倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

【聖書】ローマ人への手紙6章1~6節 【説教】「キリストにつぎ合わされる」

2021年07月25日 | メッセージ
【聖書】ローマ人への手紙6章1~6節
【説教】「キリストにつぎ合わされる」

6: わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。

主の御名を讃美いたします。
 ローマ人への手紙を建築物に譬えて説教をしていますが、先週のところから本館の第2 棟で、色々な罪(複数形)から の救いだけでなく、単数形で原罪ともいえる罪からの解 放、つまりホーリネス(きよめ)が主題となっています。 「私たちは赦された罪人なのだから大いに罪を犯し、また許してもらったらいい」という論議がありますが、 パウロは「だんじてそうでない」6章2節と断言しています。

 私 たちは、ホーリネス教団に属していますが、「ホーリネス(きよめ)など必要ない、そのような面倒なことを考えたくない」 という考え方もあるようです。そのような見方に対する答えがこのところに書かれていると言えるのではないでしょうか。

 パウロはここで、バプテスマ(洗礼)と接ぎ木の譬えを通 じて私たちに諭すように語っています。 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエス にあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのです。ローマ6章3節

 このバプテスマとは洗礼のことですが、原語のギリシ ャでは浸けるということばから来ています。「何につける のか」というと、水に浸けるということです。バプテスマと は、もともと水に浸かる浸礼を意味していて、水に浸かると はキリストの死ににあずかるという事です。 いつまでも水に浸かっているのではなくて、水の中から 引き上げられるのですが、これはキリストの「復活の生命」を意味するのです。

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テケテケ

※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。

【聖書】ローマ人への手紙5章12~17節 【説教】「第二のアダム」 2021/7/18 倉敷ホーリネスチャーチ

2021年07月18日 | メッセージ
【聖書】ローマ人への手紙5章12~17節
【説教】「第二のアダム」

14: しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった。このアダムは、きたるべき者の型である。

主の御名を讃美いたします。

 1964年に戦後復興のしるしとして東京オリンピックが開かれました。同じ年に三浦綾子さんが「氷点」を発表され、主人公の陽子を通じてわたしたちの内にある「原罪」」が問われました。映画にもなり、何回もテレビでドラマ化されました。
 今日の聖書箇所は、人間の原罪とキリストの救いとが、「第一のアダム」と「第二のアダム」と表現されて登場します。「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので・・・」12節このアダムは、きたるべき者の型です。
 
 14節後半パウロはここでアダムを通じて罪が世に入り、死が全人類に入り込んだと指摘しています。このところまでパウロは、複数形とも言える罪を指摘してきています。ユダヤ人の罪、異邦人の罪、すべての人の罪などです。このところからパウロは、人間の奥深い「原罪」を指摘して、そこからの救いを述べているのです。いわば、単数形の罪について語っているのです。

 ローマ書を建物に譬えていますが、いよいよ本館の第二棟となります。今日は、次のことばを主からの約束といたします。
 「もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして(新改訳ではなおさら)、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。」ローマ5章17節

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テケテケ

※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。

【聖書】ローマ人への手紙5章1~11節 【説教】「失望には終わらない希望とは」 2021/7/11 倉敷ホーリネスチャーチ

2021年07月11日 | メッセージ
【聖書】ローマ人への手紙5章1~11節
【説教】「失望には終わらない希望とは」

4: 忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。

主の御名を讃美いたします。

ロ ーマ書の中心的な聖句でもあります「そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたし たちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注 がれているからである。」はたびたび私たちを支え続けてくれたみ ことばです。
 このローマ書を建物に譬えていますが、この5章は本館第一号棟の まとめであり、主イエスの救い、義認の結果どのような者とされてい るかを確認しています。 まず確認したいのが1節の約束です。「キリストにより、神 に対して平和を得ている。この「平和」ということばは、「平安」 とも訳されていますが、平和慣れしている今の私たちには ピンとこない感じがすます。 主イエスが話された当時の挨拶に「シャローム」というものがあります。「平和・平安」を告げるものですが、主イエスが弟子た ちに「シャローム」と話しかけられたように、わたしたちも父 なる神に「シャローム」と挨拶をかわす関係とされているので す。ここからすべてが始まっているのです。

4節に「忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すこ とを、知っているからである。」とあります。この練達を共同訳 では品性と翻訳しています。英語のある訳ではキャラク ターとあり、興味深いですね。 罪の結果は、呪いの連鎖が始まってしまいます。イエス・キ リストの救いを頂いた者がどんな、キャラクターを持つに至る か(最初からではない)を学びたいものです。

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テケテケ

※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。

【聖書】ローマ人への手紙4章1~10節 【説教】「アブラハムお父さん」 2021/7/4 倉敷ホーリネスチャーチ

2021年07月04日 | メッセージ
【聖書】ローマ人への手紙4章1~10節
【説教】「アブラハムお父さん」

3:なぜなら、聖書はなんと言っているか、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」とある。

主の御名を讃美いたします。

 ローマ人への手紙を建物にたとえてお話ししていますが、本日は玄関に続 いての本館第1 棟です。、イエス・キリストにあたえられている救い について書かれています。 今日は、その信仰による救い、つ まり信仰義認を解き明かすための一つのイラストレーション (図解)としてのアブラハムが登場しています。
 まずこのアブラハムは、ユダヤ人にとっても異邦人にとっても 信仰の父となってくださった方です。このアブラハムもまたダビデも、行いではなくて、「神の・・に もかかわらずの愛」によって義と認められたのであると語っています。 しかもアブラハムがこの信仰義認を頂いたのは割礼を受 ける前であったということをパウロは指摘しています。

 4 章11 節 だから、アブハムは、ユダヤ人だけでなくて、異邦人にっ っても「信仰の父」となるのである。 「わたしは、あなたを立てて多くの国民の父とした」と書い てあるとおりです。彼はこの神、すなわち、死人を生かし、 無から有を呼び出される神を信じたのです。

 4 章17 節 このアブハムお父さんの特色は「・・・にもかかわらず」の信 仰です。自分の子どもイサク誕生の時、またその愛する子 どもを神の前にささげるように命じられた時も、望み得ない ときでも、なおも望みつつ信じたのでした。

 私たちも、アブハムを信仰のお父さんとしています。そうして、お父さんにならうものとされているのです。

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テケテケ

※要約はメッセンジャーの説教メモを記しています。