倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[苦しみの中に生きる]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年07月30日 | メッセージ
7月29日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[苦しみの中に生きる]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ペテロ第一の手紙3章13~22節
抜粋:3:14 しかし、万一義のために苦しむようなことがあっても、あなたがたはさいわいである。彼らを恐れたり、心を乱したりしてはならない。

<要約>
 この手紙は、ペテロが語った言葉をシルワノが書き記し伝えたものです。○○人への手紙のように特定の地域に向け書かれたものではなく、アジアの全ての人に向けて西暦62年~64年頃に書かれたと言われています。手紙は伝道に向かう弟子に託され、「これはペテロ兄が語った事です」と伝道の場所場所で語られたと伝えられています。
 当時、キリスト者に対する迫害が起こり、苦しんでいる者が多くおりました。まさにその人たちを回復させる素晴らしい手紙だったようです。何をペテロは伝えたかったのか簡単に要約してみますと・・・

「今、苦しみの中にいるけれど、私たちはキリストによって永遠の命を約束されているぞ!」
「あなたがたは、祝福を受け継ぐのですから、悪をもって悪に報いてはなりません!」

自分を責める者にどう接したら良いのでしょう?感情的になってしまうと相手と同じように責めてしまいます。しかしそこであえて悪には善をもって祝福をその人のために行いなさいとペテロは勧めています。難しい事かもしれませんが、悪は決して善に勝利する事はないのです。
聖書はまさに悪を受けている場面ですがそんな中、心の中で主とあがめなさいと教えているのです。あなた(私)を救って下さったのは主イエスキリストだという事を、いつも思い続けている事が大切なのです。
 主イエスキリストは、私たちの肉のため十字架にかかられ、肉体は死なれましたが霊は今なお生きておられます。信じる者のそばにいて下さり、どんなに苦しい状況にあっても信じる私たちを救ってくださるのです。主イエスキリストは黄泉(よみ)にまで下られ、そこに落ちて行く私たちの魂を救い出し、天の御国に本当の住まいまでご用意して下さっています。今、苦しみの中に例えあったとしても安心し、主イエスキリストにすべてを委ねてみてください。きっと苦しみの中にあっても平安が与えられる事でしょう。

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[堅く立ちなさい]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年07月23日 | メッセージ
7月22日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[キリストの心に生きる]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ガラテヤ書6章1~10節
抜粋:6:2 互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。

<要約>
 堅く立つとは・・・自分の努力や力で腰を下ろしふんばって立つ事でしょうか?
いえ、まったく逆です。自分の無力さを確認し、主にすべてを委ねる事です。
 さて、この箇所には、ユウオデヤとスントケ二人の女性が登場します。どうやら教会内で、仲違いを起こしていたようですね。なぜパウロはこの仲違いの二人をあえて実名で記したのでしょう?また、数百年後記述の見直しがあった際も、この二人の実名が消される事はありませんでした。なぜでしょうね?
 この二人は恐らく「あの人だ!」と信徒に解る存在だったのでしょう。当時の手紙は、例えピリピの人に書かれたものでも、コリントやその他へ運ばれ、誰でも読む事が出来たようです。パウロは『婦人達よ』と抽象的な表現を避け、実名で具体的に勧めているのです。
勧めるとは、なぐさめる事。実名を出しながらでも、二人に共感し、神様のなぐさめがあると記しているのです。
 私なりにこの箇所を今風に表現するなら、「私の宝物のあなた。主に信頼しすべてを委ねなさい。どうぞ皆さん、主にあって心を一つに共感し、なぐさめ合ってください。」
 この手紙を今私たちに書かれていると思い、読んでください。そして弱く疲れている人と共感し、なぐさめてください。そして自分も不完全で弱い者である事を覚え、自分のためにもなぐさめが与えられますように祈ってください。執り成しの祈りをするには、その人の立場になり共感する事が大切です。大上段に構えて祈りを捧げても、何にもなりません。また無理矢理、共感しようと肉の思いで努力しても出来るものではありません。主にあって堅く立ち、主と共にいなくては、私たちには何も出来ないのです。

 主よ、台風や大地震で被災された多くの方々を覚えてください。その場にあなたが共にいてくださり、一人ひとりになぐさめをお与えください。

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[使命を果たす力を生み出す聖化]中国教区夏期聖会メッセージ要約Ⅱ

2007年07月17日 | メッセージ
7月16日、日本ホーリネス教団中国教区の夏期聖会が広島のIGL広島福音教会で開催されました午後からの集会です。ホーリネス教団元教団委員長の河野正之牧師によりメッセージが語られました。メッセージ要約[使命を果たす力を生み出す聖化]をアップいたします。

聖書:】Ⅱテモテ2章20~21節 創世記39章1~6a
抜粋:43:4 あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに、あなたの代りに人を与え、あなたの命の代りに民を与える。

<要約>
 私たちに与えられている使命とは・・・与えられている使命があるならば、どうすれば知る事ができるでしょうか?
 創世記を中心に見ていきますが、ここに登場するのはヨセフ。彼は父ヤコブが年をとってからの子なので特別に愛されたと言われています。ヤコブには4人の妻がありましたが、最愛の妻ラケルの長子である事が愛する最大の原因とも言われています。父に一番愛されていると感じていたヨセフは自己中心な優越感に浸り、兄の悪事などを父に告げ口します。さらに夢に見た事、すなわちヨセフのまわりに兄たちがひれ伏すと束のたとえで話をします。兄達は腹を立て、ヨハネを殺そうと企てますが、長男ルベンは父がどれほど悲しむかを思い、古井戸へ投げ込む事にしました。投げ込まれたヨセフは、初めて兄たちが自分をどう思っていたか知ります。ヨセフは兄たちにゆるしを請いますが相手にされません。ヨハネは今までの高慢さ、自分のしてきた事を悔い、神様に心から詫びるのです。
 ヨハネは神様と共に過ごして行きます。古井戸に落とされたヨハネは兄たちにより、奴隷として売られます。その時もヨハネは神様と共にいました。奴隷の中でも一番の新参者。辛い仕事ばかり与えられた事でしょうね。それでもヨセフは全て神様のご計画で共にいてくださる事を確信し、まじめに一生懸命働くのです。そんなヨセフを見た主人は責任の重い仕事を任せるようになります。
 順調と思えた時、主人の奥様がヨセフを誘います。しかしヨセフは退け、無実の罪で牢獄へ入れられてしまいます。「奥様の作り話で私は無実です!」と叫びたいところですが、ヨセフは言い訳を一切しませんでした。牢獄でもヨセフは信用を得、認められて行きます。そして最後にはエジプトの最高責任者パロの右腕となるのです。
 神様は私と共にいてくださる。今の辛さは神様からの訓練だ。と思えるなら何と幸いでしょうね。自分の気に入らない事をそのまま感情的に受ける人生とは180度違います。
 幸せな時も、辛い時も神様が共にいてくださる事を確信できるなら幸いです。福音を証し、福音に生きる事。これこそが私たちに与えられた使命ではないでしょうか。

※午前の聖会Ⅰへ!


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[高価で尊いあなた]中国教区夏期聖会メッセージ要約Ⅰ

2007年07月17日 | メッセージ
7月16日、日本ホーリネス教団中国教区の夏期聖会が広島のIGL広島福音教会で開催されました。ホーリネス教団元教団委員長の河野正之牧師によりメッセージが語られました。メッセージ要約[高価で尊いあなた]をアップいたします。
聖書:イザヤ書43章1~4節
抜粋:43:3 わたしはあなたの神、主である、イスラエルの聖者、あなたの救主である。わたしはエジプトを与えて/あなたのあがないしろとし、エチオピヤとセバとをあなたの代りとする。

<要約>
 年間3万人以上もの自殺者が出ている今、命の大切さについて考えなくてはなりません。どうしたら直前で思いとどまる事ができるでしょうか。「自分なんかいてもいなくても大した事じゃない!」と思っていたとしても、神はあなたをどのように見られているのでしょうか?
 ①「わたしの目に」
人がどうあなたを見ようが、神様は私たち一人ひとりを宝物のように見てくださっているのです。あなたは何かとても大切にしている物はありますか?私の場合は『万年筆』。特に大切にしている1本があります。とても書きやすい万年筆で、妻からプレゼントされたものです。値段は解りませんが、そんな事などどうでも良く、私の宝物です。どこに行っても必ず持って行きます。
神様は一人ひとりをこのように思ってくださっています。そして、神様にとって大切な御子イエスキリストを十字架にかけられ、私たちを救い贖ってくださいました。これは過去の出来事ではなく、今なお続いている事です。
 ②「わたしはあなたの名を呼んだ」
私たちが神様を信じたその時から、私たちは神様のものとなり、一人ひとりの名を呼んでくださいます。私たちの髪の毛の数さえご存じなのです。そしてどんな環境の中であっても共にいて耐えられるようにしてくださいます。
 ③「大切にされている私たちの生き方」
神様から私たちは愛されています。愛に応えるには愛しかありません。まず自分を愛してください。自己中心的な愛ではありません。隣の人を愛するには、まず自分を愛する事ができなければ決して出来ないからです。
神様は私たちに何を求められているのでしょう?私、そしてあなたにしか出来ない事とは何でしょう?人との比較を止め、自分を愛する生き方を祈り求めてみてください。もし、神様があなたをどんなに愛しておられるか解った時、自然にどう愛し生きていけば良いか教えてくださると思います。

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[キリストの心に生きる]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年07月16日 | メッセージ
7月15日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[キリストの心に生きる]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:ガラテヤ書6章1~10節
抜粋:6:2 互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。

<要約>
 最初に、台風4号また、信越沖地震で被害にあわれました方々にお見舞い申し上げます。霊肉体ともに癒されますようお祈りいたします。
 私たちはとても心が弱く、自分に近い人が被災してしまったら、仕事も中断し何とか助けたいと思うはずです。しかしニュースで遠くの被害状況が伝えられると、かわいそうと思っても何だか他人事のように客観視してしまいます。そんな自分に気付きハッと我に帰り、心から被災された方々のため祈りますが、そんなとき本当に人は弱いものだなと感じてしまいます。
 6:1にパウロは「霊の人であるから互いに重荷を負い合いなさい」と教えています。霊の反対に肉があります。律法を守っているように振る舞う人、祈りも人に聞かせるため、よくまとめられたもの、パウロはこれらの人を霊の人ではないと言っているのです。人が救われるには、律法を守る事ではなく、また努力して勝ち取るものでもなく、ただ一方的なキリストの恵みにより救われる事を覚えなくてはなりません。
 パウロが言う霊の人とは、キリストの恵みを受け入れ、いつもキリストを着ている人の事です。そんな人は、柔和でへりくだった心を自然に持つようになります。
生活の中で意見が一致しない事が多くありますが、そんな時相手を裁かず、その人がなぜそう思ったり行動したりするか共に悩み自分の事として負えるように祈る事が出来れば幸いです。何か問題が起こった時、「キリストならどうするか?」と思えるなら本当に幸いだと思います。
 「キリストの心に生きる」とは、キリストの恵みを受け入れ、傷ついている人、重荷をおっている人と共に生きる事だと思います。今私たちが出来る事、共に負う重荷とは・・・
 被災されました方々のそばに立ち、苦しみや悲しみを自分の事として受け入れ、共に重荷を負い祈る事が出来るなら幸いだと思います。


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[真夜中の礼拝]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年07月09日 | メッセージ
7月8日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[ピリポの伝道]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:使徒行伝20章7~12節
抜粋:20:11 そして、また上がって行って、パンをさいて食べてから、明けがたまで長いあいだ人々と語り合って、ついに出発した。20:12 人々は生きかえった若者を連れかえり、ひとかたならず慰められた。

<要約>
 場面は、アジア西端の地中海に面した港町トロアス。週の初めとありますから日曜日で、聖餐のため準備をしているところです。体が弱かったパウロに同行していた医者のルカが労っています。

 日曜日に礼拝を捧げ、説教を行い、聖餐を受けました。パウロは明日出発しなくてはならず、またもう二度と訪れる事がないのを知っていたかのように、信徒の家の三階の屋上で話を続けます。あたりは段々暗くなり屋上にはたくさんの灯りが灯されていました。パウロの話は延々と続き、ユテコという若者がウトウト始めます。そして寝入ってしまい三階から下に落ちてしまいました。一同は驚きあわて、急いで下に降りユテコを抱き起こしましたが既に亡くなっていました。パウロはユテコを覆うように抱きかかえ「命がある」と語るのです。恐らく父なる神に渾身の祈りを捧げていた事と思います。パウロ達はまた屋上へ向かい、話を続けます。
 パウロは自分がキリスト者を迫害した事や、旧約聖書は主イエスキリストの預言が記されている事、また復活の主がパウロに臨み180度変えられた事など、延々と話し続けたのでしょう。とうとう夜が明けパウロ達は出発しました。話を聞いた人々は何とも言えない満足感に覆われていた事でしょう。さらに命が途絶えたユテコは生き返り、一同は大いに慰められたのです。

 パウロは与えられたその日その時を大切に思い、出来る限りの伝道を行っていたのです。また私たちの大先輩である内村鑑三は自ら主筆となった『聖書之研究』誌に「一日一生」という 公開日記を連載し、その死の直前まで続けました。今私たちには何が出来るのか?神様から与えられ計画された時に感謝し、主を証できるなら何と幸いな事でしょうね。


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[USA]7月4日は独立記念日ですね

2007年07月04日 | その他
7月4日の今日、アメリカ合衆国の独立記念日ですね。
1999年から数年間、アメリカには何度か行き、数回独立記念日を現地で過ごした事を思い出します。

記念日には、街々の教会へ人々が挙って訪れていました。いつまでも平和を祈る記念日として世界をリードして頂きたいと思います。


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[異邦人の救い]キリスト教礼拝メッセージ要約

2007年07月02日 | メッセージ
7月1日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[ピリポの伝道]メッセージ要約をアップいたします。
聖書:使徒行伝11章4~18節
抜粋:11:18 人々はこれを聞いて黙ってしまった。それから神をさんびして、「それでは神は、異邦人にも命にいたる悔改めをお与えになったのだ」と言った。

<要約>
 ペテロがヨッパの町で祈りの中、「それらをほふって食べなさい」という神の声を3度聞きますが、ペテロは「清くないものを食べる事はできません」と3度拒否してしまいます。3度同じ事を否定する、聖書のどこかにありましたね。そうです、主イエスが十字架にかかられようとするその時、ペテロは3度、主を知らない!と語っています。人間は弱く、また頑なな心を持っているのです。そして神はペテロに「神が清めたものを清くないと言ってはならない。」と答えられています。
 次に、コルネリオという献身者の事が記されています。ペテロを家に招きなさいと御使いが語り、コルネリオはその通りにすると、聖霊がくだり満たされました。その体験をしたのは、ペテロを含め7名。一人の思い違いなどでなく、そこにいた7名が聖霊に満たされた事がこの記事から読みとれます。その事を知った律法を重んじる者達が、ユダヤ人以外と食事をするとは何事だ!とクレームを出します。自分達は神から選ばれた特別な者だから、汚れた異邦人と食事をともにする事などあってはならないと主張するのです。
 神の御心はどうでしょう?
ペテロに示された食事も、異邦人であるコルネリオも、神によって清くされているのです。全ての人が救いを受ける事ができるようになさっておられるのです。
 私たちのまわりには、「あの人」は気に入らないな。と思う人もいるでしょう。しかし神は偏り見られる事はされません。そして勘違いしてはならないのは、「あの人」とは今頭に浮かんだ人ではなく、「あなた自身」の事だという事に気付かなくてはなりません。私たちは、人の悪い所は良く見え、自分のいたらなさは見えないのです。
 神は救いに預かる人を限定されません。それは私たちアジアに住む日本人にとっても大きな福音なのです。


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