なぜ南部仏印に進駐したのか

2017年09月12日 | 歴史を尋ねる
 1941年8月1日、米国による対日石油禁輸。なぜ、石油禁輸を受けたのか。歴史的経緯からすれば南部仏印に進駐したから。北部仏印進駐までは、支那事変の延長と説明できた。支那事変は宣戦なき戦いであったから、第三国は中立義務を守る必要のなく、日中両国に武器を売ることが出来た。しかし、海岸線を日本に抑えられた中国としては、仏印とビルマが輸入ルートであった。従って1940年6月、フランスがドイツに敗れると、日本はすぐに仏印当局に援蒋ルートの中止を求め、北部仏印に進駐した。しかし、南部仏印となると話が違ってくる、と岡崎氏。南部仏印進駐は、タイ、シンガポールへの進攻基地として以外は不必要である。少なくともアメリカはそう認識した、と。
 日本で南部仏印進駐を決めたのは6月25日の大本営政府連絡会議であったが、その際でも海軍の有識者(井上成美など)は「米国と戦う覚悟なしにこんなことは出来ない」と考えていたし、松岡外相も「南に手を付けると大事ななると我が輩は予言する」といって、最後まで南部仏印進駐に反対した。それならば、それだけの危険を冒して南部仏印の進駐する必要があったのか、またそれだけの危険を冒す覚悟をあったのか、そうなると、どうもはっきりした説明が出てこない、と岡崎氏はいう。

 直接の原因は、6月上旬の対蘭印交渉の行き詰まりで、蘭印は本国占領後も対独抗戦の態度をとり、日独伊三国同盟締結以降は日本に対する物資の供給を渋った。日・蘭印交渉は1941年初頭からつづけられていたが、オランダ側は英米の後ろ盾を頼んで原則的立場を変えず、6月6日の返答は、ほとんど交渉打ち切りに等しかった。対蘭印関係の根本的打開は結局英米との関係に手を触れざる限りほとんど不可能だった。といって南部仏印進駐は、蘭印の石油を貰えなくなるうえに米国からの供給が止まるリスクまである。もう米、蘭との諒解をあきらめて蘭印の石油を武力で取りに行くことに決めたというならばわかる。しかし、陸軍も海軍も、表向きは威勢のよいことをいっても、内実は武力で南方に進出する決意も準備もまだなかったのが実情だった、と。結局背景にあったのは、漠然たる強硬を是とし、軟弱を否とする傾向であり、その背後にあったのは空想的といってもよい拡張主義、世界分割思想であったのだろうと岡崎氏は想像する。三国同盟を結んで以来、大東亜共栄圏地域は日本の勢力圏になった、と。
 この時も海軍は最後まで煮え切らなかったが、「英米に対し武力を行使す」を「対英米戦争を賭するも辞せず」と表現をやや緩める修文で妥協した。昭和の作文による戦略設定の弊であると指摘されるも頷ける。結局歯止めにならずに、南部仏印進駐は実施された。

 それではアメリカ側はどう考えていたか、児島襄氏の著書で見てみたい。
 野村大使は7月23日豊田外相に意見具申電を送った。日本政府とフランス政府との間に、日本軍の南部仏印進駐の交渉が進み、7月21日フランス側は日本軍進駐に同意した。両政府とも発表はなおしていなかったが、情報は漏れて、米国各紙は日本の南進を批判し、経済制裁を加えよとの論評を掲げるものが多かった。「我南進の場合、日米関係に及ぼす影響はかなり急速度をもって進展し、国交断絶一歩手前迄進むの惧れ大なり・・・日本は一面日米諒解を売物となし、反面南進の策を立て、国務長官の如きは騙されたるなりと非難もある趣にて・・・」 野村大使はその日の朝、国務次官ウエルズと会見、療養中のハル国務長官から、日本が南方侵略をやめなければ日米会談の必要はない、日米諒解のほうが仏印進出による結果よりも日本に有利だと野村大使に伝えよと指示を受けていた。ウエルズ次官は「ハルは交渉継続の基礎がなくなったと考えている」と言明した。野村は新聞が対日経済制裁を叫んでいることと思い合わせて、おそらく米国は日本資産凍結または重要物資の対日禁輸を考えていると判断した。知人である海軍作戦部長に斡旋を頼んで、至急ローズベルト大統領と会見したいと依頼、そのあと豊田外相あてに電文を走り書きした。ワシントン時間7月23日午後三時過ぎ南部仏印に向かう陸軍第二十五軍四万人が、すでに海南島で輸送船に乗組みを待っている頃であった。

 野村大使は意見具申電を送ったあと、入れ違いに豊田外相から訓電を受けた。南部仏印進駐は御前会議決定事項だから中止出来ない。しかし、北部仏印進駐のような衝突は起こらない。フランス政府の了解を得て共同防衛のために部隊を増派するのである。さらに米英両国と摩擦を避ける方針であるから、米国がパナマ運河の閉鎖や資金凍結のなどの制裁的措置を取らぬよう、米国政府に善処を求めてほしい、と。大使は米国側がうなずける提案を含めて訓令が望ましかったが、時間がないと大統領との会見に臨んだ。
 南部仏印進駐は、日本に必要な米や資源を入手するためと、第三国の勢力範囲になって日本の安全が脅かされるのを防ぐためであり、いわば経済および軍事的自衛措置である。日本側に領土獲得の野心は、まったくない。就いては、米国政府においてもこれを諒とせられ、余り極端なる態度に出ざることが望ましい、野村大使はメモを読み上げながらゆっくり力を込めて発言した。大統領は、微笑しながら野村大使の言葉を聞き終わったが、アドミラル(提督)と野村大使に呼びかけながら、その声音には、友好の暖気よりは峻厳な政治の空気が明白に感得された、と。「日本が南進を続ける以上、太平洋の平和維持は困難になる。わが国が太平洋地域から、錫、ゴムなどの物資を入手することが困難になり、フィリピンをはじめ他の太平洋地域の安全も危険となってくる」 日本が物資不足状態にあることに対しては同情する、国務省に相談していないが、一つ提案をしたいといって、仏印を中立化しようという提案がなされた。野村大使は大統領との会談を終えると、会談要旨を東京に打電した。大使はその後岩佐大佐と意見交換したが、岩佐は「仏印中立化ねえ・・・要するに、日本はインドシナ半島から手を引けという訳でしょうが、アメリカにも譲歩の気持ちがなければ問題外です、もう、おしまいでしょう」 岩佐大佐の情勢判断によれば、米国はすでに日米交渉を断絶する意思を表明したと見做すべきである。大統領の提案は、一方で外交ルートでの交渉打ち切りを宣言し、他方で太平洋の平和のために努力しているとのジェスチャーを示すためだ、と。それにしても米国は身勝手だ、大統領が云う様に米国にとって東南アジアの資源は必要である。しかし資源の必要度から云えば、自給自足できる米国とそれが不可能な日本とでは、格段の差異がある。日本にとって、米、石油、ゴム、錫など、軍需だけでなく生活必需物資の殆どは輸入せねばならず、その対象は米国と東南アジアである。

 米国は日本の南方進出を侵略だといい、支那事変も侵略だといい、満州国も侵略の成果だといい、すべての対外進出を中止して日本列島だけで生活せよというが、それでは日本はどうやって生活の向上をはかるのか。「これまでの交渉の過程でも、米国側のステーツマンシップはうかがえませんでした。支那問題にしても、日本軍が支那から撤退すれば問題が片付くことは、誰にでもわかる。しかしとにかく四年間も続いた事変である以上、いきなり全面撤退という訳にもいかない。血を流してきた国民に対する説得も必要だし、今後の日本の生存のために必要な経済的発展の可能性も確保しなければならない。その辺の事情については、サッパリ同情が見えませんでした」 岩佐大佐は、如何に国力と国際的発言力に差がある国家関係でも、一方が他方に経済的に依存をしているのを承知で、相手の糧道を絶って折衝するのであれば、それはもはや交渉ではなく、降伏要求になる、と嘆息した。

 野村大使が破局への時間の延長を願っていた頃、ホワイトハウスは7月25日在米日本資産を凍結する、と発表した。第二十五軍の海南島出航が確認されたからである。国務省顧問ホーンベックは、7月22日付のハル長官あて覚書で、支那に対する援助強化だけで日本を支那から駆逐できる、と進言していた。「時間は、日本にとって不利な要素になりつつある。支那にたいして、その対日抵抗力を適度の友好水準と充分な期待を維持できる程度に援助すれば、支那がわの努力と米国の援助と時間とが合成されれば、日本は自動的に支那から撤退することになるだろう」 ホーンベック顧問の進言は、燕京大学総長の情報と、独ソ戦が予想外に長期化する見通しとにもとづいていた。日本としては、ソ連攻撃のチャンスを見逃したはずであり、そのうえに支那軍の抵抗力が強まれば、選択する道は南進か、政策転換による対米協調以外にない。しかし、急激な南進を誘うことは日米戦を招く可能性も高まるので、極度の経済的圧迫を避けて支那から敗退させる方策を採用すべき、と。ハル長官も、このホーンベック顧問の意見に賛成して、25日朝、ウエルズ次官に電話「なにか日本を思いとどまらせる事態が発生しない限り、日本は確実に南方進出を続けるだろう」 南部仏印の次はタイ、さらにマレー、シンガポール、フィリピン、蘭印にも日本は足を伸ばすかもしれない、とハルは予測した。そうなれば、先ず日英戦、日蘭戦、そして日米戦が予期されるが、早期の戦争は米国に不利であり、不利な戦いを避けるため日本に物資を与えるべきでないか。このハル長官の慎重な姿勢が対日輸出禁止措置を停滞させていたが、しかしハル長官の姿勢を長く維持することが出来なかった。資産凍結令の発表は、予想を超えて日米双方の危機感をあおり立て、戦争気運を急激にあげさせた。まさに、岩佐大佐が指摘する糧道の断絶であり、7月29日、企画院総裁鈴木貞一は「戦争遂行に関する物資動員上よりの要望」と題する報告書を大本営政府連絡会議に提出して警告したが、この内容はすでに既述済みである。鈴木企画院総裁は、一息つくと、静まり返る会議上に視線を走らせて、報告書の結論部分を朗読した。「即ち、帝国はまさに遅疑することなく最後の決心をなすべき竿頭に立てり」

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