対日講和の延期決定 ことは極秘にされた

2020年08月01日 | 歴史を尋ねる

東京では早期講和の期待は衰えなかった。ワシントンでの予備会議が開かれることをUP電は消息筋の談話を伝えた。当時のアメリカ新聞界では、消息筋=バーで会った政府関係者、権威筋=課長クラス、信頼すべき高官筋=部長クラス、極めて権威ある政府高官=局長以上。そういう意味では消息筋はあてにならない。首相片山哲は、講和会議は現内閣で十分担当できるが、全権団は野党を含めて国民代表の形にしたいと答弁。コミンフォルム設立で米ソ対立は地球上の隅々まで拡大された、講和後の日本は非武装国家なので生存に不安がある、首相はいずれの道を指向するのかと質すと、首相は「共産主義による政治的原理を、日本国民及び国家はとっていないことは言うまでもない」と。将来の安全は、国連に参加して積極的に世界平和に貢献することで達成できる、と強調した。それ以上は言えない環境にあるが、桜講和の期待を前提にした問答であると、児島襄はコメント。

 10月24日、帰国途中の中国外交部長王世杰はマッカーサー元帥と会談した。ソ連のコミンフォルム設置に表示される西側陣営に対する攻勢と、ソ連を背にする中国共産党の優勢とに照合すれば、対日講和問題でソ連をなだめるのが中国にとって最有利、最優先課題であった。米国高官たちが、反共姿勢を顕示しながらも、こと対日講和に関してマッカーサー元帥の意見、日本の世論、政情も無視できない旨を告げたのにヒントを得て、王部長は日本工作に立ち寄った。しかし、マッカーサー元帥との会談は目論見が外れた。元帥は「世界の世論は、中国はソ連と提携して米国の対日講和推進を妨害するだけではなく、中国本土のソ連化をもたらす危険な遊戯にふけっている、と見做している」 中国にとって最も有利なのは、中国の共産主義とソ連との闘争を支援する日本を正面に立たせることである。中国が意図する中ソ提携策は日本を米国またはソ連の陣営に押しやるだけで、中国にとってプラスにならない。日本を敵視し続ける中国紙の論調は非現実的で不可解である。日本はいずれ自立する。その日本を味方にするのが中国にとって最得策の筈だ、と。王部長は「対日講和条約に於て大規模な生産賠償が保証されることを最も強く望んでいる」と。金銭又は物品による一時的賠償ではなく、中国の原材料を加工させた製品による長期的賠償を求める、日本の工業能力を中国の復興と軍備増強に活用する発想だった。元帥はすかさず反駁した。中国はすでに中国本土、満州、台湾に莫大な日本の在外資産を接収している。55%の米国の援助でその生産を賄っている状況で、どれほどの生産賠償に日本は応じられるか、日本から無限の賠償を要求できると述べる中国紙は中国民を欺き、国民を馬鹿にしている。中国政府はなぜそのような新聞論調を取り締まる措置を取らないのか、日中両国は相互に有益な貿易を行うべきで、そうしなければ経済的混乱を招くだけである、と。

 対日講和問題について意見を交換したいとの王部長の招きで、首相片山哲、外相芦田均、官房長官西尾末広が、中国駐日代表部を訪れた。王部長は、中国は蒋介石主席の暴を以て暴に報いるなとの訓令にもとづき、在中国に日本軍民を一人の事故もなく帰国させ、残留希望者も優遇した、戦争中は日本人の暴虐を憎悪したが、今は忘れて日本人に対している、と。芦田外相は、蒋介石主席の公明にして高貴な精神に感銘している、われわれも同じ精神で新たな日中関係を推進したい、と。王部長は米国からの予備会議招請に関して説明後、三つの質問をした。 ①日本は民主主義体制の確立に忙しいようだが、日本国民は熱情を持っているか? : 現内閣は生命を賭して日本民主化に努力している、組合民主化もその一環である。 ②講和後の対日措置について、日本人に責任を取らす、或いは相当の保障占領を行う、日本はどう考えるか? : 平和後は、日本の民主化、平和政策の実行は日本の責任於て遂行させてもらいたい。第一次大戦後のドイツとは三つの相違点が見出せる。しかし講和後の日本の安定のためには、イ、国防:国連の保障または連合国の一、二国の安全保障。ロ、経済自立:この問題は独立国家として不可欠の要件である。 ③中国は原料を持ち日本には工業設備がある。日本に対する賠償は、中国の原料による生産賠償にしたいがどうか? : それは困る。それは裏付けのない紙幣の発行にほかならない、インフレが不可避。第一次大戦後のドイツの事態の再現になりかねない。日本としては一時的の実物賠償を希望している。 三人を送り出した後、王部長は考え込んだ。元帥も日本側も、一致して中国のソ連寄りを話題にして、中国が対日講和の邪魔をしていると見ている。このままでは敵に回す、両者の誤解を解く必要があると考えた。

 王部長は、代表部で記者会見を行った。①中国提案は東亜安定のためである、ソ連が抜けては東亜の安定に役立たない。②中国国民の80%が日本との戦争で被害を受けている。しかし中国国民は政府の指導で、日本にみじんの報復も怨恨も持たない。③日本は民主化、中国は戦災復興に励んでいる。それが成就すれば両国の貿易関係の前途は洋々たるものがある。中国の対日講和方針はアジアの安定と日中友好を図ることである、と。さらに王部長は総司令部外交局長シーボルトに出向いた。局長は、中国の新聞、政府筋は米国の日本占領政策を批判しているが何故か、王部長:それは中国のマスコミが米国の対日政策や占領問題をよく知らぬためだ、占領下の日本の状況と自国の混乱状態とを組み合わせ、米国は中国を犠牲にして日本を再建している、と感じている、と。局長:対日講和について中国はソ連と提携しているが、その意図は。部長:それは誤解だ、中国がソ連よりと見られる対日講和提案をするのは、中国が現実的立場をとり、現実を直視するからだ。米国の三分の二多数決方式がそもそも非現実的だ。十一か国のうち英連邦五か国が構成されている。最初から米国は多数を確保している。その結果中ソに不利な条項が採用される可能性がある。ソ連も中国も対日講和問題で自国の利益を主張する権利がある。局長:ソ連が中国提案を拒否した場合、中国は講和会議に参加するのか。部長:その場合、ソ連が中ソ友好条約違反を口実に、満州、新疆、内蒙古に対するフリーハンドを得たと解釈する恐れがある。ソ連抜き対日講和は間違いであり、締結しても機能しない。米国は断固かつ辛抱の政策をとって欲しい、と。

 10月29日、国務省極東局は対日講和を日本降伏処理の一部と見做しているの対し、米国政府内では、米ソ対決の冷戦状態の激化に伴い、対日講和も対ソ戦略に組み込むべきだとの考えが政策企画部長ケナンを筆頭に強まった。極東局も、日米関係より対ソ関係の一環として対日講和という視点の必要を自覚し、主務者の意見を覚書にまとめた。米国が提唱した予備会談がソ連、中国の反対で暗礁に乗り上げている現状に対応策として、静観、延期、早期開催を挙げプラスマイナスを検討、①先ず、四大国拒否権付き十一か国予備会議を英、ソ連、中国に提唱し、他の極東委員会七か国にも通告する。②次に同提案を四国外相会議に付託し検討させる。その際、外相会議がはじめから終わりまで予備会議をコントロールする旨を明らかにする、と建言した。この覚書は、元国務長官バーンズの対日二十五年非武装条約構想に触れず、ただ国際情勢に照合して早期開催の必要性を強調しただけであった。延期は不得策というだけであり、対ソ戦略の中の対日講和を力説する点でも、政策企画部長ケナンの提言に基本的に合致した。回付を受けた国務長官マーシャルもベリーグッドとうなずいた。部長ケナンの献策を原則的に承認する。マッカーサー元帥との協議に派遣する人選をせよ、と。どんなに早くても翌年一月までは対日講和に手を付けるべきでない、というのがケナンの意見であり、長官マーシャルは、極東局も早期講和の努力は要請しても時期は限定しない意見であることを知り、国務省の「当分の包括的見解」として採用した。対日講和の延期の決定であった。ただし、ことは極秘にされた。

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