【聖書】使徒行伝1章3~11節
【説教】「二つの約束」
8: ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。
主の御名を讃美いたします。
あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおい でになるであろう」。 使徒行伝1 章11 節
いつも礼拝で共に使徒信条を告白しています。その中では主イエスに対する信仰告白が一番長いのです。「三日目に死人 の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審 きたまわん。」今日はこの場面が登場します。 今日の聖書箇所は、復活された主イエスが弟子たちに約束を与えられて、天にのぼられた場面です。その所は、オリーブ 山です。主イエスが十字架に架かられる前に祈られたところです。(他の福音書ではゲツセマネ)
復活された主イエスは弟子たちに「父の約束を待っていなさい」と言われたのです。弟子たちの関心は「その約束は、こ のローマ帝国に支配されている状態から解放されることですか」「それが今ですか」というものでした。 主イエスの答えは「イスラエルの回復の時は、神が決めておられることである。あなた方が決めることではない」という ものでした。
復活の主イエスが弟子たちに、また私たちに与えられて約束は何であったでしょうか。それが、「聖霊を受けて、私の証 人(しょうにん)となる」ということです。証人とは、裁判でも使われますが、自分が見たことを、体験したことを明らか にする人です。「主は今、生きておられえる、わがうちにおられる」という賛美があります。 主イエスが今も共にいてくださり、主イエスの救いがどのようなものであるかを体験して、「証言する」のです。今日は、 ペンテコステ(ギリシャ語の50 に由来する)で教会の誕生日ともいわれる日です。復活祭(イースター)から50 日目の日 曜日で、元々は旧約聖書での収穫の祭りの日でありました。
「霊」とはヘブル語で「息」という意味です。アダムが神によって「息が吹き込まれた」ように、私たちも主イエスのい のちの息を吹き込まれたものとして歩むものです。感謝します。
もう一つの約束は、天をみつめている弟子たちに御使いが告げた約束です。それが、「あなた方が主イエスが天に上げ られるのを見たのと同じ<有様>でもう一度、主イエスが来られる」という約束です。 先週、「夏の甲子園の試合がなくなる」というニュースが入り、近くの高校の練習グランドを見ましたが、いつもは練 習の声が響いていのに、だれもいないという<有様>でした。<有様>とあります。そうです。見える形での、主イエス がもう一度来られるという約束です。主イエスの再臨は、見えない、シンボル的な預言ではないのです。 祈り 初代教会の挨拶が「マラナタ・主よ来たりませ」が合言葉であったように、私たちも聖霊に生かされて、主にお会 いする準備ができますようにしてください。
インターネット礼拝へのリンクです
https://www.youtube.com/watch?v=qlAFxmHluOw&feature=youtu.be
今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。
テケテケ
※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。
【説教】「二つの約束」
8: ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。
主の御名を讃美いたします。
あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおい でになるであろう」。 使徒行伝1 章11 節
いつも礼拝で共に使徒信条を告白しています。その中では主イエスに対する信仰告白が一番長いのです。「三日目に死人 の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審 きたまわん。」今日はこの場面が登場します。 今日の聖書箇所は、復活された主イエスが弟子たちに約束を与えられて、天にのぼられた場面です。その所は、オリーブ 山です。主イエスが十字架に架かられる前に祈られたところです。(他の福音書ではゲツセマネ)
復活された主イエスは弟子たちに「父の約束を待っていなさい」と言われたのです。弟子たちの関心は「その約束は、こ のローマ帝国に支配されている状態から解放されることですか」「それが今ですか」というものでした。 主イエスの答えは「イスラエルの回復の時は、神が決めておられることである。あなた方が決めることではない」という ものでした。
復活の主イエスが弟子たちに、また私たちに与えられて約束は何であったでしょうか。それが、「聖霊を受けて、私の証 人(しょうにん)となる」ということです。証人とは、裁判でも使われますが、自分が見たことを、体験したことを明らか にする人です。「主は今、生きておられえる、わがうちにおられる」という賛美があります。 主イエスが今も共にいてくださり、主イエスの救いがどのようなものであるかを体験して、「証言する」のです。今日は、 ペンテコステ(ギリシャ語の50 に由来する)で教会の誕生日ともいわれる日です。復活祭(イースター)から50 日目の日 曜日で、元々は旧約聖書での収穫の祭りの日でありました。
「霊」とはヘブル語で「息」という意味です。アダムが神によって「息が吹き込まれた」ように、私たちも主イエスのい のちの息を吹き込まれたものとして歩むものです。感謝します。
もう一つの約束は、天をみつめている弟子たちに御使いが告げた約束です。それが、「あなた方が主イエスが天に上げ られるのを見たのと同じ<有様>でもう一度、主イエスが来られる」という約束です。 先週、「夏の甲子園の試合がなくなる」というニュースが入り、近くの高校の練習グランドを見ましたが、いつもは練 習の声が響いていのに、だれもいないという<有様>でした。<有様>とあります。そうです。見える形での、主イエス がもう一度来られるという約束です。主イエスの再臨は、見えない、シンボル的な預言ではないのです。 祈り 初代教会の挨拶が「マラナタ・主よ来たりませ」が合言葉であったように、私たちも聖霊に生かされて、主にお会 いする準備ができますようにしてください。
インターネット礼拝へのリンクです
https://www.youtube.com/watch?v=qlAFxmHluOw&feature=youtu.be
今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。
テケテケ
※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。