倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[神のみ業の伸展29]キリスト教礼拝メッセージ要約

2010年01月31日 | メッセージ
2010年1月31日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ『神のみ業の伸展29』 ~キリストによる力~ のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:使徒行伝28章1~16節
抜粋:14:そこで兄弟たちに会い、勧められるまま、彼らのところに七日間も滞在した。それからわたしたちは、ついにローマに到着した。

<要約>
第三次伝道旅行、276名での大移動もクライマックスを迎えました。漂流し流されましたが助かり解ったこと、助かった場所はマルタ島でした。神のご計画で全員無事にマルタ島へ導かれたのです。

(1)マルタ島で冬ごもりの三ヶ月 1~10節
先日新幹線の架線が切れ、何時間も乗客が閉じ込められました。閉じ込められる事は決して喜ばしい事ではありませんね。パウロたちはマルタ島へ閉じ込められましたが、島の人々は並々ならぬ親切な人たちでした。ズブ濡れになった人たちのために火をたいてねぎらってくれました。パウロも柴ひとかかえを火にくべました。が、その中にマムシがいてパウロに噛み付きました。人々はいつ腫れ上がるのか見ていましたが何の変化もありません。それを見た人々は「この人(パウロ)は神様だ」とささやきます。パウロはマルタ島で説教はしませんでしたが、無言の宣教は確実に進んでいたのです。
その後マルタ島首ポプリオ宅に招かれます。そこに島首の父が赤痢で伏しているのを見て、パウロは手をあて祈りました。そして島首の父は癒されました。その事を知った島民は続々とパウロの元へ集まり、みな癒されました。ローマ行きは延びましたが神のご計画の中で時は進んでいたのです。

(2)マルタ島からローマへ 11~16
三ヶ月後、島で冬ごもりしていたアレキサンドリヤの舟に乗り出帆します。舟は北へ向かい、シラクサ、レギオン、ポテオリに寄港し、ついにローマへ到着したのです。
ローマの兄弟たちが、到着前からパウロを迎えに来ていました。パウロは神に感謝し、勇み立ちました。
キリストの力の武装により、ついにローマに導かれました。23:11「しっかりせよ!」主なる神がいつも共にいてくださり、励まし続けてくださったのです。パウロ60歳の出来事でした。

今大変な試練の中を生きている方も多いかと思いますが、後になぜだったのか解る日が来ると思います。キリストを信じる私たちは神の御手の中で生かされています。困難な時ほど神によりすがる信仰が与えられるならば幸いだと思います。
そして使途業伝は今、パウロから私たちにバトンが渡されているのです。


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[神に捧げられた私たち]キリスト教礼拝メッセージ要約

2010年01月24日 | メッセージ
2010年1月24日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ『神に捧げられた私たち』のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ローマ人への手紙12章1~2節
抜粋:2:あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるかを、わきまえ知るべきである。

<要約>
関東と関西では同じ100ボルトの電圧でもサイクル(ヘルツ)が、50と60のように違います。これはトランスと言われるものの違いで、関東はアメリカより、関西はドイツから輸入して送電した名残のようです。今はヘルツが違っても問題ありませんが、少し前までは転勤で移動すると電気製品を買い換える必要があったようです。

全ての人は、何かに捧げられて生きています。それは罪に捧げられているのか、それとも神に捧げられているのかに分けられます。両方に捧げる事はできないのです。神を知る前は、罪の人であった者が主イエスを知る事により、神の武器に変えられ用いられるようになっています。変えられる事について、この世との妥協についてと、造り変えられる事について記してまいります。

2節に、「この世と妥協してはならない。」とあります。この世の生活と一致(コンフォーム)しないようにすすめています。どら焼きや、たい焼きは同じ型でいくら焼いても同じものを繰り返し作ります。パウロはこの世の堕落した生活を改め、心を新たにするようすすめています。
主イエスキリストと共に生きる者はどうでしょうか? 主イエスにより造り変えられ(トランスフォーム)されています。この世の型にはめ込まれないよう、また何が神のみ旨、御心なのか知る事ができるよう神が型を変えられました。
私たちは常に物事を判断し決定していますが、何をベースに判断しているのでしょう。自分が良いように判断している人も多いと思いますが、まず神のみ旨が何かを悟り決断する事ができれば幸いと思います。また神のみ旨を知らず決断を下す時、場合によって六輝や占いにまかせている人を見かけますが、造られた人造物に自らを任せてしまう事は、本当に残念な事です。

神を信じる者は神の型に変えられ(トランスフォーム)ています。いつも何が神のみ旨かをベースに判断する事が大切だと思います。神を信じ、あわれみの中に生きる。これが神に捧げられた私たちの生き方だと思います。


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[神のみ業の伸展28]キリスト教礼拝メッセージ要約

2010年01月17日 | メッセージ
2010年1月17日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ『神のみ業の伸展28』 ~望み続ける信仰~ のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:使徒行伝27章13~26節
抜粋:22:だが、この際、お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないであろう。

<要約>
オープンチャーチやクリスマスで、昨年11月1日以来の『神のみ業の伸展』28のメッセージとなりました。聖書は第三次伝道旅行で、地中海を航海する場面です。前回、神はパウロに「しっかりしなさい。あなたはエルサレムで証した様にローマでも行わなくてはならない。」と告げられました。同行しているルカと出帆する一行です。

(1)出帆するパウロ
ローマに向かうパウロとルカ。その他合わせると276名の大移動となりました。神はその一人ひとりを覚えられていました。
(2)警告するパウロ
9月半ばから11月半ばまで、航海が危険な時期でした。既にその期間となっていたため、パウロは出帆を延期するよう警告しますが、航海経験豊富な船長などに受け入れられず出帆してしまいます。船出してしばらくするとユーラクロン(台風)に遭遇し、もはや航海できない状況に陥り、積み荷を捨て更に船具まで捨て船を軽くしました。しかし暴風雨はおさまらず、望みも消えてしまう状況でした。

(3)望み続けるパウロ
「船は失うが命を失う者は一人もいない。元気を出しなさい。」とパウロは語ります。カイザルの前で証するパウロと同乗する者をも守られる神なのです。

(4)神に守られるパウロ
漂流14日目に陸地が近づいたと感じる水夫。パウロは食事を摂るようにすすめ、全員十分食べた後、食物を海に捨て船を軽くしました。そして船はマルタ(メリタ)島に着きました。もちろん神の言とおり全員無事でした。

パウロは何度も違う場所で神により引き出されました。その都度、神を証続けるパウロでした。パウロ同様、私たちも今住んでいる場所で神から召命を受けています。大胆に神を証しようではありませんか。
天国を見た事のある人は一人もいません。しかし神は確実に私たちの祈りを聞かれています。
ヘブル人への手紙 11章 1節「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」


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[主は私の羊飼い]キリスト教礼拝メッセージ要約

2010年01月10日 | メッセージ
2010年1月10日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ ~主は私の羊飼い~ のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:詩篇23章1~6節
抜粋:2:主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。3:主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。

<要約>
スポルジョンはこの箇所を『詩篇の真珠』と表現しています。それほど素晴らしいものです。主はわたしの牧者(羊飼い)であって、生きている限り必ず恵みといつくしみが伴うと記されているのです。何と幸いな事でしょう。
いつ詠まれたのか、説は多々あるようですが、ダビデが人生の晩年時、主なる神様への気持ちを綴ったと受け取るのが良いと思います。

この箇所より、以下3つの観点から見てまいります。

(1)主は私を導かれる牧者
イスラエル民族にとって羊はなくてはならない動物でした。毛を刈り、肉を食べ、油をとり、皮を天幕の材料として使いました。ですが羊は弱く、自分勝手で更に決断力がありません。羊は羊飼いがいないと生きていかれないのです。私たちはどうでしょう? 自分勝手で意志が弱く人生の決断力が足らないのではないでしょうか。だからこそ、私たちを導く羊飼い、すなわち主イエスキリストにすがり生かされる事が大切だと思います。

(2)主は私と共におられる牧者
死の陰の谷、どんな苦境な時も、どんな所までも主は共にいてくださるのです。挫折しそうな時、その時その所で主の名を呼んでください。突き放つような事など決してされません。安心して全てを委ねてください。

(3)後ろから追いかける牧者
共におられるとは、追いかけるようにしてフォローされる事です。しかも、必ず、生きている限りずっとなのです。

主の宮は今も後も存在します。そして私たちはその中に住む事が出来るのです。私たちを導き、共にいてくださり、いつも追っかけてくださる神様なのです。

今年は(も)、恵みといつくしみが私たちと共にありますように。
主に信頼と従順をもって接する事ができますように。


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[新しい出発]キリスト教礼拝メッセージ要約

2010年01月03日 | メッセージ
2010年12月3日、倉敷ホーリネスチャーチの礼拝メッセージ ~新しい出発~ のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ヨシュア記3章1~13節
抜粋:3:民に命じて言った、「レビびとである祭司たちが、あなたがたの神、主の契約の箱をかきあげるのを見るならば、あなたがたはその所を出立して、そのあとに従わなければならない。4:そうすれば、あなたがたは行くべき道を知ることができるであろう。

<要約>
2010年を迎えました。新年あけましておめでとうございます。
新しい年、あなたはどこに向かって出発(出立)していますか?
「べつに、何となくどうにかなるさ」と思っている方も中にはおられるかも知れませんが、何とも寂しいのではないでしょうか。この箇所は、エジプトを出発してカナンを目指し旅を続けている途中ですが、12部族の代表各1名がカナンを偵察し、とても勝ち目がないと思い、何と12人中10人の反対があり、目の前のカナンに行けません。最終的に40年もかかってしまいました。そして最終目的地に入る事ができたは、神を信じきったヨシュアを含め2名だけでした。

再出発のきっかけとなったのは何だったのでしょう?
3節に「主の契約の箱をかきあげるのを見たならば」出発しなくてはならないと主なる神が指令をだしています。さてこの契約の箱には何が入っているのでしょう?大切なものが3つ収められていました。
 ・十戒が書かれた石盤2枚(神の言)
 ・壷(命を支えてきたマナ)
 ・杖(アロンの杖)
思うままに進むのではなく、神の言が先行しそれに従い進む事が大切なのです。今を生きる私たちにとっての契約の箱とはいったい何でしょう? それは主イエスキリストご自身で、出発のための大切な備えなのです。

もう一つのキーワードは、8節の「立ちとどまらなければならない」です。契約の箱がヨルダン川に入った時、流れがせき止められました。そしてその中を民は安全に渡りきりました。同じ契約の箱ですが、先立つ箱であり、立ち止まる箱が私たちを守ってくださっているのです。いろんな流れの中を私たちは生きています。人の流れ、経済の流れ、また自分の中の流れに置かれています。しかしどんな流れの中にあっても安心してください。契約の箱すなわち私たちの救い主、主イエスキリストがいつも共にいてくださり、守ってくださるのです。

新たな年を迎え、希望いっぱいの人、また不安が一杯の人、さまざまな思いや環境でスタートしました。自分の思うままに進む事から、まず神の言を聞き、それに従う年となれば幸いと思います。
主と共に歩む人はますます主と共に、また主を知らない人はぜひ主と触れあい、共に歩む年となりますよう祈ります。


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