快晴の早朝、禅堂への道はすがすがしい。
6時少し前には私を除くみんなが着座、
老師だけでなくご住職も座られていました。
坊守氏の撞かれる6時の梵鐘の音、1発め。
「○○さん、ザブをもっと前に、もっと前に」のご指導、ちゃんと見てくださっている。
そして老師の撞かれる小鐘3つ、坐禅会のスタートです。
直ぐに坐中の老師のお話しがはじまった。
毎度申し上げる事ですが、道元禅師様は「坐禅」をお勧めになられました。
その理由は、それまでのインドや中国での祖師様方の様子から
坐禅なのだと語られた、
その方法は、「身体を整え、息を整え、心を整える」3つに尽きる。
それを正しく確実に実施する「そうすると自分が無くなる」その時が来た時のうれしさを味わう事を期待するのです。
「自分が無くなる」とは、その世界を意識して味わうことにより己の無の世界を体得する瞬間を得る。その喜びを伝いための「坐禅」で有ると。
お釈迦様がたどりつかれた「無姿・無我」の私、
それを身体で体得する事を楽しみにしてくださいと。
世の中を生きる時に生ずる苦しみ・悲しみなど、放置するとの苦しみが続く、この苦しみから逃れる(解脱)する方法が「坐禅です」とも。
そして「足の座り方の具体方法」の解説、
足の組み方には、結跏趺坐・半跏趺坐2つの方法があります。先人たちは、石の上や木の根の上に厚く草を敷き座った、今は床板の上に畳、その上に四角い座布団そして「サブ」を乗せる、かつてと違う恵まれた方法は、単に暖かくするためでなく、「正しい姿勢をするための道具」なのです、
本来の使い方を知って正しく座りましょう。
座り方は身を整える3つの要素の中の一つ、常に姿勢が正しいか調整しつつ座るべきです。慣れる事です、そこまで来たら「坐れた」ことになる。
と結ばれた。
その後、回向を唱えた後、小鐘1つ。終了です。
なんと「今朝はわずか30分と短い時間」でした。
その分、足の解き方など詳しくの解説。
「座後の茶会」には、老師・坊守氏、住職氏も一緒、
いろいろな話題、この時間結構楽しい。