倉敷ホーリネスチャーチ

聖書のみ言葉、キリスト教のメッセージ、また旅情報など、テケテケが伝えしています(日本ホーリネス教団)。

【聖書】マルコによる福音書12章13~17節 【説教】「神のものとされている私たち」 2024/9/1 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年09月01日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書12章13~17節
【説教】「神のものとされている私たち」

中心聖句
17: するとイエスは言われた、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。彼らはイエスに驚嘆した。

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第12 章13~17 節
するとイエスは言われた、「カイザルのものはカイザルに、神 のものは神に返しなさい」。彼らはイエスに驚嘆した。(12:17)

 パリサイ人とヘロデ党という考えの異なる人たちが一緒にイ エスさまのところにやって来ます。そして、ローマ皇帝に税金 を納めて良いのか、いけないのかと彼らは質問したのでした。 この質問へのイエスさまの答えが 12 章 17 節です。

 イエスさまは、パリサイ人やヘロデ党の人たちに対して 2 つ のことを答えておられます。まず、「カイザルのものはカイザル に」とあるように、社会の仕組みとしてある税金は返しなさいと 答えられています。次に、「神のものは神に返しなさい」と誰も が神さまのご支配の中にあることを答えておられます。

 では私たちにとって、どんなことが「神のものは神に返す」こ とになるのでしょうか。それは、私たちが、神さまに喜ばれる信 仰生活をおくることです。なぜならイエス・キリストを救い主と信 じ受け入れた時から、私たちは神さまのものだからです。

 私たちは礼拝出席を重んじ、その日にいただいたみ言葉 によって活かされ、いつも新しい気持ちで神さまにお従いして まいりましょう。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ

【聖書】マルコによる福音書12章1~12節 【説教】「かしら石となられた主イエス」 2024/8/25 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年08月25日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書12章1~12節
【説教】「かしら石となられた主イエス」

中心聖句
10: あなたがたは、この聖書の句を読んだことがないのか。『家造りらの捨てた石が/隅のかしら石になった。

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第12 章1~12 節
「家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主がな されたことで、わたしたちの目には不思議に見える」。(12:10, 11)

 マルコによる福音書 12 章 1~12 節において、イエスさまは 譬えを通して祭司長たち、律法学者たち、長老たちに語って おられます。

 ぶどう園の主人が派遣した僕というのは、旧約聖書に書かれ ている預言者たちのことを指しています。神さまは預言者たち を次々と派遣して、イスラエルの民に悔い改めを求めたのに、 彼らは拒否しました。そこで最後に、神さまは独り子であるイ エスさまをイスラエルに遣わしますが、当時の為政者たちの策 略によってイエスさまは十字架に架けられることになります。け れども、神さまは私たちを罪から救うために、イエスさまをよみ がえらせてくださいました。

 イエスさまを信じない人たちからすれば、イエスさまは役に 立たない「家づくりの捨てた石」かもしれません。けれどもイエ スさまを信じる私たちにとって、イエスさまは「かしら石」として 私たちといつも共におられるのです。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ

【聖書】マルコによる福音書11章27~33節 【説教】「主イエスの権威に従う」 2024/8/18 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年08月18日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書11章27~33節
【説教】「主イエスの権威に従う」

中心聖句
29: そこで、イエスは彼らに言われた、「一つだけ尋ねよう。それに答えてほしい。そうしたら、何の権威によって、わたしがこれらの事をするのか、あなたがたに言おう

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第11 章27~33 節
「ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであった か、答えなさい」。(11:30)

 イエスさまは宮きよめ(11:15~18)をなさった後、再びエル サレムに戻って来られました。そこへ祭司長たち、律法学者た ち、長老たちがやって来てイエスさまに「何の権威によってこ れらの事をするのですか。だれが、そうする権威を授けたので すか。」(11:28)と質問します。彼らは当時の議会の構成員で あったので、イエスさまが登場したことによって、自分たちの権 威が弱まることを恐れたのです。イエスさまはこの質問に対し 「ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであった か、答えなさい。」(11:30)と質問します。けれども彼らは「わか りません」(11:33)と答えるしかありませんでした。天から、人か ら、どちらで答えたとしても自分たちより権威ある存在を認める ことになってしまうからです。

 イエスさまはこの時から、さらに十字架への道が近づいてい くことになりますが、逃げることはなさいませんでした。イエスさ まは私たちの罪の身代わりとして十字架に架かってくださった のです。

  私たちは、真の救い主であるイエスさまの権威にお従いし続 けてまりましょう。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ

【聖書】マルコによる福音書11章12~26節 【説教】「主イエスの教える祈り」 2024/8/11 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年08月11日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書11章12~26節
【説教】「主イエスの教える祈り」

中心聖句
23:マルコによる福音書/ 11章 23節 よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第11 章12~26 節
「・・・なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じな さい。そうすれば、そのとおりになるであろう。」(11:24)

 マルコによる福音書 11 章 15~18 節は、主イエスの宮きよめ として知られているところです。エルサレムの「宮」(聖書協会 共同訳聖書では「神殿」)には、巡礼のために各地から大勢の 人が集まっていました。巡礼する際、犠牲として動物をささ げ、ユダヤの通貨で税金をおさめなければなりません。その ため、神殿には動物の商売人や両替商がいました。それをご 覧になられたイエスさまは、彼らを追い出され「わたしの家は、 すべての国民の祈の家ととなえらるべきである・・・。」(11:17) と教えられました。神殿が「祈の家」ではなく、商売の場所に変 わってしまったことを厳しく批判されたのです。

 この出来事後に続く、20~26 節でもイエスさまは祈りに関し て教えておられます。「なんでも祈り求めることは、すでにかな えられたと信じなさい」(11:24)、「立って祈る時・・・何か恨み 事があるならば、ゆるしてやりなさい。」(11:25)、この 2つの教 えから分かるように、私たちは祈りを通して神さまと正しい関係 で結ばれるのです。ですから、私たちはどんなに忙しくとも、 祈る場所と祈る時間を確保いたしましょう。そして、神さまとの 交わりを継続しましょう。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ

【聖書】マルコによる福音書11章1~11節 【説教】「エルサレムに入られる主イエス」 2024/8/4 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年08月04日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書11章1~11節
【説教】「エルサレムに入られる主イエス」

中心聖句
9:そして、前に行く者も、あとに従う者も共に叫びつづけた、/「ホサナ、/主の御名によってきたる者に、祝福あれ。

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第11 章1~11 節
「・・・主がお入り用なのです。またすぐ、ここへ返してください ますと、言いなさい。」(11:3)

  イエスさまはふたりの弟子に、ろばをひいてくるよう命じられ ました。弟子たちがイエスさまに命じられた通りにろばをひい てくると、イエスさまはそのろばに乗ってエルサレムに入られ たのでした。世の中の権力者や王であれば、馬に乗って、 人々を圧倒させたことでしょう。けれどもイエスさまはそのよう なことをなさいませんでした。

 イエスさまは旧約聖書ゼカリヤ書 9 章 9 節で預言されている通り、柔和な王としてエルサレムに 入られたのです。そして、十字架に架かられる道を進まれた のでした。 イエスさまがエルサレムに入るのに、ろばを必要とされたよう に、私たちもまたイエスさまから必要とされています。そして、 イエスさまは私たちを通して福音が広められることを願ってお られます。

 「主がお入りようなのです」と私たちも招かれていることを覚 え、新しい一週間もイエスさまにお従いし、イエスさまをお伝え してまいりましょう。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ

【聖書】マルコによる福音書10章46~52節 【説教】「主イエスの名を呼ぶ事のできる幸せ」 2024/7/28 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年07月28日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書10章46~52節
【説教】「主イエスの名を呼ぶ事のできる幸せ」

中心聖句
48: 多くの人々は彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」。

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第10 章46~52 節
そこでイエスは言われた、「行け、あなたの信仰があなたを 救った」。すると彼は、たちまち見えるようになり、イエスに従っ て行った。(10:52)

 バルテマイという名の盲人が、物乞いをして生活をしていま した。バルテマイはイエスさまが近くに来ておられることを知 り、「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」(10: 47)と叫びます。すると多くの人によって、バルテマイの行為 は遮られようとしますが、バルテマイはあきらめませんでした。 バルテマイは「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでくださ い」(10:48)と再び叫びます。このバルテマイの叫びを聞き、イ エスさまは彼を近くにお呼びになりました。そして目が見える ようになりたいというバルテマイの願いに対してイエスさまは 「行け、あなたの信仰があなたを救った」(10:52)と癒しの宣言 をされ、バルテマイは見えるようになったのでした。

 バルテマイが「ダビデの子イエス」、「あわれんでください」と 言うことができたように、私たちもまたいつでもイエスさまの御 名を呼び、あわれみを求めることができます。私たちにはイエ スさまの御名を呼ぶことのできる幸いが与えられているので す。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ

【聖書】マルコによる福音書10章35~45節 【説教】「仕えるために来られた主イエス」 2024/7/21 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年07月21日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書10章35~45節
【説教】「仕えるために来られた主イエス」

中心聖句
45: 人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第10 章35~45 節
「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであ り、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためで ある」。(10:45)

 ゼベダイの子のヤコブとその兄弟であるヨハネはイエスさま のもとに願い事があってやって来ました。その願い事とは「栄 光をお受けになるとき、ひとりをあなたの右に、ひとりを左にす わるようにしてください。」(10:37)というものでした。2 人は、や がてイエスさまがお座りになられるであろう王座の右と左に座 りたいという欲望があったのです。イエスさまは 2 人に「わたし の右、左にすわらせることは私のすることではなく・・・」(10: 40)と話されてから、他の弟子たちもお呼びになり、「仕える 人」(10:43)、「すべての人の僕」(10:44)になるようにと教えら れます。そしてイエスさまがこの地上にお生まれになられた目 的は「仕えるため」であり、「多くの人のあがないとして、自分の 命を与えるためである」(10:45)ことを明らかにされたのでし た。

 私たちは「偉い」(10:42)という評価が気になることがありま す。けれどもイエスさまが「そうであってはならない」(10:43)と 教えられたように、イエスさまを模範として、教会の中でも外で も人に仕えることを大切にいたしましょう。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ

【聖書】マルコによる福音書10章23~34節 【説教】「主イエスに従って生きる」 2024/7/14 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年07月14日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書10章23~34節
【説教】「主イエスに従って生きる」

中心聖句
30:必ずその百倍を受ける。すなわち、今この時代では家、兄弟、姉妹、母、子および畑を迫害と共に受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受ける。

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第10 章23~34 節
イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはできないが、神に はできる。神はなんでもできるからである」。(10:27)

  「永遠の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」 (10:17)と、一人の男がイエスさまに質問しました。するとこの 男に対してイエスさまは「持っているものをみな売り払って、貧 しい人々に施しなさい。・・・そして、わたしに従ってきなさい。」 (10:21)と命じます。しかし、彼は自分が蓄えてきた財産を失 いたくなかったので、イエスさまに従えませんでした。

 この出来事があってから、イエスさまは弟子たちに「富んで いる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、 もっとやさしい。」(10:25)と言われました。私たちのもつ常識 から考えるならば、不可能なことです。けれどもイエスさまは弟 子たちに「人にはできないが、神にはできる。神はなんでもで きるからである。」(10:27)と教えられたのです。「永遠の生命」 (10:17,30)を受けること、「神の国」(10:23,24,25)にはいるこ と、これらを可能としてくださるのは神さまだけだからです。

 世界中に、ありとあらゆる神々が祀られています。私たちは 誤った偶像礼拝から世界が救われ、全ての人がイエスさまに 従って「神の国」に入ることができるよう祈りましょう。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ

【聖書】マルコによる福音書10章17~22節 【説教】「永遠の命をいただくために」 2024/7/7 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年07月07日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書10章17~22節
【説教】「永遠の命をいただくために」

中心聖句
21: イエスは彼に目をとめ、いつくしんで言われた、「あなたに足りないことが一つある。帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。 22すると、彼はこの言葉を聞いて、顔を曇らせ、悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第10 章17~22 節
「帰って、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施し なさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。」(10:21)

 一人の男が、イエスさまの所にやって来ます。そして、「永遠 の生命を受けるために、何をしたらよいでしょうか」(10:17)とイ エスさまに質問をします。彼に対しイエスさまは、十戒のうちの 6 つを命じられます。すると彼は「・・・小さい時から守っており ます」(10:20)と答えます。次にイエスさまは彼に対して「帰っ て、持っているものをみな売り払って、貧しい人々に施しなさ い。」(10:21)と命じられます。ところが、彼はこのイエスさまか らの命令に対しては従うことができず、「悲しみながら立ち去っ た」(10:22)のでした。彼はせっかくイエスさまのもとにやって 来ましたが、財産を捨てられなかったので、家に帰るしかなか ったのです。

 私たちが生きている間に、どんなに財産を蓄えたとしても、 それを持って天に行くことはできません。また、財産にこだわり すぎていたのでは、イエスさまについていく妨げになってしま います。

 イエスさまは、私たちが信仰生活を送っていく中で、不必要 なものは捨て去るように私たちに教えておられるのです。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ

【聖書】マルコによる福音書10章1~16節 【説教】「主イエスの祝福を頂く幸い」 2024/6/30 倉敷ホーリネスチャーチ

2024年06月30日 | メッセージ
【聖書】マルコによる福音書10章1~16節
【説教】「主イエスの祝福を頂く幸い」

中心聖句
15: よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。

説教要約
主の御名を讃美いたします。 

マルコによる福音書第10 章1~16 節
「よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受け いれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」 (10:15)

 イエスさまにさわっていただくために、人々は幼な子をイエ スさまのもとにつれて来ました。ところがここで問題が発生しま す。イエスさまの弟子たちは連れて来た人たちのことを叱った のです。おそらく弟子たちは、幼な子が来ることによって、イエ スさまの手を煩わすことのないようにと考えたのでしょう。けれ ども、弟子たちの行動に対しイエスさまは憤られ、15 節のよう にお答えになられたのでした。

 幼な子たちは、イエスさまのもとに連れて来られるのに何の 迷いや疑いも感じていません。このような素直な幼な子たちを 指して、「神の国はこのような者の国」(10:14)だとイエスさまは 教えられたのでした。12 人の弟子たちは、イエスさまのために 良かれと思って行動したのかもしれませんが、本当に大切な ことは何であるのか分かっていなかったのです。

 イエスさまは今も私たちに「だれでも幼な子のように・・・」と語 っておられます。自分の考えや経験によって神さまを推し量る のではなく、素直な気持ちでイエスさまの祝福を受け取り続け ることで、神の国への道が開かれ続けるのです。

 今週も主に感謝する日々を過ごせるなら幸いですね。

テケテケ