倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

愛がせまっている

2005年07月25日 | メッセージ
7月24日、倉敷ホーリネスチャーチ主日礼拝メッセージ要約です。

[聖書]コリント人への第二の手紙5章14節~6章2節
(抜粋)5:14 なぜなら、キリストの愛がわたしたちに強く迫っているからである。わたしたちはこう考えている。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである。

[要約]
5:14は口語訳で「キリストの愛がわたしたちに強く迫っているから」となっていますが、新共同訳では「キリストの愛がわたしたちを駆り立てているから」新改訳では「キリストの愛が私たちを取り囲んでいるから」と訳されています。キリストの愛が取り囲むといったどうなるのでしょうか?

パウロが人々にキリストを語る姿を見て、人々は「このパウロは正気じゃないな」と思ったようです。すでにパウロ自身が考え語ったのではなく、キリストを着て主により語っていたからです。
パウロは自分のために生きているのではなく、自分のために死んでくださった方のために生きていると証しているのです。まさにパウロにキリストの愛が取り囲んでいたのです。

これは200年前の歴史ではなく、今この瞬間にも起こっている事です。自分の罪に気づき悔い改め、主を望む時、キリストの愛が取り囲んできます。恐れる事はありません。「はい」と素直に全てに従い受け入れてください。
もしあなたが教会で「正気ではない、おかしくなったのか?」と言われても気にする必要はありません。それどころかキリストの愛が取り囲んでいるのです。新しく造りかえられたのです。

私たちは主から大宣教命令を受けています。神と和解し、キリストの愛を受け入れ、その喜びを伝えてください。
今は恵みの時、伝道の時なのです。

テケテケのキリスト教サイトへGO

癒しの福音(2)

2005年07月18日 | メッセージ
7月17日調布キリスト教会のメッセージ要約です。

聖書:ヤコブの手紙5章13~18節「神癒の福音(2)」
「5:13 あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。5:14 あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。5:15 信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。5:16 だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。5:17 エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。5:18 それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。」

ヤコブが書いた書簡です。新約聖書に「○○への手紙」が何書かありますが、ほとんどが教会に宛てたものです。ですからこの書簡の文中に「あなたがたの中に・・・」と記されているのは、教会に集うクリスチャンに宛てたものなのです。
文中に「○○でいる者」についてこうしなさいとヤコブは伝えています。
①苦しんでいる者・・・祈りなさい
②喜んでいる者・・・さんびしなさい
③病んでいる者・・・祈ってもらいなさい
この病んでいる者とは、祈る事さえ出来なくなっている者も含まれています。その時は、まねきの祈りをしてもらいなさいとヤコブは言っています。教会の長老や霊的に成長しているクリスチャンに信仰による祈りをしてもらいなさい。と伝えているのです。
また、罪を犯している者について、互いに罪を告白しあい、お互いのために祈りなさいと言っています。
偶像を礼拝している者は、病になっている者や、苦しんでいる者のレベルではなく、大罪です。心から悔い改め罪からの解放を祈ってください。
試練にあった場合は、むしろ非常な喜びと思いなさい。信仰が試されているからです。そこに忍耐が生まれ、すべてを主なる神に委ねる事が出来るようになるのです。
教会はキリストの体そのものです。聖霊も目には見えませんが、見える形として教会があるのです。
まずは、自分の罪を告白し信仰による祈りを行ってください。そして病んでいる者のためにとりなしの祈りを捧げてください。
いつも主を讃美できますように・・・

神癒とは・・・
神のあわれみと力は、祈りにこたえて肉体の病(内なる病)を癒してくださると信じる事。

テケテケのキリスト教サイトへGO

弱いからこそ強い!

2005年07月16日 | メッセージ
ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。(コリント人への第二の手紙12:9)

今週は肉体的に疲れたな~。
12日のイベントに始まり、13日の展示会終了は翌日の2時30分AM。そして研修のため移動し、2日間の研修を終え昨夜帰宅。そして本日も勤務が続く・・・
肉体的にボロボロの状態ですが、何だか気持ちはハレバレとしています。明日が主日だからでしょうかね~。早く明日になりますように。

3連休の中日ですが、たまには教会へ出かけてみませんか?心につまっていたものがスッと取り去られると思いますよ。また気持ちをリフレッシュして強さをチャージしましょう!

テケテケのキリスト教サイト

★神のいやしとは・・・

2005年07月10日 | メッセージ
今週はホーリネス四重の福音の神癒について荒井牧師より語られました。
ヨハネが書いた手紙からですが、コミュニケーションの手段として直接会う以外に用いられていたものが手紙です。手紙の良い所は思い出して後に見て確認する事も可能です。現在は、手紙ももちろん用いられていますが、電子メールのほうがより身近だと思います。
便利な手紙やメールですが、気をつけなければならない事もあります。いきなり用件のみを伝えると、何とも冷たい内容になりがちです。このヨハネの手紙を見てみましょう。はじめに「あなたを愛しています」と記し、ヨハネがどれだけ愛しているかはじめに伝えているのです。また結びに「あなたがたに平安がありますように」と祈りで結んでいるのです。ここにヨハネの愛が見えます。
結びの「平安」ですが、ヘブライ語では「シャローム」です。これは、平安の意以外にも、平和や繁栄、成功、健康など幅広く用いられています。
この手紙自体の要約は「あなたがたにシャロームがありますように」なのです。
出エジプト記15:22-26に移してみますが、神は「わたしは主であってあなたをいやすものである」と語ってくださっています。アダム&エバの時から私達は神との関係が切れてしまい、病や死を持つようになりました。その罪は今なお私達の「原罪」として残っています。
これに加え、今の日本は「愛」の欠如の病にかかっています。愛が無くても自分の力でどうにでもするさ!と考えている人が増えてしまったからです。
主イエスは、今もなお生きておられますが、今から約2,000年前、その私達の自我のため十字架にかかられたのです。そして主の十字架は今、私達を癒してくださっているのです。
主イエスの愛を信じる事で私達は癒されるのです。

神癒とは・・・
神のあわれみと力は、祈りにこたえて肉体の病(内なる病)を癒してくださると信じる事。

テケテケのクリスチャンサイト

聖化の福音(2)

2005年07月09日 | メッセージ
聖書:ヨハネによる福音書17:16-19
「17:16 わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。17:17 真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。17:18 あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました。17:19 また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。」

私たちが神による第二の誕生によって、今度は生んでくださった神に似たものとなってゆくという聖化の福音の第二回です。
●神の子はどのような場で生きているのでしょうか。
この世で生きておられます。この世にいながらこの世のものではありません。国家のものでもなく、自分の独占的なものでもありません。神の所有財産とされているのです。この世にいながらこの世のものではないキリスト者はまことにユニークな存在なのです。時に、この世から誤解されたり迫害されたりしないわけではありません。住み易いとか暮らしやすいとか言えないかも知れません。しかしこの世を感動させるような生き方をしているのが神の子なのです。主イエスがこの世に派遣されて来て下さったように、私たちも派遣されているのであり、その目的はキリストをその場で証するためなのです。
●それでは私たちはどのようにして、聖化されていくのでしょうか。
①主イエスの祈りを弟子達はこの場で漏れ聞いていますが、主が「聖別されるように」祈り求めてくださっているのです。主は今も大祭司として神の右で取り成していて下さるのです。主の祈りに力があることがおもいしらされています。
②真理のみ言葉で聖別してくださるのです。私たちは信と不信、闇と光、愛と憎しみに惑う現実があります。偽りの父であるサタンが惑わしを見破ります。それは真理に従う者が身に付けてゆくものなのです。
③主の聖別によって聖化されます。主は汚れなきお方でありますが、私たちを聖別するために、専心してくださって、贖いの道を進まれました。私たちのためにご自身を捧げてくださったのです。
④神側の以上のようなみ業を信じ受容し、悔い改め、服すときの聖別のみ業がこの世に結実してゆくのです。
(調布キリスト教会7月3日主日メッセージより)

テケテケのキリスト教サイトへGO

NSP天野滋さん逝く

2005年07月05日 | Weblog
NSP(ニュー・サディスティック・ピンク)のリーダー天野滋さんが1日亡くなりました。51歳とあまりにも若い。
パッとしたフォークグループではありませんでしたが、何とももの悲しい詞が印象に残っています。有名?な曲として「夕暮れ時はさびしそう」「さよなら」などがあり、LPは毎回10万枚の売上をキープ。しかしここ数年、活動は表に出ていませんでした。
願わくば、神の御手の中で安らかに過ごされます事を祈ります。

テケテケのキリスト教サイト

神の願い

2005年07月04日 | メッセージ
7月3日、倉敷ホーリネスチャーチ主日礼拝で語られましたメッセージ要約です。
聖書:Ⅰテモテ2章1-8節
タイトル:「神の願い」

パウロがエペソ教会のテモテに宛てた手紙です。
この箇所には「すべての人」が何度も記されているように、主は全ての人が救われる事を願っておられるのです。そして私たちに宣教命令を下されてもいるのです。

全ての人が救われるために祈る事を語っています。この全ての人には当時の「王」も含まれ、自分が神ではない事がわかるように祈るようすすめているのです。
また王だけではなく、自分中心で頑なな心をもっている私たちにも語られています。

ある本で、父が川は危険だから近寄ってはならない!と禁止してあるにもかかわらず興味本位に水に触れ、古里かあ遠く離れた所へ流されてしまった4人の兄弟の事を思いお越しました。父は長男に流された4人を連れ帰るよう遣わされました。
一人目は、過去は忘れて新たに楽しもう!と行動しました。父すなわち神を無いものとしたのです。
二人目は、楽しんでいる者を父に報告するため監視する者となったのです。
三人目は、自分でコツコツと勉強し、奉仕し、父に気に入られる事を行った上で認めてもらおうと考えました。
四人目は、素直に自分の行った行動を反省し、すべてを父に委ね恵みを受け取る事にしました。
結局、四人目の子供一人が長男と父の御許へ帰る事になったのです。

聖書に戻りますが、父(神)は全ての人が救われる事を願っておられます。
皆様も普段からよく祈られていると思います。その祈りの時、憎しみをもっている人は一人もいませんか?裁きの心をもったまま祈りをしていませんか?夫婦喧嘩や兄弟喧嘩を引きずったまま祈ったりしていませんか?
パウロは語ります。どんな場所でもどんな時でも、清い手をあげてすなわち互いに許しあって祈ってほしいと・・・
何度も記しますが、神は全ての人が救われる事を願っておられます。

テケテケのキリスト教サイトへGO