倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[聖霊と人間]ペンテコステ礼拝メッセージ要約

2007年05月28日 | メッセージ
5月27日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[聖霊と人間]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:使徒行伝2章1~11節
抜粋:2:1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、2:2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。2:3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。

<要約>
 ペンテコステ、おめでとうございます。
主イエスキリストがよみがえられて50日目、教会誕生の記事です。私の集う教団の創立記念日でもあります。本日の説教タイトルは「聖霊と人間」となっていますが、「聖霊と教会と私」のほうが解りやすいかもしれません。
 聖書を見ますとまず突然、『激しい風が吹いてきたような音』が聞こえています。すなわちここの『風』とは『息』すなわち『神』そのものです。神が今一人ひとりの上に留まったのです。バプテスマによって新生した弟子達は聖霊に満たされ聖化して行きます。
 今、同じように私たちにも風が吹き(神の息)、造り替えてくださっています。私たち一人ひとりそのものが『教会』でもあるのです。そして教会は主イエスの体そのものです。力を受けた者が集まり教会堂へ集まり、そこには救いが起こります。聖霊を受けた者は、力を受け主の証人として証しをなすのです。主ご自身が私たちをご指名されているのです。
 私たちは風を見る事はできませんが、風を感じる事はできます。同じように聖霊を見る事はできませんが、聖霊に満たされる事はできるのです。2000年前、弟子達に聖霊が臨んだように、今私たちにも注がれているのです。

 一人ひとりが聖霊に満たされ、主の教会としてあり続ける事ができますように・・・

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[グランプリ]日本歌曲コンクールで友人の与那城さん受賞!

2007年05月28日 | イベント
昨夜のNHKニュースをから、聞き慣れた名前が聞こえてきました。
「グランプリは与那城さん」

私「ヨーロッパ留学から帰国していたんだ。」「ますます成長されたんだな~」

彼はクリスチャンで、私が東京勤務中同じ教会で礼拝を守らせて頂いておりました。そして何度も『特別賛美』をしてくださいました。彼が発する歌は、人の心に訴えるものがありました。そして驚く声量。バリトンという低く太い声は、会堂のガラス扉をビリビリと振動させるほど。
心から「おめでとうございます!」


[NHK news] 5月27日 21時3分

山田耕筰や中田喜直たちが作曲した懐かしい日本の歌を広く知ってもらおうという「日本歌曲コンクール」が、27日、東京で開かれました。
このコンクールは、国の重要文化財に指定されている東京・台東区の旧東京音楽学校の奏楽堂で毎年開かれているもので、歌唱と作曲の2つの部門で選考が行われます。このうち歌唱部門には、227人が応募し、27日の最終選考には予選を勝ち抜いた11人が参加しました。参加者は、1人15分の持ち時間のうちに、山田耕筰や中田喜直が作曲し北原白秋や萩原朔太郎らが詩を作った歌曲を情緒豊かに歌い上げ、歌唱力と表現力を競いました。審査の結果、歌唱部門の第1位にはバリトンの与那城敬さん、第2位にはソプラノの小松由美子さん、第3位にはメゾソプラノの金子美香さんが選ばれました。

[共におられる神]礼拝メッセージ要約

2007年05月21日 | メッセージ
5月20日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[共におられる神]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:マタイによる福音書28章16~20節
抜粋:28:20 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。

<要約>
 5月17日主イエスは昇天され、本日は昇天主日です。
復活された主イエスは約束通りガリラヤで11人の弟子達に現れ、ベタニヤで昇天されました。一説にはオリブ山で昇天されたとも伝えられています。
 聖書の場所はガリラヤ。弟子達が集まっている中、主が現れ語られています。が、弟子達は主をなくし、落胆していました。よみがえりの主を見ても疑い、素直に信じる事が出来なかったのです。
 しかしなぜ復活の地がガリラヤだったのでしょうか? 決して都会ではないのです。
 日本なら、復活の地が東京でも大阪でもない、海沿いの小さな村に主が現れたのです。主はその小さな村で宣教を始められ、そしてよみがえりもその小さな村に現れたのです。
ここに大きな意味があります。人々に大影響を及ぼすような都会ではなく、小さな小さな所から始められたのです。これは、小さな私たち一人ひとりのために生まれ、そして私達個人のため、罪人のために十字架にかかられたのです。大宣教をするなら、人が多い所で一気にすれば良かったのではと思うかもしれませんが、主のご意志ではなかったのです。
 そして復活の主イエスは11人の弟子に向かい、大宣教命令を下されます。「そんな事を言われても、主がいなくては何も出来ません!」と思った事でしょうね。しかし主はすべてをご存じで「いつもあなたがたと共にいる」と弟子達にお伝えになるのです。まさにインマヌエルです。何と素晴らしい約束をなさって下さったのでしょう。アーメン。
 復活の主イエスは、天・地すべてにおいて権威をお持ちです。私たち一人ひとりもその権威に支配されています。困った時だけ主を呼び求めるような自己都合であってはなりません。幸いな時こそ、共にいてくださり、支配されている神に感謝を捧げる事が出来れば何と幸いな事でしょうね。
さらに主は私たちを完全に信頼され、大宣教命令を下されています。宣教や伝道が思うように進まなくても何も心配する事はありません。主に丸投げし、共にいてくださっている事を信じ、御心のままになりますよう祈りましょう。
 もし今、悩みもがいている方があるならば、ぜひ「主イエスよ、来たりませ」と祈り、キリストの支配を受け入れてみてください。人知ではどうする事もできない事が、主のご計画ならばきっと起こる事でしょう。
 主イエスを心から受け入れ、共にいてくださいますように。と祈り続ける事が出来ますように・・・

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[驚きの信仰]礼拝メッセージ要約(母の日)

2007年05月14日 | メッセージ
5月13日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[驚きの信仰]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ルカによる福音書7章1~10節
抜粋:7:9 イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」。7:10 使にきた者たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた。

<要約>
 本日は母の日ですね。
両親を敬う事は、旧約聖書の十戒にも記されているように、とても大切な事です。子たる者は父母に従う事、これが第一の戒めです。さらに、幸福になるひけつが父母を敬う事でもあります。
「なぜ?」と質問されても私には解りませんが、確かな事は聖書に記され約束されている事を信じるか、否定するかだけだと思います。選ぶのはあなた自身です。幸せを選びますか、それとも不幸せを選びますか?

 聖書に入りますが、場所はカペナウム。主イエスのもとに、長老が訪れ、ある百卒長の僕が重い病にかかっているので癒して欲しいと願いに来ました。
現在風に書きますと、ある会社の重役の片腕の部下が病気になり倒れてしまいました。数人の医者にもみせたでしょうが、いっこうに治りません。
重役は近くに救い主、主イエスキリストが来られている事を知り、自分が信仰している宗教ではないけれど、もはや頼る事ができるのは、この方しかいない。と行動に出たのです。
直接主イエスにお願いに行く事が出来ないと判断した重役は、知り合いの長老に頼みます。長老は主イエスに、その重役は大変良い人で、会堂も建てるなどした立派な方だと伝えます。
しかし重役は、主イエスをお迎えする資格すらないと思い、ただただお言葉を下さいと主に伝えるのです。
 重役は大きな権力を持っていました。その権力者である者が主イエスにお言葉をください。とへりくだり願っているのです。主イエスはそこに、異邦人でありながら心から主を拝する信仰をご覧になられ感心されたのです。そして病気の僕は癒されました。

 主のみ言葉に聞き従う事、これが救いの原点です。
「主イエスよ来たりませ」


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[愛し合う教会]礼拝メッセージ要約

2007年05月07日 | メッセージ
5月6日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[愛し合う教会]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ヨハネによる福音書15章12~17節
抜粋:15:12 わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。

<要約>
 私たちの倉敷教会では、毎月第一主日に聖餐式が持たれています。主イエスキリストが私たちを愛してくださっている事を教会員全員で再確認し、パンとブドウ液を頂いています。そして毎週礼拝後には、同じ枝につながっている者同士で食事(愛餐会)を持ち、コミュニケーションを図っておりますが、皆様の教会ではいかがですか?
さて聖書に入りますが、この箇所を3つの観点から見て行きたいと思います。

(1)15:12「わたしがあなたがたを愛したように・・・」
互いに愛し合いなさい。これだけは守って欲しいと主は言われています。不誠実な私(あなた)を丸ごと愛し続けているように互いに愛し合いなさいと言われているのです。
(2)15:15「わたしはあなたがたを友と呼んだ・・・」
主イエスは私たちの事を僕ではなく、友と呼んでくださっています。友達同士の間になにがあるのでしょう?信頼関係そして秘密の共有があります。それほどまで私たちを愛してくださっているのです。
(3)15:16「わたしがあなたがたを選んだ・・・」
クリスチャンの皆様の中に、自分がキリスト教を選び信仰を始めた。と思っている方がもしいるならば、それは誤りです。聖書はキッパリと信仰は与えられるものだと記しています。主イエスがあなたを選ばれそして触れられているのです。

 主は「あなたは私のものです。とても尊い人です。」といつも私たちに語り続けておられます。主の愛を受けている私たちですから、人を愛せない事などあるはずがありません。
受けている愛を感じている方が集うのが、キリスト教会です。しかし全ての人が健康であるとは限りません。同じ枝につながっている者のため、自分の事のように愛し、祈る事ができるなら何と幸いな事でしょうね。そしてその教会がひとつとなり、愛に満ちたものとなる事を主なる神、主イエスキリストは望んでおられるのです。

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究極のサービスとは、クレドとは何?

2007年05月02日 | その他
 昨日テレビ(ガイアの夜明け)で『究極のサービスとは』の番組が放映されました。登場する会社は『リッツカールトンホテル』と『ベルテンポ・トラベル・アンドコンサルタンツ』という旅行会社。

 両社に共通している点は『心のおもてなし』

リッツには絶対に理念として揺るがない『クレド』というものがあります。クリスチャンの中には、クレド本来の意味をご存じの方もいらっしゃると思いますが、簡単に説明しますと・・・

<クレド【(ラテン)Credo】とは>
《我は信ず、の意》ミサ典礼の式文の一。信仰宣言で、「私は唯一の神を信じる」の言葉で始まる。

つまりクレドとは『信じる事を宣言』したものだと思います。キリスト教の理念と共通している『サービス』をクリスチャンとして表現してみると・・・

・あたたかい心で信徒と交わります。
・クリスチャンまた求道者の思いを先読みし共に行動します。
・わかれる時は感じの良いお見送りをします。

ちなみに『サービス』とは・・・
人のために力を尽くすこと。奉仕。礼拝。

唯一の神を信じるクレドを私たちも持ち続ける事が出来ますように。またその神を知らない人々に神が触れられますように・・・

<関連リンク>
日経スペシャル・ガイアの夜明け「究極のサービスを目指せ」
リッツカールトンホテル
ベルテンポ・トラベル・アンドコンサルタンツ


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