大日本主義の幻想 2

2015年11月02日 | 歴史を尋ねる
 「大日本主義、日本本土以外に領土もしくは勢力範囲を拡張せんとする政策が、経済上、軍事上、価値なきことを述べたが、なお納得できない人がいるかもしれない。例えば貿易額は僅少でも、そこに内地人が移住して生活している場合もあ。我が国民の神経を尖らせる人口問題の解決に関係があるだけに、この論点を主張する人が多いと思う。しかしこれも事実を明白に見ぬ幻想である。数字を以って示そう。台湾に19万人、朝鮮に34万人、樺太に8万人、関東州を含む全満州に18万人、支那本土に3万人、総計80万人に満たない。これに対し日露戦争から大正7年末までに945万人の人口が我が国で増加した。先に挙げた諸地に内国人が移り住んだとしても、ようやく8%強に過ぎない。しかしその為他方で、有形無形の犠牲をどれ程払っているかを考えると、ほかにまだ進むべき道はあろう。先方に住まえる者は80万人、内地に住む者は6000万人だ。80万人の者のために、6000万人の者の幸福を忘れないが肝要である」 ふーむ、面白い。帝国主義はその国に多くの富をもたらすという前提で主義主張が一般になされるが、日本の帝国主義の中身を数値を以って分析している事例は少ない。つまりヨーロッパ型の植民地を持たない日本型の悩ましい特徴だろう。

 「海外へ、単に人間を多数に送り、それで日本の経済問題、人口問題を解決しようなどと云うことは、間違いである。人間を多数に送るとすれば、いずれ労働力を送ることになる。しかし今日の企業組織では、いずれの国に行こうとも、労働者が受ける所得は知れたものである。大きな儲けを祖国のためにするなどはとても出来ない。・・・資本と技術と企業脳力とだけを持って行って、先方の労働を搾取する、もし海外領土を有することに、大いなる経済的利益があるとするならば、その利益の来る所以は、ただここにある。インドを見ると、英国人はそれほどインドに行っていない。・・・これで英国はインドを領有する意味は十分達せられる」「人間を多数送り出すことが重要でなければ、海外領土又は勢力範囲が与える経済的利益は、貿易の高及び性質で軽量することができる。何となれば、資本の技術と企業脳力とを持って行って、如何なる事業を営もうとも、その結果は必ず貿易の上に現れる。その貿易の数字により、大日本主義に執着する価値なしと前号で述べた所以である。・・・将来大いに発展するかもしれないという人がいるかもしれないが、提出した諸資料を真面目に研究したならば、決して起らない筈だ。・・・
 仮に大日本主義が、日本にとって有利な政策だとしても、今後久しく遂行でき難き政策である。昔、英国等がしきりに海外を拡張した頃は、その被侵略地の住民に、まだ国民的独立心が覚めていなかった、だから比較的容易に、それらの土地を勝手にすることが出来たが、これからは、なかなかそうは行かぬ。世界の交通および通信機器が発達すると共に、如何なる僻地の地へも文明の空気は侵入し、その住民に主張すべき権利を教える。これ、インドやアイルランドなどの民情が、この頃難しくなって来た所以である。今後は如何なる国といえども、新たに異民族または異国民を併合し支配するが如きことは、到底出来ないことは勿論、過去に併合したものも、漸次これを解放し、独立または自治を与える外ないことになるだろう。アイルランドは既にその時期に達した。インドがいつまで英国に対して今日の状況を続けるかは疑問だ。この時に当り、どうして、独り我が国が、朝鮮および台湾を、今日のままに永遠に保持し、また支那や露国に対して、その自主権を妨げることが出来よう。朝鮮の独立運動、台湾の議会開設運動、支那およびシベリアの排日は、既に前途の何なのかを物語っている。自分は断言する。決して警察や、軍隊の干渉圧迫で抑えつけられるものでない。それは資本家に対する労働者の団結運動を、干渉圧迫で抑えつけ得ないと同様である」と。 その後の現代に至る歴史を振り返ってみると、石橋の先見性は見事である。前にも見たように、何等かの主義主張があった訳ではない。現下の世界を冷静に歴史的に俯瞰した結果であろう。そこには経済的な視点が重要な要素(マルクス経済学と違った)として機能しており、当時としては他の人に見られない特徴点だ。

 「列強が広大な植民地または領土を有するに、日本は独り狭小なる国土に留まるのは不公平だとの論がある。既に自分の述べたところで読者は推測したと思うが、自分が我が国に大日本主義を捨てよと勧めるのは、決して小日本の国土の留まれとの意味ではない。これに反して我が国民が、世界をわが国土として活躍するために、大日本主義を捨てよと言うのである。決して国土を小にするの主張ではなく、かえって世界大に拡げるの策である。現前の事実として領土を国内外に所有し、他国民をこのに入れぬ強国がある。彼らと競争していくために、どこかに領土を拡げねばならぬという論ももっともである。しかし自分は次の三点で答える。①我が国が領土を拡げたいにも拡げられない。これを拡げるとかえって四隣の諸民族諸国民を敵とするに過ぎず、実際において何ら利するところなし。②列強の過去の得たる海外領土は、漸次独立すべき運命にある。③今更他国の真似が出来ぬならば、我が国は宜しく出て、列強にその領土を解放させる策を取るのが、最も賢明な策である。それにはまず我が国から開放政策を取って見せねばならない。例えば我が国が朝鮮、台湾に自治を許し、或いは独立を許したと仮定すると、英国は果してインドやエジプトを今日のままに維持し行けようか、米国はフィリピンを今日のままにしておけようか。・・・我が国は人道のためなどとえらい事ではなく、単に利己のためにも列強の海外領土を総て解放し、その諸民族に自由を与える急先鋒となるがよい。・・・朝鮮、台湾、樺太、満州というが如き、これぞという天産もなく、その収入は統治の費用を償うにも足らぬが如き場所を取って、而して列強にその広大にして豊穣なる領土を保持する口実を与えるは、実に引き合わぬ話である」 
 「わが国は、いずれにしてもまず資本を豊富にすることが急務である。資本は牡丹餅で土地は重箱である。入れる牡丹餅がなくて、重箱だけ集めるのは愚である。牡丹餅さえ沢山に出来れば、重箱は、隣家から、喜んで貸してくれよう。資本を豊富にする道は、ただ平和主義により、国民の全力を学問技術の研究と産業の進歩とに注ぐにある。兵営の代わりに学校を建て、軍艦の代わりに工場を設けるにある。陸海軍経費約八億円、仮にその半分を年々平和的事業に投ずると、日本の産業は、幾年ならずして、全くその面目を一変するであろう」

 第二次大戦後日本が歩いてきた道どりを示唆するかのような論説である。石橋湛山の中は、日本の産業人への強い信頼、展望を有していたと言うことだ。
 石橋湛山著作集の編者である鴨武彦氏は次のようにコメントする。「石橋の観察は透徹したリアリズムである。石橋の大日本主義批判は、こうしたリアリズムの下で、アメリカの帝国主義的膨張の外交にも向けられている。石橋の『米国は不遜日本は卑屈』の論稿はまさにアメリカのアジア人に対する侮辱的態度(移民排斥法)を批判するものであった。日本はひとり日本への差別を怒るのでなく、何故全アジア人のために気を吐かないのかと、石橋は日本の卑屈さにも非難の目を向けた。それにしても、この大正期の日本の言論界に入ったデモクラシーの思想は、小日本主義の外交のすすめには結びつかなかった」と。
 

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