新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

幻のコラム「A November Farewell」

2021年01月14日 | 日記

 探していたマイク・ロイコのコラムがインターネット上に公開されていた。1997年5月4日付けになっており、ロイコが4月29日に死去した直後、追悼のために掲載されたらしい。1979年9月に44歳で早世した最初の妻を、ロイコ自身が「長年2人が使ってきた別荘をたたむ」形で追悼している。ロイコにしては珍しく感傷的な文章であり、長く記憶に残っていた。

 2人は約25年まえ、ウィスコンシンの湖から約1.5キロ離れたところに親戚が所有する小さなバンガローで週末を過ごしていた。新聞社勤めの彼は勤務時間が不規則で、金曜日の夜半をすぎてからバンガローに着くことがあった。それでも蚊がいない時期は、月明かりのもとで湖に入り、木にもたれてワインを飲みながら将来を語り合った。
 労働者階級の家で生まれ育った2人は若く、お金がなかった。家のポーチに座り、彼がギターを弾き、彼女が澄んだ声で歌うと、ちょっと離れたところに住む独り暮らしの老人からアンコールがあったりした。ある夏、彼はなけなしの金をはたいてモーターボートを購入した。安物だったせいかエンジンのかかりが悪い。かかれば湖岸の風景をゆっくり見て回った。
 時がすぎ、2人の子どもに恵まれ、なんやかやと用事ができて、バンガローへ出かける機会が激減した。そのうち親戚がバンガローを売り払ってしまった。2人は湖畔のバンガローでの日々が忘れられなかった。
 彼に少しお金ができたとき、何かよい物件がないかと探し始めた。以前のバンガロー周辺は雰囲気が変わらず静かだった。気に入る物件に運よく巡り会った。こんどはまさに湖畔の別荘だった。
 夏は最高だった。夜が明けないうちから彼は釣りに出た。彼女は鳥の囀りに目覚めると、リスやキツツキに朝のあいさつをした。近所に住む八百屋、ドイツ人の肉屋、完熟トマトとスイートコーンを売る農夫と知り合いになった。
 自己中心と思われるかもしれないが、友人を招くことはしなかった。2人だけの静かな住処だった。一日のうちでは夕暮れどきが最高だった。陽が沈む時刻になると何をしていても手を休め、沈みゆくオレンジの日輪を眺めた。湖面は青から紫へ、そして銀と黒へと移っていった。
 彼女は10月を嫌った。夏の人だった。寒風を嫌った。11月を敵視した。11月になると桟橋をたたみ、ボートを係留し、デッキチェアを片づけ、ハンモックを下ろし、下水管に凍結防止剤を入れ、街へ戻った。別荘を引き上げるとき彼女はいつもため息をついた。
 雪が融けて春が来た。湖面の氷が融けると彼女は別荘のドアと窓を開け放ち、新鮮な空気を入れた。花を植え、夏には多くの花が咲いた。年々花は増えていった。日暮れはますます映えていった。
 この週末、彼は一人で冬支度に出かけた。さっさと片づけたかった。グズグズしているとつい彼女のことを思い出してしまう。彼女のお気に入りの椅子。ハンモックは彼女のクリスマス・プレゼントだった。湖畔の別荘は彼から彼女へのプレゼントだった。
 彼女がもっとも愛した夕陽を彼はまともに見ることができなかった。涙があふれてきた。夕陽に背を向け、そそくさと絨毯をたたみ、ドアにカギをかけて車で別荘をあとにした。振りかえることはなかった。
 来春には「For Sale」の看板がかかり、たぶん夕陽の好きなカップルが気に入って買ってくれるだろう。彼はそれを望んでいる。

 ちなみに彼と彼女は同じ地区に育ち、同じグラマースクールに通った。彼が22歳、彼女が19歳で結婚していた。