倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

[神はあきらめない]キリスト教礼拝メッセージ要約

2009年10月25日 | メッセージ
2009年10月25日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[神はあきらめない]のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ローマ人への手紙11章1~12節
抜粋:2:神は、あらかじめ知っておられたその民を、捨てることはされなかった。聖書がエリヤについてなんと言っているか、あなたがたは知らないのか。すなわち、彼はイスラエルを神に訴えてこう言った。

<要約>
神に反発を続けるイスラエルの民を、神は見捨てられたのか?
パウロは同胞が救われるよう心から願っていました。神はいつまでも神に背くイスラエル民族をどのように見られておられるのでしょうか?

(1)あらかじめ知っておられた神
イスラエルの民が、どういう行動をとるか、どう反発するか、事が起こる前から神は知っておられました。キリスト者に迫害を続けるパウロ(サウロ)でさえ、捨てる事をされず用いられました。私たちも神は捨て去る事など考えられてはいないのです。さらに神は、私たちが生まれるずっと前、天地が創造される前から知っておられたのです。

(2)あらかじめ残しておられた神
当時異教であり、邪教であったバアル信仰。しかしそのバアルを信じないで、本当の神を求める者を残されました。残された(備えられた)者とは・・・
①眠らない心、見える目、聞こえる耳
を備えている者でした。キリストを信じる私たち、数は少ないですが、神により聖別され備えられた一人なのです。

聖書に、ある百卒長が主イエスに「お言葉をください」と語っている場面が記されています。この百卒長こそ、眠らない心を持ち、見える目、聞こえる耳で主に臨み、選ばれた者だったのです。

神の恵みにより、備えられた人がいます。それは今主と触れあっている『あなた』です。バアルにひざをまげなかった七千人。そして今、その一人があなたです。
日本のクリスチャン人口はわずか1パーセント。しかし自信を持ってください。神により選ばれ備えられているのが私たちなのですから。神はどんなに少ない人数でも決してあきらめる事などされません。さらに数は、神にとっては無意味なのです。どんなに少なくても、神はその時その時に応じた者を備えられ、ご計画のままになさいます。
立派だから、まじめだから神から選ばれているのではなく、神によって眠らない心、見える目、聞こえる耳が用意されているのです。すべてのご準備、恵みに感謝いたします。


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[神のみ業の伸展26]キリスト教礼拝メッセージ要約

2009年10月18日 | メッセージ
2009年10月18日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[神のみ業の伸展26] ~パウロのあかし~ のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:使途行伝22章6~21節
抜粋:1:「兄弟たち、父たちよ、いま申し上げるわたしの弁明を聞いていただきたい」。


<要約>
パウロの弁明の箇所です。キリスト者を迫害し続けていたパウロにいったい何があったのでしょう?

(1)パウロの回心
22:1にパウロが誰に証したかったか記されています。兄弟たち、父たち、そして同胞が救いに至るため語っています。
パウロはまず、生い立ちを語ります。エルサレム生まれでラビの子、律法に忠実に生きていた事を離します。律法に忠実だったあまり、キリストの教えを異端と判断し、男であれ女であれ捕らえ、獄に入れていました。
そしてキリストの弟子を捕らえ迫害するためダマスコに向かっていたその時、天から光がめぐり、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』とパウロに語ります。イエス様からの声だったのです。パウロは目が見えなくなりました。主イエスに『私は何をしたらよいですか?』とたずねるパウロに主は『アナニヤ(主が恵み深いとの意)の所に行きなさい』と指示されます。
アナニヤは、『兄弟サウロよ、見えるようになりなさい』と言うとパウロの目からウロコのようなものが落ち見えるようになりました。パウロが見聞きした事について、すべての人に対して、彼の証人になるためご計画されたものだったのです。

(2)パウロへの神の召命
祈りの中、夢うつつになったその時、神がパウロに召命を伝えます。邪教、異端と思っていたキリストの教え。ステパノ殉教の際も同席し賛成したパウロ。しかし主はそのパウロに、『行きなさい。わたしが、あなたを遠く異邦の民へつかわすのだ』と命をくだされました。

(3)パウロへの神の保護
捕らわれの身となるパウロでしたが、彼はローマ市民で安全にローマへ運ばれる事となります。捕らわれているからこそ安全だったのです。神の手の内で守られ続けるパウロでした。

パウロが受けた強烈な召命でないにしても、私たち一人ひとりも応じた召命を頂いています。今生きているその場所でキリストを証し、地の塩、世の光として述べ伝える事がそうかも知れません。

パウロは目が開かれ、神の前に立ったのです。さて、あなたは今、どこに立っていますか?


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[神のみ業の伸展25]キリスト教礼拝メッセージ要約

2009年10月11日 | メッセージ
2009年10月11日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[神のみ業の伸展25] ~神のみ手の中で~ のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:使途行伝21章27~36節
抜粋:32:そこで、彼はさっそく、兵卒や百卒長たちを率いて、その場に駆けつけた。人々は千卒長や兵卒たちを見て、パウロを打ちたたくのをやめた。


<要約>
神のみ業の伸展も25回目となりました。場面は引き続きパウロの第三次伝道旅行で場所はエルサレムです。
ここで牧会を続けるヤコブの所へ行き、パウロ達は暖かく迎えられました。
エルサレム市内でパウロは異邦人に支持されていましたが、それを良く思わない人々によって、不利な噂を流されました。噂をはらすために聖めの説教を行うパウロ。しかし騒ぎが大きくなりパウロは捕らえられ宮の外に連れ出されてしまいます。神のみ心とはいったい何だったのでしょうか?

(1)誤解の中での危機
聖めの七日間が終わろうとしているその『時』、聖なる宮にギリシャ人を連れ込んだと誤解されるパウロ。真実でない事で宮の外へ連れ出され群衆に取り囲まれ暴行を受けてしまうのです。

(2)神のみ手の中での保護
噂を流した者達に殺されようとしていたその『時』、その話が町を守る守護隊(神を信じていない人々)に届きます。その隊を率い(六千人ほど)る千卒長がかけつけます。パウロに暴行を続ける人々でしたら、その隊を見て打ちつけるのをやめました。それによりパウロは命を救われる事となるのです。
人々は主イエスを十字架にかけた時のように、「やっつけろ!」と叫び続けますが、神のみ業、ご計画のまま進み、守られる事となりました。

神の『時』、それは今かも、また後の時かも解りませんが、私たちは信じる信仰の中、神のみ手の中、ご計画の中に生かされています。パウロのように劇的でなくても、いつもあなたと共にいて下さっているのです。
後にパウロはローマへと向かいますが、安全にローマへ入るために、この出来事がなければ行く事が出来なかったのです。
今は、「神様、なぜこんな試練をお与えになるのですか?」と思うような事がありますが、丸ごと主に委ねる時、すでにあなたは神のみ手の中にあるのです。今週も主なる神と共に歩む事が出来ますように。


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[福音を宣べ伝える麗しさ]キリスト教礼拝メッセージ要約

2009年10月04日 | メッセージ
2009年10月4日、倉敷ホーリネスチャーチ主日メッセージ要約[福音を宣べ伝える麗しさ(うるわしさ)]のメッセージ要約をアップいたします。
聖書:ローマ人への手紙10章14~21節
抜粋:15:つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。

<要約>
心を開き、神と応答する時、ロゴスは初めてあなたの言葉、レーマとなります。そして自らの口でイエスは主と告白する事が出来るなら幸いです。主は、呼び求める者が起こされ知らない人に伝える事を望んでおられると思います。
さて、この箇所から3つのキーワードで聖書を見てまいります。

(1)足 10:15つかわされなくては、どうして宣べ伝えることがあろうか。「ああ、麗しいかな、良きおとずれを告げる者の足は」と書いてあるとおりである。
一人ひとりが良き訪れ(福音)を告げる足です。そして宣べ伝える者は麗しいと言ってくださるのです。
戦後、福音十字軍により教会が多く誕生しました。福音を伝える足として用いられ現在に至っています。私が集う倉敷ホーリネスチャーチは福音十字軍によるものではありませんが、福音は時代を超え受け継がれ、私たちの教会が誕生したのです。
主イエスは最後の食事の前、弟子たちの足を洗われました。福音を伝える足を洗われ、そして今、私たちの足をも洗ってくださっているのです。

(2)声 10:18しかしわたしは言う、彼らには聞えなかったのであろうか。否、むしろ/「その声は全地にひびきわたり、/その言葉は世界のはてにまで及んだ」。
福音を聞いた事がないのに信じる事はできません。福音は教会から発せられています。御言葉を聞く事の重要さ、そして聞いた者により全世界へと宣べ伝えられ、響きわたっています。キリストの言葉はあなたのレーマ、あなたへの特別な言葉です。主なる神は言われます(イザヤ65)。あなたは私のもの、どんな時も共にいる。そしてあなたは高価で尊い。と・・・

(3)手 10:21そして、イスラエルについては、/「わたしは服従せずに反抗する民に、/終日わたしの手をさし伸べていた」/と言っている。
十字架にくぎで打たれた主イエスの手。その手が今、私たちに差し伸べられています。反抗し続けたイスラエルの民でさえ手を差し伸べておられる主。まして私たちに手を差し伸べられない事などありません。

いつもどこでも、足を運ばれ、声をかけて下さり、手を伸べられる主イエス。どんな人でも例外はありません。キリストにより私たちの罪は既に取り去られています。ぜひ主イエスの声を聞く耳をもって受けてくださますように。
何も特別な準備など必要ありません。ただ御声を聞き、信じ、自分のものとする。ただそれだけです。
主の言葉があなたのレーマとなり、すべてを主に委ね従う事ができますように・・・


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