倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

【聖書】歴代志上22章6~13節 【説教】「父ダビデのソロモンへの遺言」 説教:小林光生師 要約:大元鉄也

2019年02月24日 | メッセージ
【聖書】歴代志上22章6~13節
【説教】「父ダビデのソロモンへの遺言」

13:あなたがもし、主がイスラエルについてモーセに命じられた定めとおきてとを慎んで守るならば、あなたは栄えるであろう。心を強くし、勇め。恐れてはならない、おののいてはならない。

主の御名を讃美します。

 今日は歴代志からのメッセージで「父ダビデのソロモンへの遺言」という説教題です。
小林師私のご両親もキリスト者として私に「どんな遺言を残してくれたであろうか。」と考えて見ました。 小林師の父親は、みことばを短冊に書いていたようです。
「権勢によらず 能力によらず わたしの霊によるのである」
この他に 「我らの国籍は天にあり」「民よいかなる 時にも神に信頼せよ。そのみ前にあなたが たの心を注ぎ出せ。」などの書があります。これらは 小林師にとっての遺言であると師はメッセージで語られました。
 母親の遺言はどんなであろうと考えているうち に、短歌ぽいのが出来たようです。 母のくせは 「主の山には 備えあり」 今なお響く これこそ大遺産普通遺言というと遺産のためだというイメージが強いですが、両親をはじめ、 多くの先に天に召された方々のことば も遺言であります。
さて、ダビデは息子にどんな遺言を残 したのでしょうか?それは・・・
①主の家を建てよ。
②主の約束(律法)を守れ。

 ダビデの遺言を今回は学びましたが、主イエスキリストは私たちに何を残したかったのでしょうか?
主イエスキリストは私たちに精霊を残されました。これは目に見えるものではありませんが、信じる私たちの内に造られている神殿を残されました。そうあなた自身が神殿なのです。

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーが語った事を筆者が感じ受け取った事を記しています。
(福音の風参照)
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【聖書】詩篇91篇1~10節 【説教】「私たちの住まい」 2019/2/14 説教:小林和子師 要約:大元鉄也

2019年02月17日 | メッセージ
【聖書】詩篇91篇1~10節
【説教】「私たちの住まい」

9:あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、10:災はあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。

主の御名を讃美します。

「いと高き者のもとにある隠れ場に住む人、全能者の陰にやどる人は・・」詩篇91篇1節

 この91篇は、背景が似ていて90篇との続きではないかとも言われます。1節は、神を信頼することを格言的に表現しています。「いと高き方の隠れ場に住む」こと、後半の「全能者の陰に宿る」ことは同じような意味ですが、「宿る」とは次の日に出かけて行くこともあることを意味しています。しかし「住む」は私たちの家族を含めた大切な者たちもそこにおいて生きることです。そのことを9節で、「あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので」 と言っています。

 「宿」をとる事は自分でどこにするか選択しています。「宿る」とは、そこへ逃げ込み、回復するという意味もあります。ですからこの詩篇は「守りの詩篇」とも言われているのです。

 この住まいは濃い霊的な交わりの家で主は以下の約束を私たちにされています。
①私は(主は)彼を助け出そう
②私は彼を高く上げよう
③彼が呼び求めれば答えよう
④彼を救い誉れを与えよう
⑤私の救いを彼に見せよう と。

 主を求める者に、主は答えてくださるのです。そして今は私とあなたは別々に住んでいますが、後に訪れる本当の時には主が住まいを用意して私たちを待っていてくださっています。

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーが語った事を筆者が感じ受け取った事を記しています。
(福音の風参照)
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【聖書】詩篇90篇12~17節 【説教】「世の終わるまで喜び楽しませてください」 2019/2/10 説教:小林和子師 要約:大元鉄也

2019年02月10日 | メッセージ
【聖書】詩篇90篇12~17節
【説教】「世の終わるまで喜び楽しませてください」

17:われらの神、主の恵みを、われらの上にくだし、われらの手のわざを、われらの上に/栄えさせてください。われらの手のわざを栄えさせてください。

主の御名を讃美します。

 「あなたの目の前には千年も過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。」詩篇90篇4節
このみことばが新約聖書のペテロの第2の手紙に出ています。 「愛する者たちよ。この一事を忘れてはならない。主にあっては、一日は千年のようであり、千年は一日のようである。

 ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。」第2ペテロ3章8、9節
ペテロの手紙には他の箇所にもこの詩篇に通じることばが出ています。ここには時を意識した生き方があるように思いました。

 今日の詩篇90篇は詩篇第四巻の最初で、モーセの祈りと表題にあります。偉大な預言者、指導者であった彼の生涯の課題や祈りが記されているのだと 思います。 「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。」
12節 私たちも共に祈らされます。ペテロは失敗の多い人物であったからかもしれませんが、主に愛され続けて頂いたのです。主は、この私も主から愛され、赦されて用いてくださるのです。 「主はあなたの魂を導き救い、神さまのために用いてくださるのだよ」と答えてくださっているのです。

 本日のタイトル「喜び楽しみ」ですが、あなたの喜び楽しみは何ですか?
美味しい食物を食べ、飽きるほどに酒を飲み、気持ちが良くなる事ですか? それも瞬間楽しく喜びの時かも知れませんが長続きしませんし、すぐに飽きる事でしょう。
 私たちクリスチャンは何が喜びで楽しみかを知っています。それは今の仮の世を全うし、主の許へまいる事。それが私たちの喜びであり楽しみでもあるのです。まだ主を知らない人は、本当にもったいないことです。どうぞ主の日が来る前にぜひ教会へ・・・

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーが語った事を筆者が感じ受け取った事を記しています。
(福音の風参照)
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【聖書】マタイによる福音書13章24~32節 【説教】「毒麦がまかれた」 2019/2/3

2019年02月03日 | メッセージ
【聖書】マタイによる福音書13章24~32節
【説教】「毒麦がまかれた」

30:収穫まで、両方とも育つままにしておけ。収穫の時になったら、刈る者に、まず毒麦を集めて束にして焼き、麦の方は集めて倉に入れてくれ、と言いつけよう。

主の御名を讃美します。

 あっと言う間に1月が過ぎ去り、2月に入りました。
今週は『毒麦』のたとえですが、まだ育っていない麦、大麦、小麦、毒麦とあるようですが、蒔いたばかりの時は麦に紛れ込むと解らないそうです。誰かが毒麦を蒔いた事実があったとしても、育っていない時に抜いてしまうと、良い麦まで抜いてしまうかも知れません。だから神は、毒麦もそのままにしておきなさいと言われているのです。実って毒麦を食べてしまったらどうしよう! 
 そう思うかも知れませんがご安心ください。収穫の時、神によって区別され、毒麦はすべてまとめられて業火で焼かれ消えてなくなります。

 若い今、毒麦である人がいても目を覚まし耳を開いて聞いてください。
主に祈り毒麦である自分が変えられますよう祈り求めてください。最後の審判の時は明日かもしれません。後の祭りとなりませんよう、今主をお求めくださいますように。

今週も主にあり、素晴らしい日をお過ごしください。

テケテケ
※要約はメッセンジャーが語った事を筆者が感じ受け取った事を記しています。
(福音の風参照)
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