倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[わたしも働く]キリスト教礼拝メッセージ要約

2008年01月28日 | メッセージ
2008年1月27日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[わたしも働く]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ヨハネによる福音書5章1~18節
抜粋:5:17 そこで、イエスは彼らに答えられた、「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。

<要約>
 先週はとても寒い日が続きましたね。晴れの国おかやまでも雪が降りつもりました。何の混じりけもない真っ白な雪、神様の御業におどろくばかりです。
 聖書の場所はベテスダ(いつくしみの家)で、今の病院のような所です。そこにある池のまわりに病人が横たえています。池の水が動く時、真っ先に飛び込んだ者が癒されたので、いち早く飛び込もうと準備しているのです。真っ先に飛び込める人はどんな人でしょう? 病気が軽度で自ら動く事ができる人、そして人をはねのけても自分が一番になろうとする人です。重病で、本当に癒しが必要な人は飛び込む事すらできないのです。
 そこに主イエスキリストが現れある重病人に「なおりたいのか」と聞かれます。声をかけられた病人、治りたい願いはありますが、自分ではどうする事もできない事実に絶望していたのです。そして主は安息日にその病人を癒されたのです。
 なぜこの人が主イエスキリストに選ばれたのでしょうか?
ヨハネは記していませんが、主自らが一方的に選ばれたのです。決して信仰が深かったとか行いが良かったからではないのです。今も一方的に私たちを選んでくださっているのです。
 安息日に人を癒された事についてユダヤ人達が主を責めています。その日は何も行ってはならないと決められていたからです。中身はともかく、表面だけの体裁を重視していたからです。
主イエスキリストは彼らに「わたしの父は今に至るまで働いておられる。わたしも働くのである」。と語られましたが、目が閉じたままの彼らには神を冒涜するとしか思えなかったのです。
 天の父なる神様は日曜日はもちろん、いつも働いておられます。喜びや悩みも24時間いつでも聞いてくださいます。呼吸をするように、天の父と会話してみてくださいね。きっとあなたに平安をお与えくださると思います。

 日曜日の礼拝、毎日のデボーションが儀礼でなく、心を込めた礼拝、交わりとなりますように・・・
 今週も主にあって素晴らしい日々となりますよう、お祈り致します。


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[きて見なさい]キリスト教礼拝メッセージ要約

2008年01月14日 | メッセージ
2008年1月13日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[きて見なさい]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ヨハネによる福音書1章35~51節
抜粋:1:39 イエスは彼らに言われた、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。

<要約>
ここでは5名が登場します。それは、ヨハネ、アンデレ、シモン(ペテロ)、ナタナエル、ピリポです。そして注目すべき点は、主が「何か願いがあるのか」と言われたように、主自ら語りかけてくださっている事です。
「どこにお泊まりですか?」との問いに主は「きてごらんなさい」と答えられます。泊まる留まるとはつながる意味もあります。15章にはぶどうの木と枝について記されていますが、この日の午後4時に主イエスとヨハネ、アンデレにつながりが生まれたのです。
主は次にシモンに出会われ、じっと見つめてペテロ(岩)と銘々されます。ペテロが自ら行動したのではなく、主が選ばれたのです。

今、聖書を勉強したり、教会へ毎週通ったりして自分が努力して主を選んだと思いがちですが、全く逆で、実は主が私達をじっと見つめてくださっているからこそ、そのような行動にでる事が出来ているのです。
主にとらわれている私達は、決して自己都合で教会へ行ったり行かなかったり、またデボーションをやったりさぼったりしてはなりません。
よく「神様と一対一の信仰だから教会へ行かなくても良い!」などと大きく勘違いしている自己中心的な人を見かけますが、そんな弱い考えを持つ人のために、教会はあるのです。都合良く考えず、ぜひ主日は会堂でメッセージを聞き、信徒の交わりを深めてください。

主イエスは今も「きて見なさい」とあなたに声を掛けられています。それに対し「はい」と素直な心で応じる人は何と幸いでしょう。


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キリストの幕屋ってなに?

2008年01月14日 | その他
近所に『キリストの幕屋』なるものが建つらしく、トラクトがポストに入っていました。以前からメールや悩みの掲示板に登場した名前でした。いよいよこんな田舎にもね・・・


トラクトに記されてあった信条を少し抜粋しますと・・・
・我らは、無教会主義に立つ。従っていかなる教会・教派にも属せず、作らず、ただ旧新訳聖書に学ぶものである。
→いかなる教派も作らず・・・とありますが、実際は教会堂を建て、トラクトを配り、堂々と『キリストの幕屋』と宣言しています。

・我らは、キリスト教の純化を願うが、日本のたの諸宗教を愛し、祖師たちの人格を崇敬するものである。
→八百万の神を信じ、また教祖なる者をも崇めるかの印象で記されています。主の御名によりそのものに祈りを捧げているのでしょうか?

また、誌面(生命の光)では、現在のキリスト教を「盲といえば全くの盲です」と自分達と区別し、いかに優れているかをアピールしているようです(会員向け書物にて)。そして、現在のキリスト者は「いつまでも神がわからない」と締めくくっています。

さらに、今のキリスト者は、妥協して信仰している!と記していますが、記者が信仰でつまづいた事の証、心を本当の神に開く事ができず、自己中心的な人間の思いで現在に至っている事を記しています。

キリストの幕屋を今、調べ始めたばかりで、あれこれは記しませんが、文書にて入手した限りの事実は以上のようです。
急激に集会所を開き、現在国内に100弱あるようです。情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらぜひお願いいたします。

また、既に『キリストの幕屋』に行かれている方の御意見、使途信条、主の祈りなどお聞かせいただければと思います。待ってます~!


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[神の小羊]キリスト教礼拝メッセージ要約

2008年01月07日 | メッセージ
2008年1月6日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[神の小羊]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ヨハネによる福音書1章29~34節
抜粋:1:29 その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。

<要約>
 2008年おめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

 毎年どこかで発表される今年の漢字が『偽』だったようですが、今年こそは神を信じる事が出来る『信』、安らかな『安』などが候補に上がる事を年頭に祈ります。
 聖書の場面は、ヨルダン川で洗礼を授けているヨハネ。そこへ主イエスキリストが登場されたのです。ヨハネの驚きと喜びは大変大きく、衝撃的だった事でしょう。そして思わずヨハネは、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」と群衆に叫んだのです。
この記事を、2千年前の出来事と読まず、今を生きる私たちにも語っているのです。聖書は活字で書かれていますが、その言葉を心の目で見てください。

 主イエスキリストは、聖霊により生まれ私たちのどうしようもない罪のために十字架にかかられました。それにより、主を信じる私たちは罪から解放され、永遠の命を約束されたのです。何という恵みでしょう。

 新たな年を迎え、主なる神は私たちに語られます。聖霊に満たされ、人々の救いのために祈りなさいと・・・

 救い主を見、御生誕を感謝できる人は幸いです。


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