。主の言、み言葉はあなたにとって苦いでしょうか? それとも甘いでしょうか? ドキっとするみ言葉もあるでしょうが、それから逃げようとしていることも主はご存じです。どうどうと、私はこのみ言葉通り歩むことができません。 そう主に祈ってください。きっとあなたにふさわしい時、主は導いてくださると思います。

 私事ですが、2020年の信仰の目標として以下をあげました。
「精一杯主に祈り、最後は頑張らず(我を張らず)主に丸投げできる信仰でありますように」

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーが語った事を筆者が感じ受け取った事を記しています。

【聖書】ルカによる福音書5章1~11節 【説教】「おことばですから網をおろしてみましょう」 2020/1/5

2020年01月05日 | メッセージ
【聖書】ルカによる福音書5章1~11節
【説教】「おことばですから網をおろしてみましょう」
 説教:小林光生師 要約:大元鉄也兄

5:シモンは、「先生、私たちは夜通し働きましたが、何も捕れませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。

主の御名を讃美します。

 2020年、明けましておめでとうございます。
詩篇103:2「わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ」
今年の教会のみ言葉が与えられ、このみ言葉を祈りつつ進んでまいりたいと思います。

 今年最初の聖書箇所は初めにふさわしい、主イエスの宣教開始の場面です。主イエスの宣教については良くご存じと思いますが、復讐として記します。
最初の宣教場所は・・・?
生まれ親しんだエルサレム、ベツレヘムではなく、北へ遠く離れたガリラヤ湖でした。漁師のシモンが漁を終え何だかうつむきながら網を掃除しています。彼らは夜通し網を下ろし続けたのですが全く魚が取れませんでした。そこへ主イエスが来られました。舟に乗り、多くの群衆にメッセージを離されました。イエスキリストの情報は既に群衆に伝わっていて、何千もの人が押し寄せて来たのです。
メッセージを終えるとプロの漁師シモンに「沖へ漕ぎ出し、網を降ろして漁をしなさい」と伝えます。プロの意地もあったでしょうがシモンは「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と網をおろしました。すろと網が張り裂けるほど魚がとれ、もういっそうが手伝わなければならないほどの魚果でした。
シモンは主イエスの聖なる力に恐れを感じ、私に近づかないようにと主に願うのです。

シモンは後にペテロと改名しますが、自分の舟を持つお金がありましたが、すべてを捨て、主イエスに人生を丸投げして弟子となりました。

私を知る方は「テケさんの今年のみ言葉は昨年と同じか」とお思いでしょうが、昨年は何度か自我がでて主の道をズレた事がありましたので、リベンジの年とします。
「主よ、私の道を備えてください。私はあなたに心を丸投げ致します」と。

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーが語った事を筆者が感じ受け取った事を記しています。