新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

お経のようなもの

2014年10月25日 | 日記

「ウズ・ルジアダス」を読み始めて3年半になる。すでに通読の3巡目に入っている。百パーセント理解しながら読み進めることが不可能なので、池上岑夫先生の邦訳と注釈書は手放せない。ポルトガル人がもっとも頻繁に口にしながらもっとも読んでいない文学作品だといわれる。そういえば、リスボンのサ・ダ・コスタ書店でもポルトのレロ兄弟書店でも「ルジアダス」の刊本はついぞ見かけなかった。
 お経のことをお寺の住職に語りかけたことを思い出す。お経というのは、分かるようで分からない。ありがたいことがを書いてあるようでも難しすぎて百パーセント理解することができないので、何度も読み返せば理解が深まるだろうと思って繰り返し唱える。お経がすぐに理解できるような簡単な内容なら、ありがたみがなくなり、何度も繰り返し唱えようとしなくなるだろう。というのが私の持論だった。それを、法事のあとの食事の席で隣り合わせたお寺の住職に投げかけたところ、住職は苦笑いされていた。読書家で頭がやわらかい住職だと見込んで問いかけたのだった。
 お経に比べれば「ルジアダス」ははるかによく分かる。だが、ギリシャ・ローマ神話や歴史の知識がなければ読み解けない部分に満ちみちている。それを補うのが注釈で、「ルジアダス」の場合、ページ数にすれば注釈が訳書全体の3分の1をしめる。活字数にすればおそらく半分以上になるだろう。これだけの膨大な注釈を必要とする作品を書いたカモンイスとはどのような作家だったのか。