カモンイス作「ウズ・ルジーアダス」では、バッコス(バッカス)がポルトガル人たちの大航海の成功を妨げようとさまざまな妨害工作をする。それにたいしてウェヌス(ヴィーナス)はたえずポルトガル人たちの味方で、危機に瀕したポルトガル人を助けようと努力する。
神々の世界で議論し、決められたとおりに人間界が動いていくという構図になる。さながら人形劇を見ているかのようだ。糸で人間たちの動きをあやつっているのが神々だ。その神々の世界にも人間界と同様の力関係があり、派閥があり、お互いを嫉妬する。喜怒哀楽を表しながら議論をかわし、さまざまな策を練ることも人間界と変わらない。
バッコスはヴァスコ・ダ・ガマをはじめとするポルトガル人たちの船がアフリカ東海岸からいよいよインドへ向かおうという段階になって、どうしてもそれを阻止しようと海底のオケアノスの宮廷に自分に味方してくれそうな神々を招集する。そしてこのまま放置するとポルトガル人たちが偉大な功績を成し遂げ、自分がかつて成し遂げた名声がかすれてしまうことを訴え、神々の同情をさそう。バッコスがポルトガル人たちにたえず意地悪をしつづける理由は、一にも二にも自分のかつての名声がしぼんでしまうことにある。ではバッコスのかつての名声とはなにか、となるとあまりはっきりしない。東洋、とくにインドを征服したことになっているようだが、具体的な記述は各種の注釈書にもギリシャ・ローマ神話辞典にも見あたらない。
「ウズ・ルジーアダス」第6歌29連では、ポルトガル人たちがインドに達するというこの傲慢な行為を放置すれば、ポルトガル人たちが神になり、自分たち神々がぎゃくにかよわい人間になってしまうということになりかねない、とまでバッコスは海底に集まった神々にむかっていっている。
神々の世界で終始一貫してポルトガル人たちを味方するのは美と愛と豊穣の女神ウェヌスだ。ポルトガル人たちが苦境に陥ったときには、一糸まとわぬ姿で神々の集会に現れて全能の神ユピテル(ジュピター)にポルトガル人を救ってくれるように懇願する。ほかの神々が目のやり場に困るほどのなまめかしさを武器にして訴えつづける姿は圧巻だ。ウェヌスがポルトガル人たちを支持するのは、ポルトガル人たちがいにしえのローマ人の美点を承けついでいることを気に入っているからだ。この理由はバッコスがポルトガル人を憎む理由以上にあいまいで、わかりにくいのだが、それにはくわしく触れないまま叙事詩はつづいていく。