倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

祈りを必要としています!

2005年05月30日 | 祈り
クリスチャンの皆様!

私の集う日本ホーリネス教団、東京聖書学院元院長の小林和夫先生が29日礼拝中、脳溢血のため倒れられ現在ICUにおいて治療を受けられています。
意識の有無など詳細はこれ以上解りませんが、ぜひ共にお祈り頂きたいのです。

「信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。(ヤコブ5:15)」

全能の父なる神様、御名をあがめ讃美いたします。
僕の小林和夫師が倒れられました。完全な癒しをもって立ち上がる事ができますように・・・
御心のままになりますように・・・
主イエスキリストの御名によって祈ります。

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続:新しく生まれ変わる(コリント人へ第二の手紙より)

2005年05月29日 | メッセージ
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聖書:コリント人へ第二の手紙5章16~19節
「5:16 それだから、わたしたちは今後、だれをも肉によって知ることはすまい。かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい。5:17 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。5:18 しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。5:19 すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。」

先週に引き続き「新生」について学びます。
「新生」・・・罪を悔い改めて、イエス・キリストの十字架と復活を信じ、新しく生まれ変わること。

新生について[過去][現在][未来]で学びます。
[過去]
5:17は全ての時空を越えて私達を生まれ変わらせてくださる御言葉です。「造られる」とは神が創造された事なのです。過去の創造について以下2箇所を参照します。
・創世記1:1-4「はじめに神は天と地とを創造された。1:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。1:3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。1:4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。」
・創世記2:4-7「2:4 これが天地創造の由来である。主なる神が地と天とを造られた時、2:5 地にはまだ野の木もなく、また野の草もはえていなかった。主なる神が地に雨を降らせず、また土を耕す人もなかったからである。2:6 しかし地から泉がわきあがって土の全面を潤していた。2:7 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。」
神が天地、人を創造された事が記されています。
[現在]
・エゼキエル37:1-14
枯れてしまった人間の姿、すなわち全ての希望を失った姿が記されています。朽ちて土に帰るしかない者に、神はエゼキエルに望み預言をさせています。すると骨が集まり生き返り、強い軍隊として新生したのです。
[未来]
・ヨハネ黙示録21:1「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。」
先の天地(過去・現在)は消え去り、新たな天地が創造されるのです。
神の言葉・息により天地、人は創造されました。この言葉は今聞く事ができるのです。そう教会がその聖なる宮なのです。
キリストは全ての人のため死んでくださいました。そのキリストのために生きる。これこそが「新生」なのです。
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新しく生まれ変わる(新生の福音1)

2005年05月23日 | メッセージ
ヨハネによる福音書3章1~16節から、「新しく生まれ変わる」事について見て行きます。

聖書から抜粋
3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
3:4 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。
3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

「新生」・・・罪を悔い改めて、イエス・キリストの十字架と復活を信じ、新しく生まれ変わること。

今週からホーリネスの「四重の福音」について見てまいります。最初は「新生」を紐解いてまいます。

3:3に、主イエスはパリサイの教師でもあるニコデモに「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」とのべられています。ニコデモは賢者で知識も多く持っていたことでしょう。それが「神の国」を遠ざけているのです。
主イエスが「新生」を語られたのは肉的な誕生ではなく、霊的な誕生の事です。2時限的な、「ここから(今この時から)」心をかえるとかではなく、時を超えた垂直の神との関係が生まれる事なのです。
私たちは神に似たものとして創られましたが、その主なる神をあがめ認めようとしない人々も多く存在しています。
それではどうすれば良いのでしょうか?霊による誕生は全く神から与えられるものです。自分の力で勝ち取るものではなく、ただただ「受け入れる」ことなのです。サタンによる知識の妨害で受け入れを拒否してはなりません。

「新生」以下3つの観点から見ていきます。
(1)天の父からの新生
3:16に、天の父がどれほど私たちを愛してくださっているかが記されています。これが父なる神の御心なのですが、罪に犯されている人間は神を覚えず、恐れを抱きません。何ということでしょう。ただただ滅びの道を行く事になりますが、父なる神の御心ではありません。
(2)主イエスによる新生
3:14に、人の子(主イエス)が上げられなければならない。と記されています。(民数記21ではモーセが荒野でヘビを上げられ、神の怒りから救われた。)「そんな事で救われるものか!」と疑った者は滅び、受け入れた者は救われたのです。
(3)聖霊による新生
3:7-8に、霊から生まれる者が記されています。聖霊を風にたとえられ、どこから来てどこへ行くか誰もしらないと言われています。もっともな事です。知識ある人は目に見えないものを認めようとしない傾向があります。それはまったく的外れ(これこそ罪)なのです。
霊が風と違う点は、信じるものに降りてくださる事です。ペンテコステは200年前の歴史上の出来事ではなく、今も後も起こっているのです。
私たち罪人に、天の父・主なるイエス・聖霊の神が望み語ってくださっています。ただただ受け入れてください。信じてください。必ずそこに「新生」があります。

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家族が救われますように・・・

2005年05月09日 | メッセージ
5月8日調布キリスト教会の主日メッセージ「同胞の救いのために」(ローマ9:1-5)の要約です。

聖書:9:1 わたしはキリストにあって真実を語る。偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって、わたしにこうあかしをしている。9:2 すなわち、わたしに大きな悲しみがあり、わたしの心に絶えざる痛みがある。9:3 実際、わたしの兄弟、肉による同族のためなら、わたしのこの身がのろわれて、キリストから離されてもいとわない。9:4 彼らはイスラエル人であって、子たる身分を授けられることも、栄光も、もろもろの契約も、律法を授けられることも、礼拝も、数々の約束も彼らのもの、9:5 また父祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストもまた彼らから出られたのである。万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。

要約:
パウロは同胞(イスラエル人)の救いについて心痛めていますが、私たちに何を伝えたかったのでしょうか?
パウロは同胞に「律法で人は救われない!救いは主イエス以外にないのだ!」と解き続けています。その答えとしてイスラエル人から何回も何回も迫害を受け続けたのです。
パウロの伝道で皮肉な事に、遠くの人々(私たち異邦人を含む)には理解され、同じ境遇で育った人々には受け入れられなかったのです。
初代イスラエルの指導者モーセはどうだったでしょう?出エジプト32:31-32に同胞の偶像礼拝に心を痛めているモーセが登場しています。ここでは金の像ですが、現在の私たちは、仕事・金・趣味などの偶像を礼拝していませんか?時間はミレニアム単位で違いますが、モーセの時代もパウロの時代も今の私たちと同じなのです。
パウロはこのままでは同胞が滅びる事を十分知り、私をのろってでも民を救って下さいと祈るのです。キリストはその全ての罪人を救われるため、十字架にかかられたのです。
先輩クリスチャンのジョンウェスレーや中田重治の思いは、同胞が一人も滅びる事のないよう祈り行動したのです。聖霊なる神が私たちの行動、祈り、思いの先に働かれ導いてくださっています。祈り求める時、聖霊がのぞんでくださり、祈る小さな者に触れてくださっているのです。
私たちの身近な同胞、すなわち家族・職場の同僚・友人などの大切な方々が滅びの道を歩まないためにも聖霊に満たされ、触れて頂き救いのために祈って行こうではありませんか。
次週はペンテコステです。聖霊の神と身近に触れてください。


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勝ち得て余りあり!

2005年05月02日 | メッセージ
5月1日の調布キリスト教会礼拝メッセージ要約「勝ち得て余りあり」(ローマ人への手紙8章31~39節)の要約です。

ローマ人への手紙8章はちょうどこの手紙の半分で、区切りの章でもあります。特に8章は、これ以上主イエス・キリストを讃える事はないほど讃えている箇所です。
ローマ1:17には「信仰による義人は生きる」と、この手紙の要約が記されています。(ハバクク2:4にも同様の記事が記されています。)
ローマ1:18には、前節とは逆に信仰に生きない者に対し、神の怒りがどのようになるのか啓示されています。
この箇所に話を戻しますが、8:31からはヨハネ16:33「わたしはすでに世に勝っている」の言葉を受け、主イエスに対し讃美とも言ってよいほどの表現がされています。

またこの箇所には4つ「だれが」と記されています。それを順に確認してみます。
①8:31「だれがわたしたちに敵し得ようか」
死に勝たれた主イエスに適する者などいない事。
②8:33「だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか」
パウロは何度となくユダヤ人から訴えられましたが、神はパウロを義とされました。すべて主イエス・キリストの恵みなのです。
③8:34「だれが、わたしたちを罪に定めるのか」
全く罪の無いイエスがポンテオピラトにより結果的に有罪とされてしまいました。しかし私たちは罪を告白する事により、原罪からをも罪から解放してくださっています。
④8:35「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか」
患難や苦悩など、理由はありますが結論は、キリストの愛から離れることは永遠の滅びを招く事となります。
さまざまな滅びに導く要因が私たちを襲って来ます。しかし何も心配する事はありません。全てを主に依り頼んでください。主は既に死に勝ってくださり、その主がいつも私たちと共にいて下さっているのです。

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