12月30日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[神を見た者]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ヨハネによる福音書1章14~17節
抜粋:1:18 神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。
<要約>
2007年最後の主日礼拝となりました。
今年は皆様にとりましてどんな年でしたか?
この福音書の始まりは『神の言』。そして言は、肉体となり私たちに宿りました。
『宿る』とは、住む事です。が、土台を固定した現在の住居のようでなく、移動出来るテント(天幕)のようなものでした。この世では、地に固定される事なく自由に住み、最後は天に住むのです。
主イエスキリストが神の国をのべられていたのはAD30年頃ですが、主イエスキリストが神の御子である事をパリサイ人たちは決して認める事がありませんでした。目で見る事が出来るものや事しか信じる事ができなかったのです。
ひょっとすると、私たちも同じではないでしょうか?
現在を生きる私たちは、決して肉体の目で神を見る事はできません。しかし、信仰の目で神を見る事はいつでも出来るのです。同じように神の声を肉体の耳で聞く事はできませんが、信仰の耳で聞く事はいつでも出来ます。心を開き、素直になり、聞く耳をもって聖書を通し神を見、また声を聞いてみてください。
悩みの時、感謝の時、平安な時。祈り、神と会話してみてください。父なる神はきっとあなたに優しくささやかれると思います。
キリスト教情報・テケテケのキリスト教サイトへ
聖書:ヨハネによる福音書1章14~17節
抜粋:1:18 神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。
<要約>
2007年最後の主日礼拝となりました。
今年は皆様にとりましてどんな年でしたか?
この福音書の始まりは『神の言』。そして言は、肉体となり私たちに宿りました。
『宿る』とは、住む事です。が、土台を固定した現在の住居のようでなく、移動出来るテント(天幕)のようなものでした。この世では、地に固定される事なく自由に住み、最後は天に住むのです。
主イエスキリストが神の国をのべられていたのはAD30年頃ですが、主イエスキリストが神の御子である事をパリサイ人たちは決して認める事がありませんでした。目で見る事が出来るものや事しか信じる事ができなかったのです。
ひょっとすると、私たちも同じではないでしょうか?
現在を生きる私たちは、決して肉体の目で神を見る事はできません。しかし、信仰の目で神を見る事はいつでも出来るのです。同じように神の声を肉体の耳で聞く事はできませんが、信仰の耳で聞く事はいつでも出来ます。心を開き、素直になり、聞く耳をもって聖書を通し神を見、また声を聞いてみてください。
悩みの時、感謝の時、平安な時。祈り、神と会話してみてください。父なる神はきっとあなたに優しくささやかれると思います。
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