ヨハネによる福音書3章1~16節から、「新しく生まれ変わる」事について見て行きます。
聖書から抜粋
3:3 イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。
3:4 ニコデモは言った、「人は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。
3:16 神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
「新生」・・・罪を悔い改めて、イエス・キリストの十字架と復活を信じ、新しく生まれ変わること。
今週からホーリネスの「四重の福音」について見てまいります。最初は「新生」を紐解いてまいます。
3:3に、主イエスはパリサイの教師でもあるニコデモに「だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」とのべられています。ニコデモは賢者で知識も多く持っていたことでしょう。それが「神の国」を遠ざけているのです。
主イエスが「新生」を語られたのは肉的な誕生ではなく、霊的な誕生の事です。2時限的な、「ここから(今この時から)」心をかえるとかではなく、時を超えた垂直の神との関係が生まれる事なのです。
私たちは神に似たものとして創られましたが、その主なる神をあがめ認めようとしない人々も多く存在しています。
それではどうすれば良いのでしょうか?霊による誕生は全く神から与えられるものです。自分の力で勝ち取るものではなく、ただただ「受け入れる」ことなのです。サタンによる知識の妨害で受け入れを拒否してはなりません。
「新生」以下3つの観点から見ていきます。
(1)天の父からの新生
3:16に、天の父がどれほど私たちを愛してくださっているかが記されています。これが父なる神の御心なのですが、罪に犯されている人間は神を覚えず、恐れを抱きません。何ということでしょう。ただただ滅びの道を行く事になりますが、父なる神の御心ではありません。
(2)主イエスによる新生
3:14に、人の子(主イエス)が上げられなければならない。と記されています。(民数記21ではモーセが荒野でヘビを上げられ、神の怒りから救われた。)「そんな事で救われるものか!」と疑った者は滅び、受け入れた者は救われたのです。
(3)聖霊による新生
3:7-8に、霊から生まれる者が記されています。聖霊を風にたとえられ、どこから来てどこへ行くか誰もしらないと言われています。もっともな事です。知識ある人は目に見えないものを認めようとしない傾向があります。それはまったく的外れ(これこそ罪)なのです。
霊が風と違う点は、信じるものに降りてくださる事です。ペンテコステは200年前の歴史上の出来事ではなく、今も後も起こっているのです。
私たち罪人に、天の父・主なるイエス・聖霊の神が望み語ってくださっています。ただただ受け入れてください。信じてください。必ずそこに「新生」があります。
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