2012年9月30日、倉敷ホーリネスチャーチ主日礼拝のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ルカによる福音書12章1~7節
抜粋:5:恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。
<要約>
主の御名を賛美します。
「偽善に気をつけなさい」と。「偽善」は「演技」という意味ですから、俳優のように演技する姿です。
なぜ、偽善の振る舞いをするのでしょうか。ひとつに「恐れる心」が、生じてきた時でしょう。人との関係において、自分に対しても恐れます。それは自分に危険が、臨むと思った時です。
そして、最大の危険はイエスの譬えによって語られました。5羽の雀が2アサリオンで売られている、その1羽も忘れられていない。マタイでは2羽の雀が1アサリオンですから、1羽はおまけであり、値段にならないものです。すなわち数にならない、価値のない、忘れられても良いものでしょう。もし「わたし」が、そのように扱われたらどうでしょう。
イエスの弟子であったペテロが、「…あの仲間のひとりだ」といわれた時、「わたしは知らない」と演技し、俳優です。イエスのように、侮られ鞭打たれ、Ⅰ羽の雀のように扱われ捨てられる、それには耐えられない。恐れは「神」と「わたし」の間に、「人」を入れてしまうところに起きてきます。
イエスは「恐れるな」と。それは、…の間に「人」ではなく、「主イエス」を入れるのです。人が害を加えても、それは体のところまでです。それ以上はできません。神は、生かすことにも滅ぼすことにも「権威」をもっています。最も恐れるべき方は、私に変わって、十字架にかかり、身代わりとなって殺された主ご自身です。
また、イエスはこの一羽のために命を捨てられました。それほど大きい、価値のある私たちなのです。イエスを心に覚える時、それを確認いたします。
けれども、「恐れなさい」とも語ります。すべてに権威をもっておられる神に、あたかもⅠ羽の雀のように、何の意味も、価値もないと受けとめる人に対してです。…の間に、「自分」を入れるところに起きてきます。人の前には俳優の業も効果があるでしょうが、神の前には通じません。
Ustream礼拝サイト
http://www.ustream.tv/channel/holiness
倉敷ホーリネスチャーチへ
キリスト教情報・テケテケのキリスト教サイトへ
聖書:ルカによる福音書12章1~7節
抜粋:5:恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。
<要約>
主の御名を賛美します。
「偽善に気をつけなさい」と。「偽善」は「演技」という意味ですから、俳優のように演技する姿です。
なぜ、偽善の振る舞いをするのでしょうか。ひとつに「恐れる心」が、生じてきた時でしょう。人との関係において、自分に対しても恐れます。それは自分に危険が、臨むと思った時です。
そして、最大の危険はイエスの譬えによって語られました。5羽の雀が2アサリオンで売られている、その1羽も忘れられていない。マタイでは2羽の雀が1アサリオンですから、1羽はおまけであり、値段にならないものです。すなわち数にならない、価値のない、忘れられても良いものでしょう。もし「わたし」が、そのように扱われたらどうでしょう。
イエスの弟子であったペテロが、「…あの仲間のひとりだ」といわれた時、「わたしは知らない」と演技し、俳優です。イエスのように、侮られ鞭打たれ、Ⅰ羽の雀のように扱われ捨てられる、それには耐えられない。恐れは「神」と「わたし」の間に、「人」を入れてしまうところに起きてきます。
イエスは「恐れるな」と。それは、…の間に「人」ではなく、「主イエス」を入れるのです。人が害を加えても、それは体のところまでです。それ以上はできません。神は、生かすことにも滅ぼすことにも「権威」をもっています。最も恐れるべき方は、私に変わって、十字架にかかり、身代わりとなって殺された主ご自身です。
また、イエスはこの一羽のために命を捨てられました。それほど大きい、価値のある私たちなのです。イエスを心に覚える時、それを確認いたします。
けれども、「恐れなさい」とも語ります。すべてに権威をもっておられる神に、あたかもⅠ羽の雀のように、何の意味も、価値もないと受けとめる人に対してです。…の間に、「自分」を入れるところに起きてきます。人の前には俳優の業も効果があるでしょうが、神の前には通じません。
Ustream礼拝サイト
http://www.ustream.tv/channel/holiness
倉敷ホーリネスチャーチへ
キリスト教情報・テケテケのキリスト教サイトへ