映画「ダヴィンチ・コード」が各地で上映となり、「解りづらい」「キリストについて解らない」「マリアって?」など疑問を持たれている方のために基本情報をお届けします。なお以下は歴史的な事実の書物(聖書)に記されている事を基本としています。
(Q1)「最後の晩餐」に隠された「M」?
まず、書かれた時期は今から約500年ほど前。キリスト生誕から1500年以上後です。その間、イエスについてさまざまな想像がなされてきた事でしょう。ダヴィンチなりの解釈想像があの絵を生み出したと言えます。
「M」は「マグダラ」の「マリア」のMとされていますが、当時マリアの名は一般的な名で、少し前の日本の名前、「一郎」「太郎」「花子」「陽子」など特別な名前ではありませんでした。また「イエス」も当時のポピュラーな名前でした。
もし絵の向かって左の人が「マリア」だったとしたら・・・福音書にも登場する「ヨハネ」はどこへ行ってしまったのでしょう?色男と伝えられている「ヨハネ」を誇張して描かれたと考えるのが妥当でしょう。
「最後の晩餐」は1500年以上前の出来事をダヴィンチなりに想像して物語を作ったと考えるほうが的を得ているでしょう。
(Q2)作り替えられた聖書?
325年、当時のカトリック皇帝だった「コンスタンティヌス」により、不都合な福音書(ユダなど)が焼き尽くされたとの想像。あくまで「こうであったのでは・・・?」の仮定から生まれた物語です。
(Q3)イエスがマリアと結婚していた?
まず、2000年伝えられ守ってこられた聖書に、そのような記述は全くありません。キリスト生誕後、さまざまな人がキリストを記述していますが、既に事実ではなく、「こうであったなら・・・」で書かれたと疑うような書物が多いようです。
マリアが高価な香油をイエスの足に塗る場面を「プロポーズ」と解釈したりもしています。どこをどう理解すればそのようになるのか想像さえ出来ません。自分の持っている「全て」を主(神)にささげたマリア、信仰のあらわれだったのです。
また十字架の下にはマグダラの「マリア」以外の「マリア」もいました。そしてその日は「13日の金曜日」と思いこんでいますが、これも誤りで実は「13日の木曜日」が事実です。
(Q4)モナ・リザはいったい誰?
ダヴィンチに聞いてみなくては解りませんが、心の恋人であった「モナリザ・デル・ジョコンド婦人」と見るのが自然でしょう。X線写真で下絵が浮かび上がり、それをキリスト、またダヴィンチ本人と想像する事は出来ますが、いずれも憶測しかないのです。
(Q5)映画を観たジャーナリストはなぜ失笑?
既に記しましたように、ダヴィンチはキリスト生誕から1500年以上前に存在し、彼の想像の元に描かれた事は事実です。残っている文書がないのですから。
日本には約0.8パーセントのクリスチャンしかいませんが、全世界的に見ると総人口の3分の1以上にもなります。そして彼らクリスチャンは伝えられている神の子キリストの事実を疑う余地もなく信じています。その彼らジャーナリストに今まで聞いたことも見たこともない「キリストは結婚していた。しかも子供までいた」など、理解できるはずもありません。今突然、1+1は2ではなく実は3だった。と何の根拠もなく決めるようなものです。誰もそれを信じる事はしませんが。
※この「ダヴィンチ・コード」というフィクションの物語を見る上で
全ての出発は「マリア」と「イエス」が夫婦だったら・・・作者の願望から始まりました。想像、願望からこの作品が生まれたと言わざるを得ないのです。ダヴィンチコードを読まれた皆さんなら、薄い新約聖書を読む事など、簡単な事でしょうね。新約聖書の中の、「福音書」だけ読んで頂いたら、キリスト誕生から十字架までの歩みが理解出来ると思います。主なるイエスキリストは、私たちの自我のため、罪のために十字架にかかられた事を示され理解されると思います。
この映画を通して、キリストに無関心であった人が聖書に興味を持ち、そして聖霊の導きにより自分の罪を認める事ができますように・・・
そして、主を証するものとされますように祈ります。
☆テケテケのキリスト教サイト
(Q1)「最後の晩餐」に隠された「M」?
まず、書かれた時期は今から約500年ほど前。キリスト生誕から1500年以上後です。その間、イエスについてさまざまな想像がなされてきた事でしょう。ダヴィンチなりの解釈想像があの絵を生み出したと言えます。
「M」は「マグダラ」の「マリア」のMとされていますが、当時マリアの名は一般的な名で、少し前の日本の名前、「一郎」「太郎」「花子」「陽子」など特別な名前ではありませんでした。また「イエス」も当時のポピュラーな名前でした。
もし絵の向かって左の人が「マリア」だったとしたら・・・福音書にも登場する「ヨハネ」はどこへ行ってしまったのでしょう?色男と伝えられている「ヨハネ」を誇張して描かれたと考えるのが妥当でしょう。
「最後の晩餐」は1500年以上前の出来事をダヴィンチなりに想像して物語を作ったと考えるほうが的を得ているでしょう。
(Q2)作り替えられた聖書?
325年、当時のカトリック皇帝だった「コンスタンティヌス」により、不都合な福音書(ユダなど)が焼き尽くされたとの想像。あくまで「こうであったのでは・・・?」の仮定から生まれた物語です。
(Q3)イエスがマリアと結婚していた?
まず、2000年伝えられ守ってこられた聖書に、そのような記述は全くありません。キリスト生誕後、さまざまな人がキリストを記述していますが、既に事実ではなく、「こうであったなら・・・」で書かれたと疑うような書物が多いようです。
マリアが高価な香油をイエスの足に塗る場面を「プロポーズ」と解釈したりもしています。どこをどう理解すればそのようになるのか想像さえ出来ません。自分の持っている「全て」を主(神)にささげたマリア、信仰のあらわれだったのです。
また十字架の下にはマグダラの「マリア」以外の「マリア」もいました。そしてその日は「13日の金曜日」と思いこんでいますが、これも誤りで実は「13日の木曜日」が事実です。
(Q4)モナ・リザはいったい誰?
ダヴィンチに聞いてみなくては解りませんが、心の恋人であった「モナリザ・デル・ジョコンド婦人」と見るのが自然でしょう。X線写真で下絵が浮かび上がり、それをキリスト、またダヴィンチ本人と想像する事は出来ますが、いずれも憶測しかないのです。
(Q5)映画を観たジャーナリストはなぜ失笑?
既に記しましたように、ダヴィンチはキリスト生誕から1500年以上前に存在し、彼の想像の元に描かれた事は事実です。残っている文書がないのですから。
日本には約0.8パーセントのクリスチャンしかいませんが、全世界的に見ると総人口の3分の1以上にもなります。そして彼らクリスチャンは伝えられている神の子キリストの事実を疑う余地もなく信じています。その彼らジャーナリストに今まで聞いたことも見たこともない「キリストは結婚していた。しかも子供までいた」など、理解できるはずもありません。今突然、1+1は2ではなく実は3だった。と何の根拠もなく決めるようなものです。誰もそれを信じる事はしませんが。
※この「ダヴィンチ・コード」というフィクションの物語を見る上で
全ての出発は「マリア」と「イエス」が夫婦だったら・・・作者の願望から始まりました。想像、願望からこの作品が生まれたと言わざるを得ないのです。ダヴィンチコードを読まれた皆さんなら、薄い新約聖書を読む事など、簡単な事でしょうね。新約聖書の中の、「福音書」だけ読んで頂いたら、キリスト誕生から十字架までの歩みが理解出来ると思います。主なるイエスキリストは、私たちの自我のため、罪のために十字架にかかられた事を示され理解されると思います。
この映画を通して、キリストに無関心であった人が聖書に興味を持ち、そして聖霊の導きにより自分の罪を認める事ができますように・・・
そして、主を証するものとされますように祈ります。
☆テケテケのキリスト教サイト
コメントありがとうございます。
クリスチャンにすると、自分の父があのように表現されたのですから、内心穏やかではないと思います。が、この映画を通してキリストに触れる機会を作られたのですから感謝です。
teketekeさんの云う通り、今のがんばりの全てを知ってる人がいるならば仕事に遣り甲斐も感じられるんですけどね。苦笑
最近『ダ・ヴィンチ・コード』は映画やらテレビ特番やらいろんなところで話題ですよね。
ミステリアスな世界に私も引き込まれました。
見ている方はいらっしゃいますから、心開いてみてくださいね。
とにかく「映画から歴史、歴史から映画」を実践しよう思っています。
基本情報ありがたいです!