これ、永平寺の先代、宮崎禅師の言葉。
今朝は、月例の坐禅会、
今朝の早朝は、すっかり明け、気温も気持ちの良い朝でした。
少し早かったせいか、山田老師(禅師と呼ぶのは、すべての禅宗僧の尊敬語か、
と思っていましたが、違うのです。曹洞宗では、本山の住職一人にしか、
このように呼べない、呼ぶものでない事を知りました)
が、幾人かに、座る前のコツというか、準備の実技を教えてくださった。
それは、当然のマナーである、仏や、坐禅の同僚、禅僧などへの礼、坐布を整え、
等を済ませることでなく。
自分が40分間(1回の坐禅の時間、1柱という)、
足や全身が痛くならないよう、
しっかり座れるための方法でした。
それは、本堂に入り、すぐ座るのでなく、
5分もかけて首・背筋・ひざなど全身を、呼吸をしながらゆっくり
と動かし、そして元へ戻すことでした、そして、本番。
今朝の40分、声や先生の禅語の解説もなく
一心に座れました。
不思議でした。
いつもは最後、足の痛さや、体が振れ、キョウサクをバチリの状態になったのに。
何でもコツってあるのです。
6年目にした会得。
老師の般若心経の読経と6時の梵鐘、ゴーン、朝粥の振舞い。
いい気持ちになれた、20日の始まりでした。
今朝は、月例の坐禅会、
今朝の早朝は、すっかり明け、気温も気持ちの良い朝でした。
少し早かったせいか、山田老師(禅師と呼ぶのは、すべての禅宗僧の尊敬語か、
と思っていましたが、違うのです。曹洞宗では、本山の住職一人にしか、
このように呼べない、呼ぶものでない事を知りました)
が、幾人かに、座る前のコツというか、準備の実技を教えてくださった。
それは、当然のマナーである、仏や、坐禅の同僚、禅僧などへの礼、坐布を整え、
等を済ませることでなく。
自分が40分間(1回の坐禅の時間、1柱という)、
足や全身が痛くならないよう、
しっかり座れるための方法でした。
それは、本堂に入り、すぐ座るのでなく、
5分もかけて首・背筋・ひざなど全身を、呼吸をしながらゆっくり
と動かし、そして元へ戻すことでした、そして、本番。
今朝の40分、声や先生の禅語の解説もなく
一心に座れました。
不思議でした。
いつもは最後、足の痛さや、体が振れ、キョウサクをバチリの状態になったのに。
何でもコツってあるのです。
6年目にした会得。
老師の般若心経の読経と6時の梵鐘、ゴーン、朝粥の振舞い。
いい気持ちになれた、20日の始まりでした。
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