日本近代経済のテイクオフ

2013年06月04日 | 歴史を尋ねる

 封建制下にあった国民にとって、近代経済は全く新規、異質のもので、その企業化には困難と障害、不安を伴った。例えば①近代経済の運営に必要な人材や技術・技能の欠如、②所要資本の不足、③運輸・通信・信用制度の不備、④これまで経験のない事業での無知。こうした諸障害が維新後の努力と経験の積み重ねによって、明治20年前後までに克服され改善されたと高橋亀吉は云う。維新政府主導の下に導入移植された鉄道・汽船・銀行・会社制度等の基礎的構造的設備・機構はその運営に熟知し、国民にその威力を知らしめていた。また、大阪紡績会社、日本鉄道会社、有力な銅山会社、石炭業者の先駆的企業がスタートを切っていた。近代経済に対する国民の認識は高まり、近代企業台頭の基盤条件はようやく整った。さらに重要なことは、他の後進国のような外資依存ではなく、専ら国民の英知と努力によって築かれた自立的発達であったと高橋は云う。

 高橋はさらに分析を進めて、テイクオフを自立的に準備できた基礎要因を次のように述べる。①在来産業による原始資本の供給:廃藩置県・武士秩禄の整理といった財政上の節約による資金の捻出、近代信用制度の導入による資金供給力のアップ。しかし根本は当時の主産業であった農業が生産性を高め、直接間接供給したことにあった。中央財政の歳入中地租の占める割合は、明治10年以前は90%、20年で尚66%、近代的施策は農業の負担力に依存して進められた。また、維新後の経済設備、兵器、学術用品などの巨額な輸入をまかなった輸出の主役は、生糸、茶その他農産品であった。輸出品目中農産品が80%~60%を占めていた。②近代経済の発達に必要な労働力の供給:良質、低廉、豊富な労働力は主として農村より供給された。農村は労働年齢に達するまでの養育、義務教育等を負担しながら、豊富な労働力を供給し続けた。③導入移植された近代産業の本来機能の発揮:鉄道は路線の延長で収益力の発揮、汽船は過度の競争時代を抜け出し拡大路線に転換、銀行・商社・紡績・製糸等の近代企業が収益を上げる段階に入った、石炭・銅・金銀等の鉱業が本格的稼動に入った。以上の企業的成功の実績は、明治14~18年の松方デフレ政策の一巡で政府民間共に積極的行動に転じ、明治19~23年の近代的企業ブームを呼び起こした。

 企業熱は農商工鉱運輸等のあらゆる産業部門にわたったが、特色として鉄道・紡績・鉱業等大資本企業が勃興してブームの中核をなした、さらにその他の分野でも株式会社としてはじめて大量に登場した。土木会社、興業会社、用達会社、物産会社、倉庫会社、航海会社、人造肥料会社、東亜貿易会社、張物会社、織機製造会社、蚕卵紙会社、中央陸運会社、産馬会社、火災予防会社、船渠会社、貨物会社、呉服太物会社、汽船会社、水道会社、陶器会社、ゴム製造会社、染物会社、扇子会社、ガラス製造会社、海産会社、酒類小売会社、板紙製造会社、銅器会社、製茶輸出会社、正米輸出会社、砂糖会社、製糸会社、為替会社、山樹会社、煉化石会社、人足会社、製薬会社、瓦斯会社、麦酒醸造会社、等々快挙に遑あらず。会社創立の風潮極めて盛んにして考えられる会社は殆んど創立し尽して余すとこなしと当時の東京経済雑誌に掲載されている。


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