倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

愛妻家の日プロジェクト決行まで、あと1時間30分

2006年01月31日 | イベント
今日、1月31日は「愛妻家の日」・・・数字の1をI(アイ)とみたて、数字の31を妻(サイ)とし、家庭の平和を考える男達の手によって生まれたました。
決行時間は、「20時」。まだ会社にいる方は急いでご帰宅くださいね。

この日は、夫婦ご一緒にキャンドルライトの灯りの中、会話と食事を楽しんで見ませんか?もちろん奥様への感謝を添えて・・・

<実行ポイント>
1.職場の中に早く帰っても大丈夫な雰囲気を作っておきましょう。
2.奥さんにそれとなくこの日は早く帰ると伝えておきましょう。
3.ありがとう以外に多少気の利いたセリフを考えておきましょう。
4.なかなか言い出しにくい人はまずはそっと手を握ってみましょうか。
5.心を静め穏やかに目を見て名前を呼んではじめてみますか。

ご検討をお祈りいたします。

愛妻家の日(1月31日)

2006年01月30日 | Weblog
1月31日は「愛妻家の日」・・・数字の1をI(アイ)とみたて、数字の31を妻(サイ)とし、家庭の平和を考える男達の手によって生まれたNPO。

 地球温暖化の前に「家庭寒冷化」を考えたい。こんな冗談に切実な思いを忍ばせて「愛妻家」を目指す人々がいる。群馬県嬬恋村で週末農業を楽しむ首都圏の中高年グループだ。昨年十一月に「日本愛妻家協会」をつくり、「絶滅が危惧(きぐ)されている愛妻家の発見、保護育成」に努めてきた。結成から一年、晩秋の嬬恋村に集った面々は、新たなアイデアをひねり世界と家庭の平和を考える。

この日は、夫婦ご一緒にキャンドルライトの灯りの中、会話と食事を楽しんで見ませんか?もちろん奥様への感謝を添えて・・・

日本愛妻家協会の公式ページ

愛妻家協会のシンボル「バスキャンドル」(写真)は以下サイトよりご購入頂けます。
キャンドルワールドのホームページ

深いあわれみ

2006年01月29日 | メッセージ
1月29日倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約
聖書:マルコによる福音書1章40~45節
タイトル:「深いあわれみ」

 主イエス・キリストがライ病人を癒された有名な箇所です。聖書のライ病人とは現在のハンセン病とは違い、重い皮膚病にかかった者をそう呼んでいたようです。この病気が医学的に解明されておらず、本人また先祖の罪のため病になったとされ、隔離されていました。
 ライ病にかかっていた、この者も普段は人を避け、ひっそりと暮らしていましたが、主イエス・キリストのうわさを聞き、大衆の中で主を探していました。当時の法をやぶる行為でしたが、それでもなお主イエス・キリストを信頼し自らを顧みず近づいて行ったのです。ここにこの者の深い信仰がうかがえます。
この箇所に出てきますキーワード「みこころ」と「深いあわれみ」について詳しくみてまいりましょう。
「みこころ」・・・重い皮膚病にかかっているのですから、何としても癒して頂きたい!と思うのは当然ですが、主イエス・キリストにすべてを委ね願っています。主イエス・キリストが私の祈り願いを聞いてくださり、癒してくださるのも、なされないのも全て主にゆだねます。と、あくまで自己都合でなく、神のご計画ご意志に委ねている姿が記されています。
「深くあわれみ」・・・心が痛くなるばかりでなく、内臓にまで痛みを覚えるほどの意です。ここまでのあわれみは人には絶対に出来ない事なのです。
良きサマリア人の箇所にも「深くあわれみ」と表現されていますが、このサマリア人は主イエス・キリストそのものと理解されています。
 そして主イエス・キリストはこの者を癒されました。そして癒された者に、司祭に見せなさい。ただし人々に話してはなりませんと言われました。司祭に見せる事は、ライ病が治った事を証明してもらうため必要な事で理解できます。ではなぜ人に癒された事を話してはならないと言われたのでしょう?それは・・・まだ主の時ではなかったからです。
 しかし癒された者は人々に話してしまいます。主イエス・キリストの「深いあわれみ」を宣教してまわったのです。この者の行為について賛否両論あると思いますが、素晴らしいこの出来事を話さずにはおられなかったのでしょう。

 私達の信仰は、この癒された者のようでしょうか?祈りや伝道、宣教を自分の都合や人目を気にしたりした事はないでしょうか?いつもどんな時でも、この癒された者のような心になる事が出来たら何と幸いな事でしょう。

 全能の主なる神様、御名をあがめます。深いあわれみを持ってこのライ病人(自分と置き換え)を癒してくださり感謝いたします。そして癒された者は、世間を気にする事もなく、神を讃美し崇め、伝道しました。私達もこのような者と変えてくださいますように。
主イエス・キリストの御名により祈ります。

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ゴルフコンペ

2006年01月28日 | Weblog
今日は3年ぶりの社内ゴルフコンペが行われました。倉敷から東京に転勤となり、一度もクラブを振っていなかったけど、結果は何と「優勝!」。スコアーは88と平凡ですが、ラッキーでした。
行くも変えるも守られた事に感謝いたします~。

驚く人々

2006年01月22日 | メッセージ
倉敷ホーリネスチャーチ(岡山県倉敷市のキリスト教会)1月22日のメッセージ要約です。
<聖書>マルコによる福音書1章21~28節
<タイトル>驚く人々

<要約>
 今日のテキストは安息日での出来事です。この日は仕事を休み、会堂でラビ(先生)の話を聞く日となっていました。そして主イエスも会堂で語られていて、その時に起こった事が記されているのです。キーワードは「驚き」です。
「驚き」のキーワードは、22節と27節に記されていますが、この「驚き」は民衆の感じ方が違う事にお気づきでしょうか?この2つの違いを見て行きましょう。
①22節の「驚き」
まず民衆に主イエスは何を語られたのでしょう?聖書を少し戻って15節を見てみますと、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」。と主イエスが律法学者のようではなく、権威ある方が語られるように話された事に「驚いた」のです。大胆に、自分中心の生活から神に目を向け、悔い改め、方向を変えなさい。と語られたのです。神の支配の中で、生まれ変わる事を伝えられたのです。その後23節に、汚れた霊が主イエスに向かって叫んでいます。悪霊にとって聖なる主イエスに対し耐える事が出来なくなったのです。そして主イエスは「黙れ、この人から出て行け」と語られ悪霊はどうする事も出来ず出て行きました。この「黙れ」は、もはやどうする事も出来ない絶対的な主イエスの言葉だったのです。
②27節の「驚き」
この光景を見た民衆は悪霊をも追い出す主イエスの力に大いに恐れ、驚きました。自信たっぷりに語られたばかりでなく、聖なる主イエスに恐れおののき驚いたのです。その主を信じる事が出来る私たちは何と幸いな事でしょう。主イエスは今も私たち一人ひとりに語られ、汚れた部分を聖め、悪を追い出してくださっています。主イエスの支配下に居続けてください。そしてもし、自分の罪に気づいた時は素直に告白し、悪の思いを追い出してくださるよう祈ってください。きっとあなたの中で「驚く」べき事が起こることでしょう。
日々私たちをつくり変えてくださる主イエスに感謝いたします。

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命を与えるキリスト

2006年01月15日 | メッセージ
1月15日倉敷ホーリネスチャーチ(キリスト教会)のメッセージ要約です。

 まずご報告させて頂きます。1月13日に東京より倉敷(本社)へ転勤となり、母教会の倉敷ホーリネスチャーチへ戻ってまいりました。ますますパワーアップし、素晴らしい教会となっていて本当に主の業に恐れを感じるほどの恵みを受けています。また主任牧師の岡野智師は津山教会でご奉仕され、牧師婦人の紀子師がメッセージをとりつがれました。

 「聖書」とは・・・皆さんどんなイメージを持たれていますか?難しい昔の歴史が書かれている!歴史には違いありませんが、私たちに「真実」と「希望」を与えてくれる書物なのです。また読むときは客観的に読まず、主人公を「自分」に置き換えて読んでみてください。その場のシーンが目の前に広がります。
 今日のテキストの箇所ですが、他の福音書(共観福音書とよばれるマタイ、マルコ、ルカ)にも記されています。それほど強烈な印象だった出来事なのです。
 場所はガラリヤ湖そばのベツサイダと呼ばれる地で、すでに主イエスを一目見ようと多くの人が集まっています。男の数だけで5,000人と書かれていますから、女性や子供をあわせると2,0000人くらい集まったのではないでしょうか。主イエスは御言葉を語られました。が、民は帰りません。食事の心配をしなくてはなりません。これだけ多くの人に食を与え満足させられる事など出来るはずもありません。そこで6:5にあるように主イエスはピリポに質問をされました。またアンデレは子供がもっていたパンと魚を見つけ主イエスに報告しますが、「どうする事もできないな」と思っています。
 ここでこの二人の過ちは、肉の知識や経験に頼った事です。少しのパンと魚で20,000人もの大衆を満足させる事など「絶対にできない」と思っていた事です。神の御子、主イエスキリストが「ここ」にいてもそう思ってしまったのです。主はパンと魚を祝福し、すべての人に分け与えられました。民衆は大いに満足し、あまったパンを集めると何とカゴ12個分にもなったのです。主イエスキリストが与えてくださるものは、余りあるほどの恵みなのです。今あなたは主イエスキリストの恵みにより生かされています。主イエスは余りあるほどの恵みをご用意してくださっています。時間、体、祈り、献金・・・
そして何よりも主は私たちに「永遠の命」を与えてくださるのです。何という事でしょうか!
 信じる事は簡単かもしれませんが、「赤子のよう」に「心の底」から何の疑いもなく信じる事が重要な事です。素直に「はい、信じます」と告白できますように・・・
主イエスが私たち一人ひとりにしてくださった事を忘れてはなりません。今、疑いを持ったあなた(私)の「おごり」「高ぶり」のために命を投げ出してくださったのですから・・・

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調布で最後の礼拝

2006年01月08日 | Weblog
2003年9月から集っていました調布キリスト教会の礼拝が本日最後となりました。私の転勤のためです。倉敷へ帰る事は嬉しい事ですが(母教会が倉敷)、中身の濃い2年半だった調布での思いは強いものがあります。
本当に今まで、私たちのワガママを聞いてくださり、祈ってくださった事感謝です。今は「ありがとうございました」の言葉しか思いつきません。
主のご計画は不思議でなりませんが、それはすべて時にかなって美しい事は間違いありませんから感謝です。
願わくば、調布教会へより多くの恵みをもって望んでくださいますように・・・

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家族単位で考えよう

2006年01月08日 | メッセージ
調布キリスト教会2006年1月8日のメッセージ要約。
聖書:使徒行伝16章25~34節
抜粋:16:31 ふたりが言った、「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。
タイトル:「家族単位で考えよう」

<要約>
 信仰は一人ひとりと神様の関係である事は間違いありませんが、それで終わる人が多くいます。神は一人の信仰である「点」から、継続する力である「線」を望んでおられます。ここまでも神様と個人の関係ですが、もう一歩進み「面」へ、さらに「立体」へと進む事が重要なのです。
 ヨシュア記24:15に「 もしあなたがたが主に仕えることを、こころよしとしないのならば、あなたがたの先祖が、川の向こうで仕えた神々でも、または、いまあなたがたの住む地のアモリびとの神々でも、あなたがたの仕える者を、きょう、選びなさい。ただし、わたしとわたしの家とは共に主に仕えます」と ヨシュアが宣言しています。
 「では、イエス様はどうなの?」と素朴な疑問が起こりますよね。主イエスは33歳の生涯を閉じるまで独身でした。では、家族はヨセフとマリアでしょうか?もちろん姻戚関係はそうですが、聖霊により宿られた主は血縁関係ではありません。そこで「家族」とは・・・
 主イエスの言われる家族はまさしく「神の家族」の事です。主イエスは個人と神様の関係を言われていますが、信徒のつながりすなわち「家族」のつながりを説かれているのです。
 何度も書きますが、信仰は個人と神様の関係であることは間違いありません。しかし神ご自身のご計画は家族単位なのです。「神の家族」となる。何と素晴らしい事でしょうか。「点のつながり」から「線のつながり」へ、そして「面のつながり」「立体のつながり」へと進んでまいりましょう。この素晴らしいキリストの福音をのべ伝え、多くの家族を持つ。これこそ今の2006年、私たちに主なる神様から与えられた「ビジョン」ではないでしょうか?

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道は開ける

2006年01月01日 | メッセージ
2006年1月1日、調布キリスト教会で行われました主日礼拝メッセージ要約です。
◇聖書:コリント人への第一の手紙10章1節~13節
 抜粋:10:13 あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。
◇タイトル:道は開ける

<要約>
 新年明けましておめでとうございます。この2006年も主の年でありますように・・・
 神のビジョンによる計画は、必ず道が開けます。「開けるかも?」「開けたら良いな!」ではなく、確実に開けるのです。ある意味、クリスチャンは楽観的なのかもしれませんね。
10:1-5には、自分たちの先祖について記されていますが、「みな」救われ解放されましたが大多数の者は滅んでしまったとあります。なぜ滅んでしまったのか・・・答えは6節以降にあります。
10:6-11では、滅びに至らないように私たちへの教訓が記されています。滅びへの道とは、自我の高ぶり、おごり、自信過剰、そして自分を神としてしまう事です。特に物事が順調に行っている時や、成功した時などが陥りやすい時と言えるでしょう。物事の進行には、私たちの奥深い所に主のあわれみ、恵みが伴っている事を決して忘れてはならないのです。
 私たちは不完全な者で、義人は一人もいないのですから、自分のあやまちに気づいた時、いえ気づかされた時は赤子の様に素直に神に赦しをこうてください。
神は必ず解放して下さり、救って下さいます。そしてその高ぶりから逃れる道も示して下さるのです。
順調な時も、苦難の時も主なる神を求め続けてください。そして共にいてくださるように祈ってください。神は真実な方ですから、必ず道をまっすぐにして下さり、道を開いて下さいます。

愛する天の父、御名を讃美いたします。
この新たな2006年を迎える事ができ感謝いたします。この年も主が共にいてくださり道をまっすぐにして開いて下さいますように。

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