新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

外出自粛要請に思う

2020年03月03日 | 日記

 非正規雇用ながら学校に勤めている私は、学校が休校になったために暇になった。そこで天気がよい日は炭焼き場の整備に出かけている。炭焼き場の北側には市民農園が広がり、何人かが畑作業に来ている。ここなら基本的に個人プレーだし、他人と濃厚接触する心配はない。外出自粛要請に違反する行為ではないはずだ。
 では外出自粛要請で意味される外出とは何か。ライブハウスへ出かけること、飲み屋の一画で宴会をすること、ディズニーランドへ行くこと、映画館で映画を鑑賞することなどが入るだろう。小学生ならだれかの家に集まって一緒にゲームをすること、公園の片隅やコンビニ前にたむろすることなどを意味するのだろうか。こうしてみると、人間は群れる動物だということが分かる。外出することの目的の大半が群れることを意味する。群れることによって新型感染症を蔓延させる原因になる他人との濃厚接触が生じる。
 群れることをともなわない外出なら、外出自粛要請に含まれない外出だと考えられる。それにはどのようなものがあるか。畑作業、人がまばらな公園で時間を過ごすこと、テニスボールの壁打ち、河川敷を散策すること、人混みのない街路を歩くこと、ジョギング、山登り、釣り、ゴルフコースを数人で回ることなどがある。
 スーパーマーケットで買いものすること、ドラッグストアでマスクを買おうと長時間並んで待つことなどは、やはり感染リスクをともなう行為だろう。ただそれをしないで日常生活を維持することが困難だから、やむをえず、リスク覚悟でする外出といえよう。
 人が群れることをさせないでおこなわれる大相撲大阪場所の、無観客相撲はみものだ。テレビ中継がおこなわれるのだから、力士たちは十分に気合いが入るのだろうか。いまは双方向のコミュニケーションが可能な時代だ。土俵の周辺にモニターを並べ、全国のファンたちの表情をモニターに映し出し、力士たちが観客の表情を感じながら相撲が取れる仕組みにしてはどうだろう。



渡鹿野島

2020年03月01日 | 日記

 日影原農園では福寿草が満開です。ふきのとうも出始めました。

 渡鹿野島について書いた本のなかで、ハシリカネということばが目をひいた。漢字では把針金と書く。むかし一夜の宿りを求めて入港してきた船の帆や船乗りの衣服を縫う仕事を求めて船に近づいた女性がいた。菜っぱや大根を売りにいく人たちもいたことから菜売りとも呼ばれた。四国や瀬戸内海の島に多くいた。豊島(てしま)がよく知られている。船乗りのほうでは、しばしの安息を求めてこの女性たちを受け入れた。
 渡鹿野島は三重県志摩市の的矢湾に浮かぶ小さな島だ。江戸と大阪を行き来する帆船が、長い航路のちょうど中間にあるこの地へ風を待つのに寄港したので、風待ち港の異名がある。この島へ寄港した船人たちは島で薪や水を補給しながら風が出る日を待った。半農半漁の貧しい島の女たちは船の帆や船員の衣服を縫う仕事を求め、また野菜を売りに船乗りたちに近づいた。それらの女性は、厳しい船旅の途中でしばしの安息を求める船乗りたちの夜伽をも引き受けた。
 このような下地があった渡鹿野島へ、太平洋戦争のさなかの1944年、日本陸軍は予科練生を駐屯させ、潜水艦などを隠す避難壕を掘らせた。当時、渡鹿野に500人ほどが宿泊していた。戦後、当時を懐かしんだ予科練あがりの人たちが友人をつれて渡鹿野に足を運んだ。
 1957年に売春防止法が成立して以後も島のこの昔ながらの習慣が廃れなかったために、1960年代半ばからこの島の主たる産業はこれだけになり、1970年代から80年代が最盛期だった。いまはクリーンなイメージの観光産業に力を入れ始めている。(高木瑞穂「売春島」彩図社)