倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[mixi]初歩のmixi、はじめてみました

2006年09月27日 | その他
来年、ある物に特化したコミュニティーをウェブ上で展開する予定で現在作成中ですが、そのしくみをブレストすると、どうやら「mixi」のしくみによく似ていると言われ、どんなのだろう?と思っていました。2日前まで「mixi」の言葉は聞いていても見た事がなかったのです。
が、何とその夜ある人から「mixi」へのお誘いメールが届いたのです。何というタイミングでしょう。本当に主はすべてをご存じなんだ!と感謝しました。

と言う訳で、やっと「mixi」デビュー。何事も挑戦ですね!
アドレスは ↓ のようです。
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=6725795

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[キリスト教]傑作ジョーク集はこれだ!

2006年09月26日 | 伝道
牧会者、奨励者、その他メッセンジャーの皆様に朗報!

中野雄一郎師と岸義紘師がアメリカ伝道の中から探し出した「ジョーク集」です。牧師の皆様は、毎週のメッセージの中に、また信徒の皆さんは証しや奨励の中で用いられてはいかがでしょうか?

それではジョーク集の中から紹介いたします。

[ジョーク1]
 「あなた、早く起きなさいよう。礼拝に遅れますよ。」
 「いやだよ、僕。今日は休みたい。みんな意地が悪いし、役員の人たちは厳しいし・・・。
 「そんな事言ってる場合じゃないでしょう? あなたは牧師なのよ!」

[ジョーク2]
結婚式で、牧師が力をこめて言った。
 牧師「花嫁の純白のドレスは、何を意味しているのでしょう。それは、この上ない幸せのしるしなのであります。」
すると聴衆の一人が手を上げてたずねた。
 聴衆「では、花婿が真っ黒い服を着ているのは、何を意味しているのでしょうか?」
 牧師「・・・・・(^^;)」

<レビュー>
 もっともっとご紹介したい所ですが、著作を侵害する恐れがありますので、ここまでとしますが、結構笑えるもの、奥が深いもの、感動するものが250もまとめられているのです。
一本調子になりやすいメッセージが多いようですが、(これはご覧になられている牧師先生の事ではありません、たぶん)この本を参考にされ、ストレートにまた印象深いメッセージを語ってみれれてはいかがでしょうか?
 もし信徒の方で、牧師がジョーク集から抜粋して語っても、暖かい気持ちで受けとめてくださいますようお願い致します。


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世界傑作ジョーク250
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★★★★★(満点)
著者/訳者名:中野 雄一郎 編集 岸 義紘 編集
出版社名:いのちのことば社 (ISBN:4-264-02469-2)
発行年月:2006年09月
価格: 945円(税込)
発送時期 1~3週間で発送 発送時期について
出版社に在庫確認後、取寄せます。

[喜んで施す人]メッセージ要約(9/24)

2006年09月25日 | メッセージ
9月24日の倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約「喜んで施す人」
聖書:コリント人への第二の手紙9章6~15節
抜粋:9:7 各自は惜しむ心からでなく、また、しいられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛して下さるのである。

<要約>
 コリント人への第二の手紙、8~9章は「施し」を中心に書かれています。施しの目的は、エルサレムの教会へ援助を行うためでした。パウロはコリントの人々にどのように「施し」を伝えたのでしょう。そして現在の私たちへ何を伝えたかったのでしょうか。
 パウロは神への信仰の深さが施し、献金と直結していると教えています。ただし勘違いしてはなりませんが、多額の献金をしたから信仰深いのではありません。どのような気持ちで捧げたかなのです。同じ金額を捧げても、収入の100分の1を捧げた人と、10分の1を捧げた人では違います。もう一つ付け加えるなら、義務的に捧げた人と、喜んで捧げた人も全く違うのです。
 献金を捧げる時、「惜しむ」気持ちになった事はありませんか?この心がある限り、信仰が強く深いとは言えません。洗礼を受けクリスチャンになると、十一献金を捧げる事が出来ますが(洗礼を受けていなくても可能ですが)、計画的に喜んで捧げておられますでしょうか?
 月定献金を捧げる場合、多くの教会では「専用袋」に金額を記載し捧げますが、これはあくまで神様に捧げるものです。今自分が出来る精一杯の捧げ物ですから捧げる金額が少なくても何ら問題ありません。
「あんまり少なく献金すると、教会会計の人や役員に見られて恥ずかしいな!」何て思って捧げてはなりません。神は隠れた所ですべてをご存じだからです。
 施す事、捧げる事は、お金だけではありません。教会の雑用や音楽奉仕、清掃や食事の準備など、すべてが「施し」です。心から計画をもって捧げてください。
 「惜しむ」気持ちで捧げてはなりません。と先に書きましたが、弱い私たちには「惜しむ心」から逃れる事は難しいのです。しかしその心も神はご存じですから、その心が襲いかかった時、神を呼び求め、気持ちを告白してください。すべてを受けとめ許してくださると思います。
 詩篇112編に、「恵み、施しにより神様から義とされる」とあります。キリストを信じる事により、私たちを義としてくださるとともに、そのキリストさえ私たちにお与えくださったのですから、私たちを顧みないで、施されない事があるはずありません。神様はすべてをご存じで私たちが困る事のないようにしてくださるのです。
 施し、献金(身・時)を行う時は、惜しむ心を持たず、計画し準備して捧げる事が大切な事です。そして捧げたものは全て天に蓄えられ続けるのです。

 ああ我が主よ、我が神よ、御名を讃美いたします。
私たちは喜んで施したいと思っていますが、時として「惜しむ心」が現れるのも事実です。しかし主よその私たちの心もご存じですから感謝いたします。私たちは、あなたから頂き、預かったタラントでので生活をしています。その中で生まれたお金や技術、時を自ら捧げる事が出来るようにしてください。計画的に喜びをもって捧げる事ができるようにしてください。

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[カウンセリング]心の病と向き合って!

2006年09月19日 | 祈り
 アメリカの心理学者サスは、自分が何者なのか、何が良心なのか解らない時代になっていると記しています。すぐに生命を脅かす病でないにしても、確かに人は病んでいます。なぜこのように病む人が急増して行ったのでしょうか?
 幼少期にどのような教育を受けたかによって、後の心に大きな影響を及ぼす事が解りました。心の病は「遺伝」ではなく「育成」によって発病するのです。大きくなった時、対人関係に影響を及ぼします。それではどんな「育成」が後に心の病となるのか見て行きます。

 子供が小さい時、親は愛情をもって教育します。そして良くできた時には誉め、出来なかった時には叱ります。小さな事も躾として教育します。子供はよく見られるために頑張るのです。しかし、いつも上手くいくとは限りません。親はつい「あなたのためにやっているのになぜ解らないの?」と子供に訴えるのです。
 聞いた子供はどう思うでしょうね。出来るだけ「良い子」を演じようと思うように変化して行きます。親が不機嫌と思うような事は、決して言わないのです。じっと自分の心に溜め続けるのです。
 そして「思春期」がやって来ます。今までは親の考えは絶対的なものでしたが、相対的に見るようになってきます。「なぜ、こんな我慢をしなくてはいけないのか?」「生きる意味がわからない」と思うようになるのです。そして自分の我慢の限界を超えた瞬間、何かが起こってしまいます。例えば最近の家族内暴力、放火、窃盗など、数えたらきりがないほどです。

 それでも我慢し続ける子供もいますが、これが続くと「人格障害」になるケースもあるようです。一人で我慢し続ける事によって、ますますひどくなって行くのです。
 SOSを出している子供は多くいるはずです。子供を見る「アンテナ」の精度を上げてくださいね。そしてもし見つけたら、優しく声をかけ、コミュニケーションを率先してとってみてください。辛抱強く継続してとり続けてください。
 掲示板やメールでSOSを発している人が増えていますが、自分の事と思い声をかけてください。決して一人で悩まないように、また私も仲間である事を伝えてくださいね。
私たちクリスチャンに出来る事、親や先輩だから出来る事、それは声をかけコミュニケーションをとる事から始まると思います。そして主に祈り「いつものあなたを愛しているよ」と伝えてみてください。すぐに結果は出ないかもしれませんが、継続してくださいね。

 今、心の病と闘っている方がいるなら、悩み続けるより傷みも喜びも分かち合う仲間、キリスト教会へ行ってみませんか?きっと何かが始まると思います・・・

※2006年9月18日、広島福音教会で行われた「心の病と向き合って」(講師:有田モト子先生)より

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[真の福音]メッセージ要約(9月17日)

2006年09月19日 | メッセージ
9月17日の倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約「最も大いなるもの」
聖書:コリント人への第一の手紙13章1~13節
抜粋:1:10 今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。

<要約>
 台風13号が九州に大きな被害をもたらしてしまいました。被害にあわれました方々の心、物の回復がなされますよう祈ります。
 早速聖書に入りますが、2000年前のガラテヤと思わず、今私たちが生きている教会としてお読み下さい。
 パウロは書簡でまずガラテヤの人に私は使徒である、と告白してはじめています。使徒とは、実際に主イエスと行動を共にした者が用いる言葉です。「あれ?パウロは最初弟子達を迫害し、実際は伝道を共にしていないのでは・・・?」と思われる方もおられるでしょうが、復活の主イエスと接し、弟子達の先頭をきって福音を宣べ伝えていましたので、直接の弟子に間違いないと言えます。
 パウロはいろんな教会へ手紙を書いていますが、例えばコリントの教会へは、「神の教会」としるしています。が、このガラテヤの教会へは「諸教会」と表現し、もはやキリストの体ではないともとれる書き方をしています。パウロはガラテヤの教会の惨状を見て、あきれ果てているのです。パウロは何に対しあきれ果てているのでしょう?
・キリストの恵みから離れている
・違った福音に落ちている
・キリストの福音を曲げようとしている者にかき乱されている
ガラテヤの教会が大きくなるにつれ、キリストの教えから離れ、勝手な解釈をもって人々を扇動する者がでているのです。そしてパウロは、かき乱す者はのろわれ、神の裁きを受けるべきだと断言するのです。同じキリストの弟子達が、キリストから離れている事実を見て、パウロの悲しみはどんなに大きかった事でしょう。
 今皆さんはまことの福音を信じ、伝えていますでしょうか?
 パウロが心配していた事が現実に多く起きています。「カルト」と言われるものや、キリスト教とは全く違うものでありながら「キリスト教」と称し人々を騙す集団など・・・
ガラテヤ人への手紙と全く同じ事が今、起こっているのです。
「まことの福音」とは、キリストの教えを自分勝手(カルトの都合など)に解釈したりする事無く、聖書に基づいた教えを守り、伝道する事なのです。パウロはカルトなどの異端に対し、のろわれ、神の裁きを受けるべきだと語っているのです。私たちも真摯に受けとめなければなりません。もし今、そのような集団から攻撃を受けたり、勧誘されたりしているなら、正統的な主の弟子であるプロテスタント教会の門をたたいてください。ほんとうのキリストに触れる事ができるばかりか、福音があなたに注ぎ続けられる事でしょう。

 重要:エホバの証人、ものみの塔、モルモン教、統一教会、その他カルト集団から勧誘されている方、またすでに入ってしまい苦しんでおられる方、ぜひお近くの正統的なキリスト教会へ行かれますように。そして真実の主に触れる事ができ、救われますよういのります。

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[最も大いなるもの]メッセージ要約(9/10)

2006年09月11日 | メッセージ
9月10日の倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約「最も大いなるもの」
聖書:コリント人への第一の手紙13章1~13節
抜粋:13:13 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。

<要約>
 「愛の章」と呼ばれていて、結婚式では必ずといって良いほど読まれている箇所です。誰かを愛したい、そして愛されたいと思う事は自然な感情です。しかし現実を顧みると、「私は誰かに愛されているのだろうか?」と思ってしまう事はありませんか?。
要約を記します前に、もう一度聖書の読み方をお伝えします。決して2000年前のコリント教会の出来事と思わず、今自分が集っている教会、また行ってみたい教会の事を思って以下をお読み下さい。
 聖書に戻りますが、この書簡はパウロがコリントの教会へ書いたものです。コリントの教会は、活発な活動をしておりましたが反面、いつも分裂の危機にありました。教会員が一気に増え、「私は○○さんに着いていくんだ。」「いや私は△△さんに従う。」と自分に都合の良い指導者を選ぶようになってしまいました。そして信徒の中には「死者の復活などないのだ」と肉の思いを語る者まで現れてしまうのです。パウロはこの荒れ果ててしまったコリントの教会を見捨てる事が出来ず手紙を送るのです。
 私たちは立派だからクリスチャンになったのでしょうか?違いますよね、全く逆で罪人であったためにクリスチャンとされたのです。教会へはいろんな人がやって来ます。自分の考え方と違う人も多くいるでしょう。そこでどう交わり、相手を受け入れるか。
「愛」をもって受けるしかないのです。
また、教会の中では、いろんな賜物を比較するようになります。例えば、多額の献金をしたから1番、市会議員だから2番とか・・・こんな事があってはなりません。個人個人の「チンケ」なプライドがそうさせ、「愛」のカケラもなく、これこそ罪以外のなにものでもありません。いつも隣にいてくださっている主イエスが喜んでおられるでしょうか?
またパウロは裕福な者と、そうでない者が同じ教会へ集う事で「ねたみ」が弱い心に起こる事も記しています。裕福な者は「誇らず」、またそうでない者は「ねたまず」、自分と主との関係に立ち戻らねばなりません。
自分を誇らずねたまず、愛をもって交わる事ができる方はなんと幸いな方でしょうね。
 「最も大いなるもの」・・・もうお解りのとおり、「愛」です。同じ教会に集う方々に対し、「愛」をもって誇る事無く、またねたむ事無く接していますでしょうか?
肉の思いに負けそうになった時、『いつも主は私の隣におられる』事を確信し、愛をもって接する事ができますますように。
『愛の花びらはちらない!』のです・・・。

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[琥屋(こや)]1st.impression(ラーメン 倉敷)

2006年09月07日 | Weblog
 数日前オープンしたというラーメン店「琥屋(こや)」へ行ってみた。場所は山陽自動車道、倉敷インター付近。元100円ショップ跡との事だが、古民家風の建物でかなりデカい。
 店内に入ると、順番待ち用のボードがあり記名し順番を待つ。すぐに席が空き6人掛け用のテーブル席へ案内された。メニューを見ると今風の手書きで、メインメニューは「赤」と「白」。迷わず「赤」の茹で普通をオーダー。数年前、博多一風堂が全国レベルで有名になる前、食べに行ったが、その時のメニューを思い出した。修行をしたのか、マネをしたのか定かではないが(一風堂岡山店で修行していた事が解りました)、うまけりゃ何でも良い。テーブル席に用意されている香味類は、「紅ショウガ」「ニンニク」「辛高菜」それと何だったかもう一種類。
 待つ事数分、「赤」が運ばれた。東京風なのか「ノリ」が一枚どんぶり内に飾ってある。私はトンコツと海苔味は基本的に合わないと感じているので、スープに影響しないところに移す。もし次回来たなら「海苔ヌキ」をオーダーしよう。
まずはスープを一口・・・「美味しいけど、うまくない!」トンコツ独特のうまみが消され、万人受けするまろやかな味に仕上げられている。「一風堂とは全く違うラーメンなんだ」と瞬間的に思った。
 麺はストレートの細麺で、博多ラーメンの本道。だが、茹で加減が違う。「普通」で頼むと「やわ」が出てくる。ちなみに茹で方のオーダーは「バリカタ」「カタ」「普通」「やわ」から選べるが、「カタ」以上の茹でをお勧めします。ちなみに「ハリガネ」はありませんが、オーダーすると可能かも・・・

<総合評価>
★★★☆☆ (星3つ)

万人受けしそうな「トンコツ風」のスープだが、特徴がまったくなく、飲みやすい。「赤」でクセがないなら、「白」は試してみる事もないだろう。
麺の茹では長めで柔らかなので、「博多トンコツラーメン」を希望されるなら、「ハリガネ」「バリカタ」「カタ」からお選び頂く事をお勧めします。
トッピングは「チャーシュー」「モヤシ」「キクラゲ」「ネギ」から構成されており、香味類を自分好みに足す事で味に変化が起こる。クリーミーなクセのないスープには「辛高菜」が合うように思う。
価格は「赤」が650円、「白」が550円。確かに美味しいが、味の割に高く感じてしまう。
私のレビューは以上ですが、皆さんはどう思われたでしょうか?ご意見お待ちしています~。

<関連リンク>
☆ラーメン大好きブログ(琥屋レビュー)
☆博多ラーメン琥屋(岡山店)

[異邦人への伝道]メッセージ要約(9/3)

2006年09月04日 | メッセージ
9月3日の倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約「異邦人への伝道」
聖書:使徒行伝13章44~52節
抜粋:13:47 主はわたしたちに、こう命じておられる、/『わたしは、あなたを立てて異邦人の光とした。あなたが地の果までも救をもたらすためである』」。

<要約>
 9月に入りましたね。第一主日なので倉敷ホーリネスチャーチはファミリー礼拝、そして聖餐式が取り込まれた式次第になっています。
 聖書を読んで理解する「コツ」ですが、皆様はどのようにお考えでしょうか?私は一読した後、目を閉じその場に私がいる想像をします。今日の聖書箇所、場所はアンテオケの教会です。熱心に旧約聖書を読んでいるユダヤ人や異邦人が見えますね。
 さていよいよ聖書に入りますが、メッセージタイトルは「異邦人への伝道」です。伝道の結果としては、今アンテオケから遠く離れた日本で私たちは聖書を読んでいるのですから、パウロが47節に記した事が成就された事になりますね。
教会の中で熱心にユダヤ人たちが律法の書(旧約聖書)を読んでいます。そして有名なラビ(先生)であったパウロが奨励を行います。パウロは旧約は主イエスを預言する書物であり、救いは主から来る!と大胆に語ります。「神の言(ことば)」、主イエスを信じる事により力を得、救いがくるのだ。と多くのユダヤ人や異邦人は理解し救われました。
 アンテオケに留まっていたパウロとバルナバは翌週も会堂に向かいます。多くの群衆がパウロの話、すなわち旧約の預言を聞きに集まって来ます。しかし熱心なユダヤ教徒は、その光景を見て「ねたましく」思い、パウロ達を口ぎたなく反対するのです。しかしパウロは、ますます大胆に語り、多くの者が神を讃美し主イエスを信じたのです。
なぜユダヤ人はそこまで「ねたみ」を持ったのでしょう?熱心に律法を守る者は苦痛の毎日を送っていたのでしょうね。自分達は生活を犠牲にして律法を守っているのに、今まで何もしていない異邦人が同様に救われるのは納得出来ない!と思ったのでしょうね。
 神から選ばれた民と自負するユダヤ人(パリサイや律法学者たち)は、パウロの奨励に、ねたみから反対し続けます。神からますます離れた行く事に気付いていないのです。
ねたみ続けるパウロに反対する者達は、権力者を扇動してパウロ達を迫害させ、アンテオケから追放してしまいます。迫害と簡単に書きましたが、むち打ちもあったでしょうし、想像を絶する苦痛があった事と思います。追放されたパウロとバルナバは足のちりを払い落とし(あなたがたとはもはや関わりがないとの意)、イコニオムへと向かってしまいました。
 パウロの奨励により、神を信じ、主イエスを信じた人々は落胆したでしょうね。しかし、残された者達はますます聖霊に満たされ喜びに満ち神を讃美したのです。
 何をすれば神から義とされるのでしょうか?毎日聖書を読む事でしょうか?多くの献金をする事でしょうか?間違いではありませんが、それぞれは結果として自然に行うもので、最も大切な事は、「主イエスキリストを信じる事により神から義とされる」事を信じる事です。パウロ達の伝道は、私たちの原点です。この活動なくして私たちが救われる事はありませんでした。
 無宗教国家と言われる日本、異邦人の代表がこの日本です。今パウロはいませんが、その教えを引き継いでいる私たちが今立ち上がり、本当の神を奨励し主イエスキリストのみにより義とされる事を伝え続けなくてはなりません。まずは、あなたの最も近くにいる人から始めてみられてはいかがでしょうか・・・!

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[GT-8]エフェクターがやって来た!(BOSS GT-8)

2006年09月02日 | 伝道
 昨日に続き「エフェクター」についてです。
仕事が終わり、私の住んでる町で一番大きな楽器店へ、ギブソンES-355に使用する「エフェクター」の下見にまいました。単品のエフェクター(全てBOSS製品)は数個持っていますが、今回は「マルチ・エフェクター」が目当て。
 昨夜マルチエフェクターのDVD「BOSS GT-8」を見たせいで、既に楽器店到着時には「GT-8」を探している自分がありました。そして・・・
「オッ、あった!」見つけました。店頭の説明用なので、多少よごれていました。店員さんがいろいろ説明してくれましたが、デモDVDには到底及びません。「やっぱり結構値段良いね!」と店員に質問。「さほど値引きは出来ませんが、純正のペダル(エクスプレッション・ペダルEV-5)をおつけします。」と店員。なかなかやるな。一応今日は下見だけよ、と思わせながら店内を物色。でも結局「GT-8」のところに戻っちゃうんですよね。そして店員がとどめのひと言、「高品質のギターケーブル3.5メーターもお付けしますよ、ギブソンをご購入頂いておりますし・・・」。
 もうダメだ、歯止めが利かない。「在庫はあるの?」と私。「現在1台のみ在庫がございます」と店員。

 と、いう訳で今我が家に「BOSS GT-8」がやって来たのです。
自宅で早速ダンボールから出してみると、結構デカイ。大きい分、各スイッチやペダルは踏みやすそうだ。火を入れる前(古い表現ですね)にマニュアルを読もうとパッケージの中を探すと・・・「あった、えっ?・・・こんなに厚いのマニュアル!」何と、106ページもあるのです。ま~「マルチ・エフェクター」だから仕方ないな、と思いながらページを読み進める。だんだん頭が痛くなってきた。パッチバンクの1~35がユーザー設定なんだ。・・・何それ?

 結局当日はマニュアルを「眺め」ただけで終わってしまった。唯一使った機能として「チューニング」。「ハハハ、便利だね(^_^;)」と訳の解らない事をつぶやきながら夜は更けて行った・・・
「だ、誰か・・・助けて~(^_^;)」


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[BOSS]エフェクターがないと・・・!

2006年09月01日 | 伝道
 昨日は8月の最終日。売上最終の詰めを行って帰宅し、早々と食事と入浴を済ませ、昨日我が家にやって来た「Gibson ES-335」とチラッと見る。「憂いやつよのう~」と思いつつ、楽器店で頂いたエフェクターのDVDを妻と一緒に見る事に。
何が必要なのかを知ってもらうために、面白くなかっただろうけど我慢して「BOSS GT-8」のデモを見る。
 エフェクターは小型のものを何台か持っていますが、「BOSS GT-8」のあまりの機能に唖然としてしまった。「これって、本当にこの1台で何でもいけるじゃん!」。デモDVDの最初を見ての素直な感想。そしてDVDは詳細の説明へと進んで行くのです・・・

約1時間ほどあったでしょうかDVD。ギターを弾くミュージシャンの巧さと、GT-8の百変化する音に圧倒され、心地よさと共に不安が脳裏を走って行きました。音作りのセッティングに、既に私の理解できる許容範囲を超えていたからです。
「確かにGT-8は素晴らしい。何台ものエフェクターをつなぎ合わせる事もなくなるな。でも・・・」。私が理解し、扱える代物なのだろうか?

ふっと、パソコンを始めて購入した時を思い出しました。まだフロッピー全盛のMS-DOS。我流で何日も、何ヶ月もかけ覚えたな。10数年前の話だが、根っからのチャレンジ精神がメラメラと燃えさかっている。
恐らく、いや絶対に買うだろうが、これからどうマスターし、ワーシップソングに、ゴスペルに、礼拝に活かす事ができるか、機会がありましたらご報告いたします。
GT-8を使用している方がもしご覧になられましたら、ご感想やアドバイスお願い致します~。

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