倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

【説教】「神による仕上げ」 2016/01/31

2016年01月31日 | メッセージ
【聖書】ガラテヤ書3章1~5節
2:わたしは、ただこの一つの事を、あなたがたに聞いてみたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行ったからか、それとも、聞いて信じたからか。

主の御名を賛美します。

 年末には宝くじの発売発表があり、何名かに一等賞が当たったようです。反面一昨年当たったのに換金しない当たりくじが数本もあったそうです。クジを買わない私には関係ない話ですが、折角買ったのにムダになったようです。

 聖書に入りますがパウロは必死でガラテヤの人々に神から賜った大いなる恵みをムダにするのか? なぜムダにするのか不思議でならないと言っています。人々をフーリッシュ、大バカもの! ときつい表現をしています。 あなたがたは恵みから離れ、曲げてしまい、落ちこぼれていると。なぜ一度は信じた者たちがそうなってしまったのでしょう。礼拝はしているが、律法を厳粛に守ろうとする形を重んじる人々によって本当の恵みから離れてしまったのです。

 神はアブラハムと子孫に対して祝福されました。子孫とはイエスキリストの事ですが、信じる者が神の子孫となり、永遠の命を受ける事となりました。
しかしここガラテヤでは絶対に守れない律法を守ろうと修行しているのか、自分をいじめているかしているのです。律法とは自分の養育係、トレーナーに過ぎません。ここから恵み、祝福は得られず、主イエスによってのみ受ける事ができるのです。またあなたに信仰が現れたらトレーナーは必要ありません。律法を守ろうとする人は決して守り切る事が出来ないばかりか、自分の罪をも確認できなくなってしまうのです。

 ルカ15:11 からの放蕩息子の事を主が語られていますが、いったい誰に語ったのでしょうか? それは律法だけを守ろうとするパリサイ人、律法学者に向けてでした。そこに登場している兄弟は共に恵みから落ちてしまっています。弟は分けて頂いた大金を浪費し一文無しに。兄は一見父の手伝いを守る立派な子どもに見えますが、奴隷として言われたままに働き、そして父を恨みをもって見ていたのです。

 私たちは主イエスキリストにより、どうやっても取り去る事のできない罪から解放されました。それは神のことなり、バプテスマを受ける事で受ける事ができました。罪がゆるされたばかりか、それにより神の子孫として天に記されているのです。


今週も主により、素晴らしい日々をお過ごしください。

テケテケ

【説教】「無駄にならないために」 2016/01/24

2016年01月24日 | メッセージ
【聖書】ガラテヤ書2章19~21節
20:生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

主の御名を賛美します。

 無駄な人生を過ごして行きたい。そう思い続けている人は多くないと思います。後で考えて見ると「これって、無駄だったかな?」と思うことがあっても、わざわざ無駄を選ぶ事はまず無いと思います。宝くじも当選を夢に見て購入する人が多くいますが、誰も絶対に外れると思って買う人はいません。ただ結果として外れてしまい無駄になってしまうのです。
教会で、神の福音の書であるトラクトを近所に配ります。時々無駄になるのかな? と思う事もありますが、神様の審判の時、神の事を知らないと言わないために、またそのトラクトを手にとってゴミ箱に入れる時、神の言葉を見る事ができるために、一見無駄と思える行動をしています。今を生きる中で、神の言葉に触れ、福音を信じる事ができるなら、何と幸いな事でしょうか。

 ここでパウロは何が無駄と言っているのでしょうか?
それは、信じている事が無駄にならないように。信仰は今後必ず益になる。だから堅く信じて生きる事が重要と言っているのです。
全ての人は、何かを信じています。お金を信じている人、クジで億万長者になる事を信じている人、あるいは自分の力だけを信じ、自分が神になってしまっている人。また日本のように多神教の国で、家の中に神棚はあるわ、仏壇はあるわ、何を信じているのかさっぱり解らない人もいます。今日登場しているガラテヤの街も同じような街だったようです。
とはいえ、パウロ自身も以前はキリスト者、神を信じる者を迫害して、時を無駄に過ごしていた人物でした。しかしそこに神、キリストが現れパウロの人生が180度方向を変えられました。

 パウロは律法を守るなと言っているのではありません。律法を守る事で神が義とされる事はないと言っているのです。あなたが義とされるのは、神、キリストを自らの救い主と告白する事だけなのです。神は全ての人に、同じ恵み(ギフト)を下さいました。頂いたギフトをゴミ箱に入れる事、これほど無駄な事はないのです。

 主イエスキリストは、あなたのために十字架にかかり命を落とされました。「私には大昔の事で、関係ない」。そうではなく、あなたの心の罪を真っ白にするために十字架にかかられたのです。その愛、恵みをどうぞ無駄にされませんように。目に見えるものは無駄にしても良いでしょう。しかし目に見えないものこそ、重要で無駄にしてはならないのです。

今週も主により、素晴らしい日々をお過ごしください。

テケテケ

【説教】「記念として語られる人」 2016/01/17

2016年01月17日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書14章3~9節
9:よく聞きなさい。全世界のどこででも、福音が宣べ伝えられる所では、この女のした事も記念として語られるであろう。

主の御名を賛美します。

 安全がおろそかにされ、また大きなバス事故が起こり、希望に満ちた大学生が14名もお亡くなりになりました。運行するにあたり、絶対に確認しなければならない基本的な事がなされず、起こるべきして起こった事件でした。本当に残念な事件ですが、犠牲になられた希望に満ちた方々のたましいが、またご家族の上に平安がありますように。
 本日はメッセージをされました山脇正子先生のお誕生日でした。あの日までは「ハッピーバースデー!」と大きな声でお祝いしていましたが、今では。1995年の今日、阪神淡路大震災が起こり、本当に多くの方々がお亡くなりになりました。地震大国日本で起こるべきして起こった地震ではありましたが、今でも心に大きな傷を負われている方もおいでと思います。願わくばその思いを主におゆだねできるなら幸かと思っています。
さて本日の聖書箇所は、ベタニヤでの出来事です。一人の女性が高価なナルドの香油を主に注いだ場面です。ここから何が見えるのか、3つの視点で見てまいります。

(1)愛は無駄をする
11:3 場所はベタニヤ。主イエスが安らげるマルタ、マリヤ、ラザロの家。そこへ一人の女性がやって来ました。女性は遠くから取り寄せていた高価な香油の壺を持って来ました。300万円もの香油でしたが、女性はその壺を割り、主イエスの頭に注ぎました。壺からすくって注いだのではなく、割って全てを注いだのでした。それを見た一部の者は、何ともったいない事をするのだ。売って貧しい人に施す方が良かったのに。と、女性を非難しました。本当の愛は打算ではなく、一見無駄とも思える事を行うのです。

(2)愛は良いことをする
14:6 主イエスは十字架に向かい、秒読みに入っていました。今できる最高の事をこの女性は行ったのです。

(3)愛は時をわきまえる
14:8 日々生活をしている私たちですが、今日また今はもはや二度とありません。それほど今何を行うのが御心なのかを問い行動する事が大切だと思います。この女性は今後二度とない主イエスの弔いを今行ったのです。

 一見無駄と思うような事はこの世に多くあります。バス事故も、どうせ解らないのだから、安全に金を払わなくても良い! そう思った以外に想像できません。いくら土下座しても茶番にしか見えないのです。また日本を今後も襲うであろう巨大地震。阪神淡路の後に東日本大震災が起こりました。次はどこで起こるのか、どこで起こっても不思議ではないのです。その脆弱な日本にあってはならないものが多くあります。そう『原子力発電所』です。『放射能』を未だにまき散らす福島、山間部の除洗を止めた政府。しかし『金』のために危険な原子力発電所を再稼働する亡者。
電気の購買を自分で選ぶ事が出来るように今後なりますが、自らの正義のままに電力会社を変える事ができる人は幸いです。
放射能を選びますか、それとも自然エネルギーをあなたは選びますか?

今週も主により、素晴らしい日々をお過ごしください。

テケテケ

【説教】「神の保護」  2016/01/10

2016年01月10日 | メッセージ
【聖書】申命記11章8~12節
12:その地は、あなたの神、主が顧みられる所で、年の始めから年の終りまで、あなたの神、主の目が常にその上にある。

主の御名を賛美します。

 2016年、山脇正子師によります最初のメッセージです。3月末で隠退されますので、今回を入れて倉敷でのメッセージはあと5回となりました。年頭にあたり、神様が私たちをどう思い祝福されているのか以下3つの視点から見てまいります。

(1)神の戒めを守るならば祝福を受ける
11:8 この箇所で主なる神は、戒めを守るならば。と条件付きでイスラエルの民にモーセを通して伝えています。あと少しで約束の地カナンへ入る直前の出来事で、モーセが別れの説教を3回行っていますが、その2回目です。成人男子だけで60万人を越す人々がエジプトを出ましたが、そのメンバーでカナンに入れたのはヨシュアとカレブだけでした。あのモーセでさえ、一度だけ神の命に従わず入る事ができなかったのです。モーセは「イスラエルよ聞け」と語りますが、今は「あなたよ聞け」と言っているのです。モーセは民に神がいかにあなたを愛してくださっているかを語っています。新訳の時代、主イエスキリストが、あなたの隣人を愛しなさい。と何度も言われていますが、神に愛されている事を実感することなしに、人を愛する事など出来ないのです。私たちは神の民であり、宝の民なのです。

(2)祝福の地は天から降る雨で潤っている
11:11 エジプトの地では、働いて働いてやっとの思いで、自らの手で食物を得ていました。しかしカナンは天から降る雨で地は潤い、食物を得る事ができる。雨は山を下り谷で潤い食物を育てます。辛い時も今からありますが、それも益と変えてくださる神なのです。

(3)祝福の地は主が顧みられるところ
11:12 あなたの神、主は年の初めから終わりまであなたを顧みられます。そこには励ましと慰めがあり、今は見えない今から進む道も主なる神が導いてくださるのです。今年も安心して主を崇め従う事ができるなら幸です。

 今年もぜひ主なる神を信じ、全てを丸投げできますように。自らの思いや力や知恵が優先する事無く、主に委ねきる事ができますように。今はどん底にあろうとも、主の時が必ずやって来ます。「今日」「その時」素直にはいと受け取る事ができますように。

今年も主により、素晴らしい日々をお過ごしください。

テケテケ

【説教】「福音は人によるのではない」 ※新年聖餐式ファミリー礼拝 2016/01/03

2016年01月03日 | メッセージ
【聖書】ガラテヤ書1章6~9節 2章19~20節 ※新年聖餐式ファミリー礼拝
20:生きているのは、もはや、わたしではない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである。しかし、わたしがいま肉にあって生きているのは、わたしを愛し、わたしのためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって、生きているのである。

主の御名を賛美します。

 2016年を迎えました。皆さま新年明けましておめでとうございます。
皆さまにおかれましては、年末年始どのようにお過ごしになりましたか? おせち料理を頂き、縁起物のタイを頂かれた方もおられるのではと思います。
少し昔のアメリカの話ですが、西海岸のロサンゼルスから東海岸のニューヨークへ魚を運搬する仕事をしている人がいました。どうしても長時間閉鎖的な空間に魚が閉じこめられ東海岸に着いた時には弱り果ててしまったそうです。そこである学者が、魚と一緒にタコを入れて運んでみなさい。とアドバイスを受け早速実行してみると、天敵のタコがいる事で、魚が逃げまどい、ニューヨークまでピンピンしていたそうです。

 私たちが生きて行く中、「タイ」と「タコ」が必要です。例えば、「賢くなりたい」というタイに対し、親は「それなら勉強しなさい」というタコを投げ込みます。

 聖書の中心はどの書ですか? と聞かれたらどう答えますか?
ある人はローマ人への手紙と答えるかもしれませんが、私たちの心の底を現しているのはガラテヤ書ではないかと私は思います。聖書に「むさぼるな」と記されていると意味はよく分かっているのですが、むさぼりたくなるのが現実です。そこにむさぼりたくなる心があるからではないでしょうか。

 タイの中にタコを入れましたが、そこにもう一つの魚を入れました。
それは【ΙΧΘΥΣ】という魚です。ある言葉の頭文字をとった魚の名称で、キリスト教徒が弾圧されていた時、解りやすい十字架ではなく、イクソスという魚を地面に書き、自らがクリスチャンだという事を証していたようです。イクソスとはギリシャ語で「イエス、キリスト、神の、子、救世主」の頭文字を並べたものです。

 神は私たちにエサを与えられました。撒き餌のように主イエスキリストをお与えになられたのです。
一人ひとりに生き続けるため神はタコを全ての人に与えられています。しかしいずれ天敵から逃げ続ける事に疲れ果て、あげく食べられてしまいます。しかし神は救い主を信じる人にはもう一つの生きる魚、イクソスをお与えになりました。この魚は疲れた私たちを回復させ、天敵から守り続けるのです。

 主イエスキリストは律法というタコに殺されましたが、三日目によみがえられ、律法に縛られている私たちを解放してくださったのです。そして信じる者の中にイクソスが、主イエスキリストが生きているのです。
2016年、あなたを襲うタコや障害がおそうことでしょう。しかしそこに、あなたを救う良きサマリヤ人であり、イクソスである主がいつもおられるのです。

今年も主により、素晴らしい日々をお過ごしください。

テケテケ