屋外はようやく明けかけのなか、わずかな降雪、
名残の雪でしょうか。
まだ、寒い。
当地のこの時季になると、午前6時の空はしらけて静か。
禅堂の燈が消され、鐘3つがスタートの合図。
わずか暖房器のファンの音のみ。
静寂の時間は、なに物にも変えがたい。
もう座り始めて6年半、私は、まだまだであるが諸先輩方は
モット長く続けていらっしゃる。
座中にいつもの老師の話。今日は古事記の中から・・・、
「魂静(たましずめと読む)」との文語。
文字通り、諸雑の中での心を静めることである。
今、座っている「坐禅」は、
姿勢を整え、息を整え、そして心を静かに整え
の3つである。
古事記にある「たましずめ」に、すっかり通ずる。
(禅語には両忘(りょうぼうと読む)と言うのもある。
2つの相対することを忘れると、心が静かになるの由、
たとえが悪いかもしれませんが、
「彼女は私を愛しているのだろうか、愛していないのだろうか」
との2つを同時に思うと心がざわめきます。
両方を忘れると、心静かになるでしょう。)
座後に振舞われる「塩粥」は、暖かく、また絶品。
良い時間をすごせた思いである。
さぁ、日曜日の始まり~。
名残の雪でしょうか。
まだ、寒い。
当地のこの時季になると、午前6時の空はしらけて静か。
禅堂の燈が消され、鐘3つがスタートの合図。
わずか暖房器のファンの音のみ。
静寂の時間は、なに物にも変えがたい。
もう座り始めて6年半、私は、まだまだであるが諸先輩方は
モット長く続けていらっしゃる。
座中にいつもの老師の話。今日は古事記の中から・・・、
「魂静(たましずめと読む)」との文語。
文字通り、諸雑の中での心を静めることである。
今、座っている「坐禅」は、
姿勢を整え、息を整え、そして心を静かに整え
の3つである。
古事記にある「たましずめ」に、すっかり通ずる。
(禅語には両忘(りょうぼうと読む)と言うのもある。
2つの相対することを忘れると、心が静かになるの由、
たとえが悪いかもしれませんが、
「彼女は私を愛しているのだろうか、愛していないのだろうか」
との2つを同時に思うと心がざわめきます。
両方を忘れると、心静かになるでしょう。)
座後に振舞われる「塩粥」は、暖かく、また絶品。
良い時間をすごせた思いである。
さぁ、日曜日の始まり~。