倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[主イエスのなぐさめにあずかる]キリスト教礼拝メッセージ要約

2008年04月28日 | メッセージ
2008年4月27日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[主イエスのなぐさめにあずかる]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ローマ人への手紙1章8~12節
抜粋:1:12 それは、あなたがたの中にいて、あなたがたとわたしとのお互の信仰によって、共に励まし合うためにほかならない。

<要約>
 コリントの獄中で神に感謝するパウロの姿です。
獄にいながら、ローマの兄弟姉妹の信仰がパウロに聞こえていました。ローマの人々の頑張りもあったでしょうが、なにより神に感謝を捧げているのです。

(1)神に感謝するパウロの姿
あなたの信仰は、どのようにして受ける事ができましたか?
聖書をよく読み、勉強したからでしょうか、それともクリスチャンホームで育ったから何となくでしょうか、それとも教会のキャンプでしょうか? 確かにどれも、信仰に至る『きっかけ』かも知れませんが、全ては神のお働きによりあなたに与えられているのです。神ご自身が直接、私たちに与えてくださっているのです。

(2)熱望しているパウロの姿
パウロは受けている霊の賜物をどうにか分け与え、力づけたい! そして共に励まし合いたい。与えるだけではなく、パウロ自身も受けたい気持ちが記されています。まさにこれが教会の姿ではないでしょうか。

 よみがえりの主イエスは、多くの弟子達に現れました。なぜでしょう?
それは不安、絶望の中にいた弟子達を励まし、勇気付けるために現れたのです。
今、私たちに与えられている信仰に感謝する事ができるなら何と幸いな事でしょう。主イエスは過去も今も、また後も私たちと共におられ、励まし続けてくださるのです。

 最後に、茂原教会より二回目の使者Yご家族が倉敷へ来られました。遠くで奉仕する『父』を心配し、来られたように感じました。牧師ご夫妻、今日は九州でご奉仕。そして週の半ばには再び岡山県北の柵原へ・・・
本当に心身とも守られますように。


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[み言葉を信じる信仰]キリスト教礼拝メッセージ要約

2008年04月21日 | メッセージ
2008年4月20日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[み言葉を信じる信仰]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ヨハネによる福音書4章46~54節
抜粋:4:50 イエスは彼に言われた、「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」。彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った。

<要約>
 今週もメッセージをされました山脇正子師。好きな言葉は『置かれた所で、咲きなさい』だそうです。私も似た御言葉、『主によって遣わされた場所において、地の塩、世の光として生きる』が大好きです。
先週のメッセージ箇所『カナの婚礼』に続き、主イエスが行われた第二の奇跡がここに記されています。なぜ主イエスは『しるし』すなわち奇跡を行われたのでしょう?
理由は、弱い心を持つ私たちが、神の御子である主イエスを信じる事ができるようにと行われました。そしてこの箇所では、主イエスのみ言葉を信じる事により起こった事実が記されています。

 キリスト教は『ことばの宗教』と言われています。まさに神様の言(ことば)を聞き、どう受けとめる事ができるかが大切なのです。この箇所の中心聖句は50節の『イエスは彼に言われた、「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」。彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った。』です。主イエスのみ言葉を聞いた役人がどう変えられていったのか、3つの段階に分けて見て行きましょう。

(1)イエスなら何とかしてくれると信じる信仰
ここに登場する役人。主イエスが約30キロはなれた所におられると聞き、病気になっている子供を救う事が出来るのは主イエスキリストしかいない! と思い、一日がかりでやって来ました。信じ切る謙遜の心と熱意がなければ出来る事ではありません。信じる信仰がイエスの元へ行くという行動を起こさせたのです。全てをゆだね、信じ切る信仰が大切なのです。しかし、ここでは主イエスの行動を期待し、家に来て治してくださいと熱願するのです。

(2)イエスの言葉を信じる信仰
何度も「家へ来てください!」と言い続ける役人に、主イエスは「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」。と語られます。そして役人は『信じ切って』家へ帰ります。受けとめ、信じ変えられ、信仰を伴った行動をする。ここが重要なのです。立派に見えるクリスチャンも挫折や絶望は同じように訪れます。その時どう行動するかで180度違う人生となるのです。

(3)イエスのなさった事を確信し、さらに深く信じる信仰
子供が癒された時刻は主イエスが「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」。と話されたまさにその時でした。帰るまでは半信半疑だったかもしれない役人ですが、さらに深く主イエスを信じ、家族一同も信じる事となったのです。当時の家族は今のように核家族ではありませんでしたから、この事によって多くの人々が主いえすを信じ、救われた事でしょう。

主イエスに『まるなげ』し、み言葉を『信じ切り』、そして『信仰を確信』し大胆に証するよう変えられた人は幸いです。

ヘブル11:1 さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。


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[神の祝福を受けるには]キリスト教礼拝メッセージ要約

2008年04月14日 | メッセージ
2008年4月13日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[喜びの使者]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ヨハネによる福音書2章1~11節
抜粋:2:5 母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。

<要約>
 本日のメッセージは、山脇正子師がなされ、望師は柵原でご奉仕されました。
聖書は『カナの婚礼』場面。何日も続く婚礼の祝会用ぶどう酒がなくなってしまいました。料理長の困惑は大変なものだったでしょうね。この箇所での中心聖句は5節の「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」です。私たちがあれこれ選ぶのではなく、何でも従う。これこそが重要なのです。この箇所を3つの観点から見て行きます。

(1)人生の危機
聖書は、ぶどう酒が無くなってしまい、これ以上パーティーが出来なくなるような大変な事態ですが、私たちにも何度か命の危機、人生の大きな転機など経験されていると思います。そんな時、大切な事は『誰に相談に行くか』です。自分の近くにいる人に相談するか、それとも主イエスに相談するか?
聖書は主により頼む事により、水がぶどう酒にかえられましたが、今からも起こるかもしれない人生の危機、誰に相談するかで方向が全く違ってきます。
(2)危機から転機へ
水がぶどう酒になる・・・こんな事、いくら人間の頭で考えても結論は『無理』です。重要な事は、『無から有を生み出す方を信じる』事なのです。主からの問いかけに対し、いつも『はい!』といえる素直な気持ちで過ごしたいものです。
(3)神の御業は継続する
主イエスの最初のしるし(奇跡)が、この婚礼で起こりました。そしてそのしるしは今なお続いて起きています。
人は辛い事ばかり記憶に残り、幸いな事は忘れてしまいがちですが、今まで受けた恵みを数えてみてください。両手両足では到底足らないでしょうね。まずは今、生かされている事に感謝。無意識に息している事に感謝・・・
考えた事もない感謝を私たちは受けています。

 「神の祝福を受けるには」、まず主イエスがおこなった奇跡を信じる事です。浅はかな人間の知識で、水をぶどう酒に変える事などできませんが、それを超越し可能にしてくださる方、それが主イエスキリストなのです。素直な心で主の奇跡を信じる事ができますように・・・


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[喜びの使者]キリスト教礼拝メッセージ要約

2008年04月07日 | メッセージ
2008年4月6日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[喜びの使者]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ローマ人への手紙1章1~7節
抜粋:1:7 ローマにいる、神に愛され、召された聖徒一同へ。わたしたちの父なる神および主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

<要約>
 茂原教会から転任されました、山脇望師により最初の礼拝が持たれました。正子夫人は岡山県柵原教会でのご奉仕となりました。ハードスケジュールの師ご家族のご健康を祈ります。

 メッセージの聖書箇所はローマ書より、「喜びの使者」というタイトルで説教をされました。ローマ人への手紙は使徒となったパウロが記した書簡ですが、彼の信仰告白から開始されています。
 パウロは元々、キリスト者を迫害するリーダーでしたが、ある日主がパウロに臨み衝撃的に人生を180度変えられます。「目からウロコ」とはこのパウロの出来事から現在も比喩として用いられています。
主により変えられたパウロは、何とかこの恵みを多くの人に知って頂きたい一心で活動します。私たちも何かとても良いものを発見した時は、誰かに紹介したくてたまらなくなると思います。律法で凝り固まったローマへの伝道は、想像を絶する難しいものだったと思います。しかしパウロはより大胆に主イエスキリストを証します。またパウロは自身の事を、主イエスキリストの僕、言い換えれば奴隷だと告白しています。僕(奴隷)は何が何でも主人の思いに従います。今時間がないからダメとか、明日なら良いとか、そんな理由は全く通じません。しかしその強いられた僕としての自分をパウロは誇りとしていたのです。
人生は出会いで決まります。身近では夫や妻となる人との出会いでしょう。出会いによって人生の方向が決まって行きます。そしてそれ以上の出会いとは・・・何と言っても主イエスキリストとの出会いに他なりません。

パウロは自分を「選び別たれた」と表現しています。確かにパウロは一生懸命働きました。が、それで選ばれた訳ではありません。まだ生まれる前から選ばれていたのです。そしてそれはパウロばかりではありません。今、このメッセージを読んでいるあなたも既に主なる神から選び別たれた者なのです。
 主により選ばれた者として、受けた恵み、喜びをまだ主を知らない人々に自ら証できるなら、こんな幸いはないでしょうね。


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八方ふさがり「神様助けて!」と祈るとき

2008年04月01日 | 祈り
元々キリスト教のブログですが、今回だけはキリスト教と思わず読んでみてください。

長い間生きて来られた方は、一度や二度は八方ふさがりになり、『神様、どうか助けてください!!!』と心に念じられた事があるのでは・・・と思います。

日本は仏教国のようですが、素朴な思いとして、熱心な仏教徒の方は、自分の意志以外で咄嗟に念じ祈る時は、何を浮かべ思い描いて祈るのでしょうね?
咄嗟の時でも『仏様!!!』と祈られているのか少しだけ知りたくなったのです。
決してどの宗教が良い悪いとかを記すつもりは毛頭ありません。咄嗟の時何が心に残り浮かんでいるか・・・ただそれだけの事です。



私は何度もこんな経験があります。交通事故の時、自分の力ではもはやどうする事も出来なくなった時など。身が震え、目が回りそして無意識に『神様、助けて!』と思ってしまいます。その時、幸い私には写真のような天地を創られた父を想像しています。見た事はありませんので、漠然としたものですが確かな臨在を覚えます。

『神様!』と叫んだり、祈ったりする事。これは無意識の事ですから、自分でそうしようとリードする事はできないと言われている方もおられるようです。元々創られた時から、神の存在を知るDNAが刻印されているのか・・・
その当たりは無知で解りませんが、たしかに見た事もない神様にすがってしまいます。

これこそ、本来の私たちの気持ちなのでしょうね。素直に感じた主を一人でも多くの方が心に覚える事ができますように・・・


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