tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

10月「早朝坐禅会」参禅。

2021年10月17日 | 坐禅会

午後5時に起床、外は真っ暗、洗面等朝事を済ませ、

610分前に禅堂到着。天気も悪いのが北風で寒い、

外は明けきらぬ薄明りの雰囲気

 

 

 

禅堂に着くと、老師と他2名の女性が着座すでに始まっています。

座り込んですぐ、

坊守様の撞かれる6時の梵鐘、いくつか繰り返される中での

坐禅の正式始まりは小鐘3つ。

 しばらく無言がつづく、老師の坐中のお話は始まらない、

検単・警策も無し、自分で、自覚の中での静かな時間30分。

この時間になると外は白けていく感じ、この感覚を得られるのは

  一年の中で今月だけの世界です)

 

 

 しばらくして老師が語られる。

この「坐禅会を初めて20年余、本日は嬉しいことが有る」

本日は全員が「おけさを身に着けて」の参禅です。

(えっ、私が、はじめておけさをつけての参加でした、知人のy氏は半年前、

そのうちにはと準備をしていたのですが、こんなお話が出るのなら、

今日はつけていって良かった)

 

今朝私が撞つけていたおけさです。

 

 

始めたころは「おけさ」の意味等その存在等なかった人たちも、

見・聴きしてそれを知り、なんとなく自分もつけようかと思い、

育ったのです。

 

おけさは別名「解脱服」とも、それぞれが解脱するときに身に着けるもの、

何から解脱するのか、生きている日常起こるいろいろな事、特に心の動き

(悩み・苦しみ・喜び)から脱する、

その時に身につけるもの「解脱服(おけさ)」、

おしゃか様の時代に定めたもの、その道を歩もう

としたとき「解脱服(おけさ」をつける。

 

また、「座ること」はこれに加えて意味がある、

「座ること」は、手・足・目・口等すべての動きを止める事、

人は、感情の動きの中で動きまわるのが生きる事でもあります、

その動きを止める姿、動かない、すなわち「坐禅です」

 

各世代の人々が生きた姿、これからも続けていかなければなりません、

それがこうした坐禅会を開いている願いです。

仏教の語に「生死即涅槃」というのがあります、

生きるのも死ぬのもその時の姿は、

「涅槃」静かで落ちついて、仏に見守られ救われた思いのとき。

その姿は仏法交流を表す、本当の進む道を見失わず、

仏様の真似をしてしっかり生きていく。

このことに努めてくださいと結ばれた。

 

「願わくば、この功徳を持って普く一切に及ぼし、

 我等と衆生と皆共に仏道を成ぜんことを」と、

回向唱えられた。

少鐘1つでおしまい。

茶菓を頂いての座後の茶話会は、格別の朝。

老師も年齢のこともあり11月から2月迄、厳寒期でもあり休むことになりました)。

 

コメント
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